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日蓮大聖人・池田大作

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いざ創立75周年の大山へ! すべての勝利が広宣流布のため

2005.8.14 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

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1  私が青年時代から好きだったアレキサンダー大王を讃えた叙事詩に、こうあった。
 「勇敢な人びとに克服できないものは何もない」(ガルテールス・デ・カステリオーネ『中世ラテン叙事詩 アレクサンドロス大王の歌』瀬谷幸男訳、南雲堂フェニックス)
 深く胸に響く言葉だ。
 創立七十五周年の栄光へ、わが創価学会が、また一つ、広宣流布の大きい、大きい山を登る時が来た。
 「勝利は、わが迅速果敢な行動に在ったのだ」(ラス・カーズ『大戦回想録』3、難波浩訳、改造社)
 これは、かのナポレオンが結論した戦闘哲学である。
 人生は勝負だ。
 仏法も、また勝負だ。
 ゆえに、この一生、断じて勝たねばならない。
 勝てば幸福であり、負ければ不幸である。
 大切な人生である。何があろうが、最後に苦痛と悔恨を残してはならない。
 そのために、君よ、君たちよ、勝負の時を逃さず、断固として立ち上がれ!
 「一瞬たりとも失ってはならない」(エミル・ルドイッヒ『ナポレオン』下、中岡宏夫・松室重行訳、鱒書房)とは、ナポレオンのモットーであった。
2  日蓮大聖人は、「命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり」と仰せである。
 「一日」が宝である。
 いな、「一瞬一瞬」が、かけがえのない宝なのだ。
 今、一時間があれば、どんなに多くの友を励ませるだろうか。遺言の思いでスピーチも残せる。今、三十分があれば、どれだけ有意義な語らいができるだろうか。
 この五分があれば、必死のあの同志、この同志に揮毫を残してあげられる。
 この一分があれば、苦闘のあの友に伝言を託すことができる。この一秒があれば、目であいさつできる。
 だから、私は決めたのだ!
 意義ある一日一日を生きるのだ! 「今」を生き抜き、断じて勝つのだ!
 この八月六日で、私が小説『新・人間革命』の原稿の執筆を開始してから十二周年。いつしか、新聞への連載も三千百五十回となった。
 この連載を始める前に、私は「限りある命の時間との、壮絶な闘争」と書いたが、実際、今の私には、眼前の一分一秒が惜しい。
 今、小説をはじめ、多くの原稿に向かう胸から離れないのは、わが尊き同志の幸福であり、勝利である。
 すべての勝利は、広宣流布のためにある。
 友よ、断じて勝て! 友よ、断じて負けるな!
 私は、懸命に祈り、必死に呼びかけながら、次の五十年の完勝への指揮を執っている。
3  わが疾風怒濤の青春は、いな、わが波瀾万丈の生涯は、偉大なる師・戸田城聖先生と共にあった。
 その先生が、生命を削るようにして、私に峻厳に打ち込んでくださったご指導の一つは、「戦いは迅速であれ!」という鉄則であった。
 広宣流布とは、仏と魔との熾烈な闘争だ。邪悪との戦いに逡巡があってはならない。
 かのアレキサンダー大王を詠った詩には、「傲慢な人びとを粉砕せよ」(前掲『中世ラテン叙事詩 アレクサンドロス大王の歌』)と、烈々たる叫びがあった。
 戸田先生は、重大な革命児の使命を担いながら、一旦緩急の時に、惰性の心で出遅れた者がいたら、「『遅参其の意を得ず』だ!」と、それはそれは厳しかった。
 「まことの時」に、決然と立ち上がり、迅速に戦えるかどうかが、一切の勝敗を決するからだ。
 古代ギリシャの弁論家デモステネスは訴えている。
 「事をなすべき好機というものは、われわれののろまさと言いのがれとを待っていてくれるものではない」(「ビリッポスを攻撃する演説」1、中村善也訳、『世界文学大系』63所収、筑摩書房)
 リーダーは、絶対に臆病であってはならない。いかなる困難な激動下でも、厳然と指揮をとり、勇敢に先陣を切って戦い抜くのだ!
 「賢者には悲劇など存在しない。彼らがいると周囲でも悲劇は起きなくなる」(『限りなき幸福へ』山崎剛訳、平河出出版社)とは、ベルギーの詩人メーテルリンクの名言である。
                                      ◇
 広布史上に輝く五十年前の「小樽問答」も、まさに電光石火の戦いであった。
 雪の小樽で、わが学会婦人部の友が日蓮宗(身延派)の坊主と対面し、三月十一日に「法論」を行う話が浮上したのが二月下旬。
 その情報が学会本部にもたらされたのは、法論の一週間前の三月四日であった。
 戸田先生は、事態を把握されるや、直ちに決断された。
 「この法論は、戸田が引き受けた!」
 本来ならば、宗門が受けるべき問題である。だが、臆病な宗門は、矢面に立つことを恐れて逃げたのである。
 先生は、そんな醜態など歯牙にもかけず、学会が広布の全責任を担って戦うことを、悠然と宣言されたのだ。
 先生のご決意は、そのまま弟子の決心であった。
 よし! この勝負、断じて勝ってみせる!偉大な日蓮仏法の正義を、わが創価学会の真実の力を、満天下に示しきってみせる!
 戦う勇気が、五体に満々とみなぎるのを感じた。
 広宣流布とは、いかなる戦いであれ、自分が勝利の全責任を担うのだと、決然と一人立つことから始まるのだ。
 当日まで、わずか一週間の短期決戦である。
 しかし、「必ず勝つ!」と決めた弟子の闘魂は、激戦にこそ燃え上がった。
 迅速にして繊密たれ!
 細心にして大胆たれ!
 先手先手で攻め抜け!
 限られた一日一日は、青年の勇気と智慧の行動の大舞台となった。勝利の突破口を開く、雄々しき執念と攻撃精神がみなぎっていた。
 そして、あの三月十一日、私の司会で始まった法論は、歴史的な大勝利を勝ち取ったのである。

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