Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「立正安国」の悲願  

2005.4.12 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

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1  戦おう! 民衆の勝利のために
 「この世から悲惨の二字をなくしたいのだ!」
 戸田先生の叫びが、今もって私の耳鼻を蹴れない。
 それは、先生の後半生――あの六十年前(昭和二十年)の七月三日に出獄され、師・牧口先生の遺志を継いで、焦土の東京に一人立たれてから、逝去の瞬間まで変わらぬ決心であられた。
 傲慢な軍国日本は滅び去ったが、敗戦の巷には、庶民の苦悩の声があふれ、慟哭の声が渦巻いていた。この不幸の根源の悪と戦わずして、民衆の本当の幸福はない。それゆえに先生は、「広宣流布する以外にない!」と、猛然たる正義の戦闘を開始されたのである。先生のご胸中を一言にしていえば、ただ「立正安国」の悲願であった。
 私が十九歳で戸田先生に初めてお会いした時も、先生は「立正安国論」を、烈々と講義なさっていた。思えば、教育改造という社会改革に立ち上がられた牧口先生も、「立正安国論」に強く共感し、日蓮仏法に帰依されている。
 日蓮大聖人は、こう「立正安国論」に認められた。
 「すべからく一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か
 自分一人だけの幸福など、あり得ない。自分も他者も、共に幸福に! まず社会の安穏を! 世界の平和を! そのために、何よりもまず一人ひとりの内面に、崩れざる「正義」の柱を打ち立てるのだ! そのために、勇気の対話だ。忍耐の対話だ。破邪顕正の言論戦だ。これが、正しい人間の理想の道ではないか。
 「立正安国論に始まり立正安国論に終わる」と言われる通り、日蓮大聖人の御一代の大闘争は、ひとえに立正安国の実現のためであった。創価三代の師弟も、「立正安国」の精神を、わが魂として戦ってきたのである。その根幹は、苦悩の民衆に同苦する慈悲であり、また、民衆を不幸に陥れる邪悪と戦う破折精神だ。
 「立正安国論」には、峻厳な破折の炎が燃えている。
 「悪侶を誡めずんばあに善事を成さんや」、「すべからく凶を捨てて善に帰し源をふさぎ根をたつべし」……。
 不幸の源を塞げ!世の濁乱の根を断て!「破邪」なくして「立正」はない。心の底から民衆の幸福を思うからこそ、勇敢に邪悪と戦うのだ。戦わないのは無慈悲であり、戦えないのは臆病である。
 なぜ、学会が発展したか。悪と戦ったからだ。声も惜しまず、正義を叫んだからだ。その戦いで、現実に民衆を救ってきたからだ。
2  日蓮仏法は、「宗教のための宗教」ではない。「人間のための宗教」である。
 ゆえに、学会は、民衆一人ひとりに豊かな「生きる力」「生きる意味」を与え、現実社会のあらゆる分野に果敢に打って出たのだ。
 「政治は、われわれの運命である」――ナポレオンがゲーテに贈ったというこの言葉こそ、現代の最重要な思想だと指摘したのは、″欧州統合の父″クーデンホーフ・カレルギー伯爵であった。
 「何となれば、われわれの個人的運命は、政治の発展如何によって大いに左右されるからである」(『クーデンホーフ・カレルギー全集』2、鹿島守之助訳、鹿島研究所出版会)
 政治を″自分には無関係″と傍観するのは、結局、自分の運命を他人任せにしてしまうのと同じである。ゆえに、戸田先生は叫ばれた。「青年は心して政治を監視せよ!」と。
 それは、今日の民主主義社会に生きる市民として、当然の行動であろう。
 民衆詩人ホイットマンは「民主主義の真髄には、結局のところ宗教的要素がある」と喝破した。一個の人間の尊厳性を信じる″宗教性″に依拠してこそ、民主主義は画竜点睛を縛るのだ。ところが、″なぜ宗教者が政治に関与するのか″″政教一致ではないか″などという、一つ覚えの的外れの中傷がいまだにある。
 信教は自由だ。政治参加も自由だ。みな憲法に保障された権利だ。宗教法人の政治活動も、何も問題ない。戦前の″国家神道″のように、国家と宗教が制度として一体化した″政教一致″とは、まったく別物であることは一目瞭然である。
