Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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偉大なり創価の婦人部(2)  

2004.6.12 随筆 人間世紀の光1(池田大作全集第135巻)

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1  母は世界の太陽! 希望と正義と勝利の光
 ささやかな生活費も底をつき、ある時は、残ったお総菜を食べながら、それでいて、すべてを笑い飛ばし、名女優のごとく、生き生きと名舞台で振る舞いゆく生活の天才、大好きな母よ!
 最愛の夫を亡くしても、涙をこらえ、わが子のために、厳然と仏のごとく、菩薩のごとく立ち上がり、走り、戦う、あまりにも健気な庶民の王女よ!
 苦悩の涙を払いのけながら、決然と立ち上がりゆく、まぶしいほどの母の顔!
 これが、本当の人間勝利の実像だ。
 強き母よ!
 優しき母よ!
 美しき母よ!
 大好きな母よ!
 毅然と新しき、また新しき一族眷属の安全勝利の道を悠々と歩みゆく名優の母よ!
 そして来る日も来る日も、親しき友との連帯を強めながら、広宣流布の完成の道へと決意も爽やかに、家々の門辺を一軒また一軒と訪ね、美しい希望と栄光の未来を見つめながら、はつらつと生き抜く、おお、強き母よ!
 負けることを知らぬ母!
 屈することを知らぬ母!
 永遠に働きをやめぬ、いじらしき、平凡にして大非凡の母よ!
 若き母よ!
 老いたる母よ!
 この母たちにこそ、天から最高の賞を捧げたいと、ある大哲学者が謳った。
 これが、私たちの母だ。
 今は亡き母も!私の心の中には、生き生きと変わらぬ懐かしき母の姿がある。
2  王者よりも、偉い母だ。
 侯爵よりも、高貴な母だ。
 大博士よりも、智慧ある模範の母だ。
 いかなる国の英雄よりも、栄冠輝く母だ。
 母には、何の名誉もいらぬ。地位もいらぬ。いな、政治家たちは、自分は勲章をもらうけれど、無名な母たちには何も与えてくれない。
 何も欲しがらぬ母よ!
 何も与えてもらおうとせぬ母よ!
 慈愛のためならば、身をなげうって、正しき真実の犠牲の道さえ、深い光を見つめながら歩む母よ!
 ある国の哲人が言った。
 「母を苛めることは、最大の罪悪だ。母を苦しめることは、犯罪者よりも見苦しい」
 さらにまた―
 「母を悲しませる者は、人間として最低である。畜生にも、鬼にも似たる奴だ」とは、有名な小説家の声であった。
 あの母の笑顔!
 あの母の涙!
 そして、あの母の喜び!
 これこそ、幸福と平和と勝利の象徴なのだ。
 平凡にして無名の母は立ち上がった。
 家庭の小さな城を出でて、大きな社会の荒波の真っ只中に勇んで、力強く動き始めた。法則に適った躍動の生命となって、突き進み始めたのだ。
 平和のために!
 幸福のために!
 広宣流布のために!
3  母は、わが家の太陽である。いな、世界の太陽である。
 いかに暗き厳しい状況になっても、母がいると笑顔の満開の光が消えることはない。
 そこには、苦しい怒りの言葉もない。家のすみずみまでが、温かく生き生きと、希望輝く城へと変貌する。
 皆を喜びの空気で包んでくれる母の力よ!
 そこには、贅沢な見栄の仮面をかぶった人生などは、まったくない。
 「皆の生きゆく希望の感情を、静かに、そして強く、平等に調和させてくれる大指導者は、母である。父でも、兄でもなかった」と論じた著名人がいた。
 あの地味な母の微笑み! いかなる世界的名優も、かなわない。
 あの母の怒り! いかなる凄腕の検察官も、かなわない。
 それは、世界一の燃えた鋼鉄のごとき母の姿である。
 この母には、誰人も、いかなる地位ある人も、絶対に、かなわない。
 母は、常に正統派である。間違ったことを最も嫌う、正しい人生の模範である。
 その母を大切にせず、苦しめることは、最大の親不孝であり、いかに社会的に立派そうな姿をしても、心は狐であり、狸であると、言い切った詩人がいた。
 優しい花を咲かせてくれる母!
 魔法のごとく、安穏な幸福を創り上げる母!
 至高の喜びを与えてくれる一家の太陽である母よ!
 皆の心に、「生きる花」を、「希望の花」を、「勝利の花」を与えながら、大政治家のごとく「正義」と「義務」を教えゆく母よ!

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