Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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世界を照らせ 千葉の旭日  

2004.6.20 随筆 人間世紀の光1(池田大作全集第135巻)

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1  希望の蓮華よ 濁世に光れ
 人間と人間との仲間たちの親しき話し合いは、本当に美しいものだ。
 本物の苦楽を共にしてきた同志は、何よりも宝だ。
 共に苦しい試練を乗り越えながら、活気あふれる我が偉大なる千葉県で、戦いの人生を送りゆくことは、まことに不思議であり、幸福だ。
 千葉県!
 天地に輝き光る、なんと快い響きであろうか。
 「千葉県」と聞くと、人生究極の幸福の蓮の花が、大きく、そして気高く咲き薫り、妙なる葉脈の姿が、私たちの目を惹きつけてやまない。
 私たちには、深い目的で一致した同志がいる。その友情は固く、私たちは幾多の大きい曲がり角も、そして障害の多い道も、励まし合いながら悠々と進む。真の友情が輝く我らは、生き生きとした活動を続けながら、すべての戦いに勝ち続けてきた。
 おお、わが干葉の永遠の友よ!
 おお、自身の信念と決意を胸に抱きながら、四方八方に青春の戦いを共に続けてきた、真の友よ!
 ある時は、共に笑い、またある時は、共に泣き、共に悔し涙を滲ませながら、「広宣流布」という永遠の人生の勝利のために、戦いに次ぐ戦いを舞ってきた、この晴れ舞台の千葉を、私たちは決して忘れることはできない。
2  この「千葉」という名称は、「千葉の蓮華」に由来するといわれている。
 ここ千葉の地域には、古代から、蓮華の花が多かったようだ。これが、語源の有力な説である。
 有名な水戸光圀公(水戸黄門)の『甲寅紀行こういんきこう』という古い紀行文にも、「此の地に千葉の蓮花生ひ出づ」(『改訂 房総叢書』8所収、改訂房総叢書刊行会)との伝承が書かれている。
 また、『妙見実録千集記』という古文書には、「池田の池とて清浄の池あり。此の池に蓮の花千葉せんように咲けり」と記されている。この「池田の池」は、現在の県庁舎の辺りにあったとされる。
 なお駄弁であるが、私の本家は、東京の大森にいた以前は、昔の千葉庄の「池田郷」の付近にあったようだ。これは、ある一流の新聞記者が追究しながら、教えてくれたことである。古来、幾多の千葉の文献にも、「池田坂」や「池田橋」という名前や、「池田」という地名が見られる。
 ともあれ、わが家のルーツも千葉にさかのぼる。
 私自身、深い縁を感じ、故郷のような愛着を抱いてきた天地が、千葉なのである。
3  大乗仏教の真髄たる法華経にも、我らの千葉の意義に通ずる「千葉の蓮華」という文字が留められている。
 すなわち「爾の時に文殊師利は、千葉の蓮華の大いさ車輪の如くなるに坐し」(法華経四〇三ページ)とある。
 泥沼のような現実社会の真っ只中で、広宣流布に生きゆく菩薩は、大いなる「千葉の蓮華」に座すような幸福境涯を、自他共に悠然と開いていくことができるのだ。
 これが、法華経の絶対の約束である。
 あの世界的に名高いロマンの「大賀ハス」も、ここ千葉の大地から蘇った蓮華だ。
 ご存じのように、昭和二十六年、著名な大賀一郎博士が、検見川遺跡の泥炭層から、二千年前の蓮の種を、三個、発見した。そして翌年の夏七月、美事な開花に成功したのだ。
 奇しくも、この昭和二十七年は、日蓮大聖人の立宗七百年の大佳節に当たっていた。
 ″これこそ、旭日の昇るが如く、蓮華の大法が、全東洋、全世界へ広宣流布していく前兆であろう″――わが師・戸田先生の喜びは、あまりにも深かった。
 大聖人は、仰せである。
 「明るいことでは、日月にすぎるものはない。浄らかなことでは、蓮華に勝るものがあろうか。法華経は、日月と蓮華のように最極の法である。ゆえに、妙法蓮華経と名づけるのである。日蓮もまた、日月と蓮華のようである」(御書一一〇九ページ、通解)
 思えば、本州で一番早い初日の出は、ここ千葉である。
 大聖人に直結した、「妙法蓮華の当体」である千葉の同志よ!
 太陽の大仏法とともに、どこよりも希望に燃えて、勝利と幸福の「千葉の蓮華」を、この愛する国土に開花させてくれ給え!

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