 それを知りながら、一致、一致と、あたかも宗教団体が政治に関与し、政党を支持することが″悪″であるかのように喧伝するのは、まさに宗教弾圧のデマである。下劣な根性には、どんなに崇高な精神や行動も、政略や欲得にしか映らない。
 学会は「政治だけ」に関わっているわけではない。彼らの偏狭な理解を遥かに超えて、あらゆる分野に世界的な広がりがあるのだ。教育にも、文化にも、平和にも、草の根の国際交流にも、災害の救援活動にも、さらに地域貢献にも、みな勇んで関わっている。
 わが同志が、日夜、どれほど真剣に、社会のため、人びとの幸福のために戦っておられるか!
 「学会の皆さんは、本当に熱心で、いつも元気ねー」
 感嘆する友人に、わが偉大な婦人部が語ったそうだ。
 「そう、元気よ。だって、この社会の未来を本気で考えたら、黙って傍観なんかしていられないじゃない!」
 ともあれ学会員は、日々たゆみない活動の上に、社会の改革を願い、政治参加の権利である選挙にも、誠実に関わっているのである。
3  戸田先生は、第二代会長に就任して三年後、政治・経済・教育など、社会の各分野に有為な人材を送る、「文化部」を新たに設置された。この翌年の昭和三十年(一九五五年)四月、統一地方選挙が行われた。ちょうど五十年前のことである。
 当時、国民の″政治不信″は募るばかりであった。ある政党は大企業の資本家ばかり擁護した。ある政党は大きな労働組合の利益ばかりを優先した。しかし、派手な政治対立の谷間で、組合もない小さな町工場で働く大多数の庶民は、政治の恩恵から置き去りにされた。民衆不在の日本政治の悲惨な現実があった。戸田先生は激怒された。
 「政治家は何をしているのか! 庶民がかわいそうではないか!」
 どんなに民主主義の看板を掲げようが、庶民の苦悩の声を聞こうともしない政治は、インチキだ。民衆の声に応答しない政治は、自らの責任を放棄した敗北の姿だ。
 日蓮大聖人は、幕府権力者・平左衛門尉に、「あなたは『万民の手足』ではないか。この国が滅びんとするのを、どうして嘆かずにいられようか」(御書一七一ページ、通解)と厳しく諌められた。
 民衆が根本である。民衆が主人である。民衆の幸福が目的である。そのために民衆が立ち上がり、民衆の手に政治を取り戻すのだ! 
 ここに、日本の政界にも人材を送り出す、最大の焦点があったのである。
 五十年前(一九五五年)の四月、選挙戦も始まっていたある日、私は、戸田先生に呼ばれ、東京都議選(大田区選出)と、横浜市議選(鶴見区選出)の支援の総責任者に任命された。
 青年が突破口を開け! 青年が全責任を持て! 文化闘争の「初陣」への、先生の期待は大きかった。
 だが、事務所を訪れてみると、候補者も、支援担当の幹部も、世間的な皮相の活動に流され、浮ついていた。当時の腐敗した金権選挙の風潮に、不安をいだいている人もいた。本来、我らは、その汚れた政治を変えるために立ち上がったのだ!
 「宗教心ナキ改革ハ皮相なり、勇気ナキナリ、元気ナキナリ」(『田中正造全集』11、岩波書店)とは、明治の思想家・田中正造の断言である。その燃え上がる信仰を、我らは持っているではないか!
 私の心は熱く燃えた。仏法は勝負だ。戦う以上は断じて勝つ! 妙法を胸に、全人類の宿命転換へ立ち上がった民衆が、いかに崇高で、いかに偉大な力をもっているか、日本中に示してみせる!
 我らの武器は、どこまでも誠実な対話であり、勇気の対話である。仏法者としての社会的使命に目覚めた、民衆の団結の力で勝つのだ!
 私は、多摩川を渡って往き来し、徹底して同志を励ましながら戦い抜いた。結果は、いずれも最高当選――「初陣」の民衆は、美事に大勝利を飾ったのだ! それまでの日本になかった「新しい民衆運動」の、堂々たる第一歩であった。
 その挑戦が、傲慢なる既成勢力からの嫉妬と反感を呼び起こすのは、もはや必然のことであった。今も方程式は同じである。それは、「立正安国」への戦いは、民衆を侮蔑し、隷属させる「権力の魔性」との戦いであるからだ。断じて恐れるな! 断じて負けるな!
 この戦いのなかから、民衆が勝利に輝く人間世紀が、晴れ晴れと始まるのだ!

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