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日蓮大聖人・池田大作

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「鳳雛会」の使命の舞 「行動」が君を勝利者に

2005.8.23 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

前後
1  私が青春時代に愛読した、ドイツの詩人ヘルダーリンは謳った。
 「活溌な活動を始めてからは、わたしの精神はいっそうしっかりし、機敏になった」(『ヒューベリオン』手塚富雄訳、『ヘルダーリン全集』3所収、河出書房新社)
 行動する人生は、常に精神が生き生きと躍動する。
 その究極こそ、広宣流布を遂行しゆく学会活動である。
 キューバ独立の父ホセ・マルティは叫んだ。
 「歩かない者は到達しない」(「成長する」藤政子訳、『ホセ・マルティ選集』3所収、日本経済評論社)
 その通りである。
 法のため、人びとのため、社会のため、労苦を惜しまず、一歩また一歩と、歩み続けるわが同志は、なんと尊く、なんと健気なことか。
 この方々こそ、人間として、最極の栄光の高みへ、必ずや晴れ晴れと到達しゆく勝利者なのである。
2  1960年(昭和三十五年)の五月三日、私は、第三代会長になった時から、"わが人生の勝負は二十一世紀だ"と、心中深く決意していた。
 ゆえに広宣流布の先の先を見つめて、高等部、中等部、少年部という未来部を、いち早く結成していった。
 共に学会を見つめていた、ある著名な作家が言われた。
 「ああ、また学会は大きい手を打った。素晴らしき手を打った。学会は一段と伸びるだろう。ますます大発展するであろう」
 私の胸は躍っていた。素晴らしき弟子たちと、共に生きることを、戦えることを、歴史を創ることを、深く知っていたからだ。
 かつて「憲政の父」と讃えられた尾崎咢堂は慨嘆した。
 「正義のために一人も立って真実を語るものがないということは、わが国民の大きな弱点」(『民主政治読本』、尾崎咢堂全集編纂委員会編『尾崎咢堂全集』10所収、公論社)であると。
 私は、一人立つ正義の師子を薫陶することを決意していたのである。
 ともあれ、1966年(昭和四十一年)の年頭から、私は毎月、高等部の代表に御書講義を始めた。
 研鎖する御書は、「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」「佐渡御書」を選んだ。
 少々難解であるが、偉大な使命を帯びた、新世紀の指導者と育ちゆく英才なればこそ、仏法の人間主義の真髄を学んでほしかった。
 四月からは、中学生になった長男の博正も、御書講義に参加した。その時の教材である「佐渡御書」が、今でも一番好きな御言だという。
 皆、懸命に予習し、何回、何十回と拝読して講義に臨んでくれた。司会が御文の拝読を求めると、先を争うように全員の手が挙がった。
 瞳を輝かせた、その真剣な心が、本当に嬉しかった。
 しかし、私も、君たち以上に真剣であったのだ。
 寸暇を惜しんで重ねた一回一回の講義は、「今しかない、今しかない」と必死だった。「皆が大指導者に! 全員が広布の大闘将に!」と祈り、叫ぶ思いであった。
 だから私は、"まだ子どもだから"と、甘やかすことはしなかった。
 真の弟子を育てようと本気になれば、自ずと指導にも力が入った。後継の弟子たちも、本気になってぶつかってきてくれた。
 ソクラテスは、青年への彼の感化力を、触れる者を皆しびれさせてしまう海の「シビレエイ」に譬えた意見に対し、「自分自身がしびれているからこそ、他人もしびれさせる」(プラトン『メノン』藤沢令夫訳、岩波文庫)と応じた。
 自分が燃えずして、どうして人を燃えさせられよう!
 自分が戦わずして、どうして人がついてこよう!
 皆の魂に、広宣流布に生き抜く「誓い」の炎を点火するのは、わが命を賭した闘魂の炎しかないのだ。
3  スタートから約半年が過ぎた六月、私は、一期生に修了証書を授与するとともに、二期生への講義を開始した。
 この折、男子を「鳳雛会」、女子を「鳳雛グループ」と命名したのである。
 「名は体を表す」――。
 鳳雛は、やがて鳳凰となって、大空に羽ばたき、希望の時代の到来を告げることを、私は確信してやまなかった。
 師子の子は、やがて師子王となって、その師子吼で野干どもを震え上がらせる。野干とは狐の類である。
 わが弟子よ!
 広宣流布の前途の宝のすべてである、わが青年たちよ!
 君たちは、必ず新世紀の鳳凰となり、師子王となって、この不安と混迷の時代を、平和と幸福の時代へと、力強く回天せしめゆく英雄なのだ!

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