Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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青春の思い出 大仏法を奉じた青年は世界一の富める者なり

2005.7.18 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

前後
1  これは、妻と懇談をしながら、友人たちに語った記憶である。
 ――終戦より二年、十九歳の年のことであった。
 「日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富る者なり」の御文を拝して、貧しき私は、大聖人門下として、この大仏法を奉じたゆえに「世界一の富める者なり」と確信し、あまりにも嬉しき感動を覚えたものだ。
 これまでも、幾たびとなく語ってきたが、戦争中、四人の兄は、全員、中国などの戦線に送られた。長男は喜一。次男は増雄。三男は開造。四男は清信である。
 軍国主義の真っ盛りの時代であった。
 私は肺病であり、やせ細って、栄養を十分にとることもできない、暗い青春であった。老いたる母は、「早く戦争が終わるといいね。戦争なんて本当に嫌だね」と、小さい体を震わせながら、よく言い放っていた。
 今でも、その時の母の悔しそうな叫びが、私の全身から離れない。
 父親も、働き盛りの四人の我が子を、国家の命令で戦線へ送り出され、無言のまま悔しさを堪えていた。
 父はリウマチという病気と闘って、人生の最終章をば、苦しみと悲しみと無念の思いで送っていた。その可哀想な姿も、今もって私の胸から離れない。
 終戦の年の昭和二十年には、まあまあ立派であった蒲田の糀谷二丁日(現在の大田区内)の我が家も、空襲による類焼を防ぐために、取り壊され、強制疎開させられることになった。
 その通知を受けて、両親とも、無言ではあるが、最大の抵抗の気持ちであったことが、私にも痛いほど伝わってきた。
 壊されていく我が家を、父と母は、じっと涙をこらえながら、見つめていた。この姿も、私の脳裏から一生涯、絶対に離れない。
 ともあれ、両親の弱り切った姿を胸に秘めながら、この仇は、いつの日か、断じて討ってみせると、青春時代に私は固く決意した。
 我が家は、馬込の叔母を頼って移り住んだ。
 当時の馬込は、のどかな、非常に静かな地域であった。
 特別に、母屋につなげて一軒家を造らせてもらった。
 しかし、やっと叔母の家に、たどり着くように引っ越して、明日からは皆で暮らせるという五月二十四日の夜のことである。
 突然の大空襲で、運悪く焼夷弾が直撃し、完成したばかりの家は全焼してしまった。
 私たち家族は、裏山にある防空壕に逃げていた。
 その際、病弱な私は、弟と力を合わせ、火の中から無我夢中で、我が家の大切な書類の入っている鞄と、大きな長持ちを運び出した。
 父が「ありがとう。ありがとう」と言っていたのが、今でも耳朶から消えない。
 朝になって、その長持ちを開けると、入っていたのは、妹の雛人形であった。それだけが、財産として残った。
 我が家も、一家そろって、共々に幸福に暮らしていくべき人生を、暗黒の国家権力のために無惨に蹂躙され、一家離散と同じような状態にされてしまった。
 四人の兄は戦地へ駆り出され、長男は戦死した。今は、ほかの兄も、皆、亡くなっている。
 国家の命令で強制疎開させられ、愛する我が家を壊された時の父母の悲しそうな涙。
 やっと移転先に造った我が家も、焼夷弾で全焼……。
 これが、私の青春時代であった。
2  私はこの時より、権力者を軽蔑するようになってしまった。政治家は信用できないと思い込んでしまった。
 庶民ほど尊い、黄金の魂をもった人間はいないと思い始めた。権力者たちは暗く濁った魂であると、感じてしまったのである。
 そして、いつも権力者や政治家に利用されている貧しき庶民、多くの正直にして賢明なる庶民の味方になっていくことを心に決めた。
 十九歳の夏――昭和二十二年、大田区の糀谷で開かれた座談会で、私の一生の師である戸田城聖先生とお会いして、私の青春の決意は、いやまして固まっていった。
 私の考えは、すべて正しかったことが、確認されたからである。
 貧しき無名の一青年は、奮然として、決意も固く立ち上がったのだ。
3  私が入信した時、真言宗の深い信心家であった、厳格にして寡黙な父は、猛烈に反対した。
 「どうして、うちの宗教を継いでくれないのか」と怒鳴っていた。
 母は、この親子喧嘩が、どのように展開していくのか、悲しそうに状況を案じていたようだ。いな、可哀想なぐらい真剣に見つめていた。
 母は、父を大切にしていた。そして、子どもも大切にしていた。
 それだけに、夫に賛成していいのか、子どもに賛成していいのか、悩んでいた。
 今でも、その白いかっぽう着の、いじらしい働き者の母の姿が、目から離れない。
 その時の悩み苦しんでいた母の日々を思うと、私の胸は痛む。
 母は、私に、ただ一言、父に加勢するような格好で、「家にある代々の宗教を大切にすることが大事じゃないの」と、声を静かに言った。
 そして反対に、母は、父に向かっては、困り抜いた姿で一言っていた。
 「立派な戸田先生のもとで、勉強している大作の方が、正しい宗教かもしれないね」と。

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