Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ソクラテスが戦ったもの  

2004.10.3 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

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1  「真実」は「偏見」に打ち勝つ
 先日、私は、将来の大指導者になりゆく青年たちと、師・戸田城聖先生の思い出を語り合った。一日として、戸田先生の指導も、振る舞いも、私の全生命から離れることはない。すべてが、戸田先生の生命を受け継いで、先生の大願に向かって、私は進んでいるつもりである。
 確かに、師弟は不二である。私は、本当に幸せを感ずる。師弟の峻厳な道にあって、後悔は一つもない。私の心は、晴れ晴れとしている。師・戸田先生は勝たれた。弟子・私も、厳として勝った。世界に広がりゆく、広宣流布の実像を見れば、それはそれは明白である。
 先生から毎日、私は教育を受けた。指導を受けた。訓練を受けた。温かくして厳しく、厳しくして無限の才智を発揮してくださる、天才の教育者、指導者に会えたことは、私にとっての、今世はもちろんのこと、永遠にわたる栄誉であり、勝利だ。
2  「悪口罵詈」(法華経四一八ページ)「猶多怨嫉」(法華経三六三ページ)は、法華経を弘めゆく勇者には、必ずあるものだ。「悪国」であるがゆえに、「魔性の世界」であるがゆえに、正義の人は必ず妬まれる。迫害を受ける。これが、歴史の常であり、世界史の常である。ゆえに、正義と大善のために戦いゆく人びとへの中傷非難は、その正義と大善の行為の証明なのである。素晴らしき賞讃なのである。
 ある朝、先生は言われた。
 「今日は、大作、ソクラテスについて語ろう!」
 ――紀元前三九九年、七十歳のソクラテスは″国家の認める神々を敬わず、青年を堕落させた犯罪者である″と告発された。まったく事実に反するにもかかわらず、彼は、票決で死刑に決定されてしまう。そして、毒杯を仰いで死んだのである。(『ソクラテスの弁明』田中美知太郎訳、『プラトン全集』1所収、岩波書店、引用・参照)
 その話をしながら、戸田先生は涙ぐんでおられた。その姿を、私は忘れることができない。弟子プラトンの『ソクラテスの弁明』で深く論じられている大事な問題を、戸田先生と私は語り合った。
 それは、法廷に立ったソクラテスが「弁明」を始めるにあたり、″自分が戦わねばならない告訴人は二通りある″と叫んだことだ。
 その一つは明快だ。「つい最近になって訴えた人たち」――ソクラテスを法廷に引き出した当事者である。具体的には、彼を告訴したメレトスという男であり、告発の黒幕とされる、政界の実力者アニュトスらである。
 では、もう一種の告訴人とは何ものか。それは「ずっと以前からの告訴人たち」――名も知れぬ多数の人間から、長年、ソクラテスが浴びせられてきた、嫉妬の中傷、誹謗、讒言のことであった。要するに、ソクラテスは、眼前の告訴人たちに反駁するだけでなく、この「影」のような敵意や偏見に立ち向かわねばならなかったのである。
 それにしても、ソクラテスが市民たちの反感を受けることになった理由は、一体、何だったのであろうか。その直接の原因は、長年の間、彼が多くの市民を相手に、誠心誠意、情熱を注いで繰り広げた「対話」にあった。
 では、なぜ、その「対話」が恨みを買ったのか――。それは、ソクラテスが対話した人びとのなかでも、自分はひとかどの知者だと鼻を高くしている者、また、世間的な名声にどっぷり浸かっていた者は、たちまち無知をさらけ出し、″見せかけの知者″だったことが暴露されるのが常であったからだ。
 ソクラテスは、相手が自らの無知を知り、汝自身に目覚めるように、真剣に対話を実践していったのであった。それによって、皆が真実の人間の大道を生きることができるからである。我らの折伏と同じ方程式である。
 ところが、それが人びとを震撼させた。多くの者たちは恥をかかされたと思い、嫉妬の逆恨みをしたのだ。
 御書に、同様のことをこう呵責されている。
 「自らの過ちを顧みない者であって、嫉妬するあまり、自分の目が回っていることを忘れ、大きな山の方が回っていると見るようなものである」(一四五三ページ、通解)
 ともあれ、ソクラテスへの激しい嫉妬は、まさしく彼が偉大な「知者」であることの裏返しの証明であったのだ。
3  「悪口、中傷をひっきりなしにこの舌先にのせ、それを世界各国のことばでしゃべりまくり、人々の耳に偽情報を詰めこむのがおれの商売だ」(『ヘンリー四世』小田島雄志訳『シェイクスピア全集』5所収、白水社)
 これは、イギリスの劇作家シェークスピアが、「噂」の権化に語らせた有名な言葉である。
 古代のアテネでも、ソクラテスの「偽情報」が、大衆の耳にひっきりなしに注ぎ込まれていたといってよい。たとえば、ソクラテスが讒訴される何年も前から、彼を揶揄し、中傷した喜劇も上演されていた。その劇中、ソクラテスは、いかがわしい研究をし、邪を正と言いくるめる詭弁を教えているなど、実像とは似ても似つかぬ姿に仕立て上げられていった。
 今でいえば、テレビや週刊誌で、面白おかしく嘲笑したようなものになろうか。悪意の噂、デマの類は、じわじわと人の脳髄を侵していく「毒薬」と同じだ。そうして、「偏見」「誤った固定観念」「悪のイメージ」等々を、大衆の心に植え付けてしまうものである。
 ソクラテスが、直接の告発者よりも「もっと手ごわい連中」と言った告訴人こそ、この姿の見えない「偏見」という敵であった。
 偏見は、時間がたてば自然に消えていくものではない。木っ端微塵に粉砕する、言論戦が絶対に必要となるのだ。偏見に気づいた人が、間髪入れず、その場で打ち破っていくしかない。誤りを正し、偏見の根を抜き取るまで、真実を叫び抜くことである。
 学会に対しても、私に対しても、十年一日、似たり寄ったりのデマや中傷が、繰り返し浴びせられてきた。たとえば、「学会は葬儀の香典を持っていく」という、有名なデマがある。最近も聞いたという人がいたが、それでは「いつ」「どこで」「誰が」やったのか、一つ一つ質していくと、具体的な根拠など、ただの一度も出てきたことはない。何十年も前からの、古典的、いや、化石的デマだ。しかし、何かあると、生き返った蛇のように、誹謗の鎌首をもたげてくる。このしぶとさこそ、偏見の根深さである。
 だから、民衆の魂の奥底に響きゆく、深くして強き「精神の革命」が必要となるのだ。それは、どこまでも、「一対一の対話」で、正義と真実を知らしめていく戦いである。仏法の方程式の縮図である。

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