Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

「学生部の使命を讃う」   

2005.1.21 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

前後
1  新しき世界を諸君の力で!
 「人類に対する奉仕が目的のはずだと悟るように、若者たちには責任ある成長をしてもらいたい」(ウィリアム・ヘルマンス『アインシュタイン、神を語る』雑賀紀彦訳、工作舎)
 青年を愛したアインシュタイン博士は、大学教育に携わる一人の友に語った。
 「自分の使命に背を向けてはいけない。世の中の変革を助けるべきだ」(同前)
 私には、それが、二十一世紀を担う使命をもった、わが男女学生部への熱い期待の如く感じられるのだ。寒風の今日も、全国のキャンパスで、向学の炎を燃やしながら、そして、学友たちと対話を繰り広げながら、若き英才が奮闘している。
2  私も、君たちと同じころ、それはそれは苦学した。必死になって、学びに学んだ。敗戦日本の焼け野原の地獄の街で、私は、平凡な一人の貧しい青年にすぎなかった。古い価値観は大きく崩壊し、誰も彼も、暗闇に手探りの一日一日の生活であった。
 一九四七年(昭和二十二年)、私が十九歳で戸田先生に初めてお会いしたころは、読んだ本から感銘を受けた個所を、ザラ紙の雑記帳に書き留めるのが日課であった。
 勝海舟、カーライル、エマソン、石川啄木、ヘルダーリン、ダーウィン、プラトン、モンテーニュ、内村鑑三、ルソー、バイロン……。古今東西の名著、名作のなかから、手に入るものは片っ端から読みあさった。何から読めばいいのかと迷う前に、″嵐に揺るがぬ大樹″を求める若き魂は、精神の滋養を欲してやまなかった。
 少しずつ蓄えたお金を握っては、神田の古本屋へ飛んで行った。やっと望みの一冊を手にした嬉しさは、今なお懐かしい。貧しくとも、青春時代の探究心は、最高に幸福であった。難解な本だと、同じページを納得できるまで何度も読み返した。疲れ果てて帰宅した夜、本をめくるうち、そのまま引き込まれ、朝を迎えたこともあった。戸田先生の事業が暗礁に乗り上げた時も、向学の意欲が衰えることはなかった。
 「人は気力さえあれば、どこにいても学問を求めることができる」(『周恩来「十九歳の東京日記」矢吹晋編・鈴木博訳、小学館』)とは、かの周恩来総理が、若き日の日本留学中に記された覚悟である。
 「学び」は、自分自身との戦いだ。「力」は、苦闘の果てに勝ち取るものだ。それはまた、真の指導者に絶対に必要な条件なのだ。どんなに忙しかろうが、苦しかろうが、徹して学んだ者が勝利者だ。頭脳も肉体も、それらをひっくるめた心も、徹して徹して強く鍛えゆくことだ。その刻苦奮闘のなかから、君でなければ果たせぬ、偉大な「使命」が、必ず明確な姿を現してくるにちがいないからである。
3  私が若き日に愛読した文豪ゲーテは、悠然として、自分の敵の数は「一軍団ほどもある」と語っている。
 「まず第一に、無知ゆえの敵がいる」
 「つぎに、数の上では多勢いるのが、私を嫉妬する連中だ」
 「つづいては、自分の成功がたいしたものではなかったので、敵にまわった連中がいる」(エッカーマン『ゲーテとの対話』上、山下肇訳、岩波文庫)等々。
 正義の人は、必ず迫害の嵐を受ける。偉大な人生には、必ず嫉妬の攻撃がある――これは、私が青春時代に読書から学んだ真理である。
 古今の多くの偉人たちも、必ず迫害と中傷の波風を受けていた。いな、嵐のなかでこそ、偉大なる仕事を成し遂げていったのだ。釈尊、また日蓮大聖人も、讒言に次ぐ讒言、迫害に次ぐ迫害のご生涯であられた。
 獄死なされた牧口先生の口癖は――「大聖人の大難から見れば、自分の難などは九牛の一毛である」。そして、弟子・戸田先生は、「牧口先生の死の法難から見れば、自分自身の難など、九牛の一毛に過ぎない」と、幾たびとなく声を詰まらせながら語られていた。
 ともあれ、わが師・戸田先生も、牧口先生に続いて、敢然と正法正義を叫ばれながら、闘争また闘争の連続であった。
 事業が破綻し、窮地に陥った時、多くの弟子が逃げた。一人去り、二人去り、恩師を支えるのは、事実上、私一人となった。先生に大変お世話になりながら、状況が悪くなると、都合のいい弁解をして逃げる。ずる賢き保身であり、臆病な豹変であった。
 その揚げ句、恩師を「ペテン師」「詐欺師」等と、悪口する恩知らずもいた。「忘恩は悪徳のうちの最悪の悪徳なり」とは、私の胸の奥から離れていかない一節である。我が身かわいさに師匠まで平然と裏切りゆく、その忘恩の所業に、私は憤怒に震えた。
 仏法は「勝負」だ。
 この時、私は誓った。
 「師の正義を、断じて世界に宣揚してみせる!」
 師への報恩とは、弟子が勝つことだ。歓びの輝く勝利の無言の歌こそ、私の心に響きわたる。それが、日蓮仏法の正しさを、師の正義を、満天下に示しゆく道であるからだ。大学進学も断念し、師を守るために一心不乱の弟子を、師もまた、その生命を削って教育しようとされた。
 「俺が全部、教えてやるからな!」
 先生は、早朝の始業前のひと時、私のために、政治、経済、法律、歴史、漢文、化学、物理等々、百般の学問を、さらに教学の奥義を個人指導してくださった。戸田先生は、大学者であられた。その深遠な講義には驚いた。驚嘆した。
 これは、逝去なさるまで続けてくださった。日曜も祝日もなかった。このあまりにも崇高にして偉大な「戸田大学」が、今の私の土台となった。
 私が、「戸田大学」の卒業生の誇りを胸に、アメリカのハーバード大学など、世界の学術機関で行った講演も三十一回を数えた。また、これまで世界の英知の殿堂から、百七十に近い知性の宝冠たる名誉称号を頂戴した。全部、恩師と私の「師弟不二」の歓びの歌を歌いながらの勝利の証なのだ。
 君たちも、青春時代を大切にすることだ。真剣なる勉学と精神闘争の果てに、新世紀の「師弟勝利」の勝鬨を、断じて轟かせてくれ給え!

1
1