Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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新しき若き同志の拡大  

2005.2.4 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

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1  青年の可能性に限りなし!
 詩聖タゴールは、若き魂に呼びかけられた。
 「若い国民よ、来って
 自由のための戦いを宣し
 不屈の信念の旗をかかげよ」(『タゴール詩集』山室静訳、彌生書房)
 いつの時代も、青年こそ、自由のための旗手である。
 青年が掲げた旗のもとに、人類は進歩していくのだ!
 それは、ちょうど百年前の一九〇五年、スイスで「科学の革命」が起きた。アインシュタイン博士が、「特殊相対性理論」「光量子の理論」「ブラウン運動の理論」という三つの論文を完成させたのである。いずれも、物理学の概念に大転換をもたらす革命的な理論であった。
 当時、博士は二六歳。スイス特許局の無名の役人であった。ユダヤ人ゆえに就職差別もあったのか、望んだ研究室の助手にもなれなかった。しかし、特許局の技師として、特許申請の書類を扱うかたわら、思索・研究を続け、偉業を成し遂げたのである。
 彼の生涯には、多くの非難があった。中傷があった。しかし、あの非常識な連中の裏切りは、永遠に自分自身の恥辱として刻まれると、彼は心の中で思っていた。
 ともあれ、無名の青年の中に、無限の可能性がある。ここに、すべての未来の解決の鍵があるのだ。
 「雄大な発見は青年の仕事」(B・ホフマン、H・ドゥカス『アインシュタイン』鎮目恭夫・林一訳、河出書房新社)――後年、博士が友人に綴った言葉は、まさに正鵠を射ている。
 私の師匠・戸田先生も常々、語っておられた。
 「青年によってこそ、偉大な事業は成し遂げられる」
 情熱。理想。果敢。進取。大胆。不屈――こうした青年特有の気質こそ、大事業の基である。
2  大文豪シラーを見よ! 彼が革命の情熱を詩「歓喜に寄す」に託したのは、二十六歳。この詩に鼓動する高らかな青年の理想は、楽聖ベートーベンを突き動かし、不朽の音楽の魂を得て「歓喜の歌」となり、今なお人類に向上と躍動を呼びかけているではないか。偉大なシラーの成功を、多くの人が嫉妬した。誹謗した。
 しかし、信念の哲人の、次の言葉の如く、彼は悠然としていた。
 「嫉妬心は黒い血になって、正義の人をば、その異常な血でけしかける。
 だが、あの悪党の人間の集まりは、必ず全体が破壊し、崩壊するであろう」
 そしてまた、あのカレキサンダー大王を見よ!
 二十歳で即位した青年王は、およそ十年で、その巨歩を世界に広げ、遠く離れていた東西の文明を結んだではないか。私も、戸田先生から、「アレクサンダーの研究をしていくように!」と言われた。あの懐かしき恩師の声が、今もって忘れられない。
 重ねて戸田先生は、強く訴えておられた。
 「広宣流布の大事業は、新しい時代に応じた、新しい熱と力が、不可欠なのだ! それには、青年が立つことだ。青年の力を信ずることだ」
 この言葉を、戸田先生は、一生涯、力強く言い続けておられた。ああ、なんと嬉しき励ましであろうか!
 若き学会は、青年が青年を糾合しながら、飛躍を遂げてきたのである。新しい会員が、新しい友人に平和と幸福の種を勇敢に蒔き、大発展してきたのである。
 あの一九五六年(昭和三十一年)の″大阪の大法戦″も、その主役は、まだ名前も知らない信会員の方々であったのだ。わずか四年前の昭和二十七年に″妙法の一粒種″が蒔かれた大阪には、古参の会員は皆無であった。一カ月で一万一千百十一世帯という前人未踏の弘教が、新入会の友から友へ、歓喜の波動によって打ち立てられていったのも事実である。
 「不屈の確信に支えられた人間の意志が、克服できないように見える物質的な力よりもより強大である」(アブラハム・パイス『アインシュタインここに生きる』村上陽一郎・板垣良一訳、産業図書)
 このアインシュタイン博士の洞察を証明する奇跡を、関西の新会員は成し遂げたのだ。
 大阪だけではない。蒲田、文京、札幌、山口――若き日に私が指揮を執った戦いは、いずれも同じ原理であった。どこまでも「新しい力」を開拓することである。「新しき若き同志」を、偉大な人材にすることである。
 あの著名な大哲学者の言葉に、「私を正しく真剣に弁護した君を忘れない」とあった。そのような深き精神の連帯と友情を、私たちは各地に広げていった。
 そして、一九六二年(昭和三十七年)には、恩師の遺言であった三百万世帯の弘教を達成した。私の第三代会長就任から、わずか二年半の間に、新たに百六十万世帯の新会員が誕生したのだ。偉大なる宗教革命の歴史である。
 ともあれ、私は、来る日も来る日も全国を駆けめぐり、御書を通して、日蓮仏法の根幹を訴え続けた。同志の一人ひとりと出会いの歴史をつくった。質問会では、どんな問いかけにも誠実に答え、自由に語り合った。「悪党の奴らを言論の散弾銃で撃ちまくれ」と革命の詩人が謳ったように、声高らかに青年らしく叫び続けた。
 「正邪の選択は君に任せる。しかし、私は正義の道を歩む! 必ず、その意義が明確にわかるはずだ」
 私自身の体験から言っても、私の運命を逆転させたのは、正しき信仰であったことを明確に実感しているからだ。
3  「青春とは臆病さを退ける勇気、
 安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する」(サムエル・ウルマン『青春とは、心の若さである』作山宗久訳、角川文庫)
 その通りだ。ある世界的な詩人が残した言葉である。
 私は、この一文を、親しき友人に贈ったことがある。その友人は、今でもこの一文のままに勇気を忘れず、立派な信頼できる政治家になっている。
 勇敢である人が、真の信仰者だ。勇敢である人が、広布の勇者だ。そして、勇敢である人が、人生の勝利者だ。
 創価の父・牧口先生は、五十七歳で仏法と出あい、その心情をこう綴られている。
 「言語に絶する歓喜を以て殆ど六十年の生活法を一新するに至った」(『牧口常三郎全集』8)
 この信心の歓喜こそ、あらゆる拡大の源泉である。歓喜する新会員の心には、無限の可能性を開く力がある。喜びに溢れた友の一言は、百万言の理論に勝り、人の心を揺さぶっていくものだ。
 御書に、「随喜する声を聞いて随喜し」と仰せである。仏法では、法華経を聞いて歓喜した人が次々と教えを伝え、五十番目に聞いて歓喜した人の功徳さえ、無量無辺であると説かれている。一波から万波へ、無限に広がる歓喜の連鎖――それが広宣流布の実像だ。
 折伏は、どこまでも相手の幸せを祈っての聖業だ。新入会の友が功徳をつかみ、歓喜の中で学会活動に励めるようになって初めて、弘教は完結するといえる。弘教の拡大とともに、「幸福になった人の数」を誠実に競い合っていくことだ。新会員の幸福に尽くす組織は、活気に溢れて賑わう。限りなく崇高な、正確なる強い魂の爆発を起こす。

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