Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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世界に輝く人間城・兵庫
2004.6.8 随筆 人間世紀の光1(池田大作全集第135巻)
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1
我ら正義の連帯に恐れなし
ロシアの文豪トルストイは、まだ学生だった頃のフランスの作家ロマン・ロランに、力強く書き送った。
「人類にとって善および美とは、人間を結合させるところのものです」(ロマン・ロラン『トルストイの生涯』蛯原徳夫訳、岩波文庫)
つまり「結合は善なるもの」であるのだ。
私は、若き友のロマン・ロランに書き綴った、トルストイの高貴なその目には、友情深き涙があふれていたであろうと、感動した。
晴れわたる希望の人生の歌を歌い、友を励ます――。その歓呼の叫びほど、美しいものはない。しかし、歴史は、この民衆が願い、勇んで、正義と平和の連帯を広げゆこうとする時に、いつも、そして必ず、激越な反動の火花を散らすものだ。その「善の結合」を破壊し、引き裂いていこうとする、極悪の敵対者が動き始めるのである。
広宣流布という大目的に向かいゆく仏法の指導者も、これまた極悪なる魔の働きを、鋭く見抜き、断じて打ち破っていかねばならないのだ。
仏典には、我々が仏道修行に精進する時、「
紛然として競い起る
」のが三障四魔であり、さらにいえば三類の強敵であると、厳しく説かれる。
「紛然」の「紛」とは、糸が絡まって乱れることである。入り乱れて、容易に見分けることができない……。これが、三障四魔の現れ方だというのだ。
ともあれ、いわゆる「魔」は、常識では考えられない、「まさか」「そんなはずは」というような、思いもよらぬ姿形をとって現れてくる。
そして、多くの人びとに疑惑を生み、恐れを抱かせ、燃え上がる信心の息吹を奪っていくものだ。さらに、正義の行動を止めさせていく作用である。これを「奪命者」と、仏法では断定している。
また、人を不幸にし、人の生きる力を奪う恐ろしき陰謀を企て、善を破壊し、善人の苦しむのを喜ぶ、卑劣にして陰湿な人間のことをいうのだ。
それは、常に側にいる。我々も幾たびとなく、このような連中の魔力を体験し、味わった。しかし、全部、勝った。
その魔に勝利するには、大聖人は、強き″信心の利剣″で打ち破れと、仰せである。
その通りだ。広宣流布に前進しゆく我らの前途には、これからもまた、仏法の方程式として、三障四魔、三類の強敵の暴風もあることだろう。
だが、すべてを断固として乗り越え、勝ち越えていく力が信心であり、恐れるものは何もないのだ。その厳然たる同志と同志の信心の連結、前進のまえには、広宣流布の太陽が赫々と昇り、暗い陰険な不幸と破壊の魔力は、消えていくのだ。
2
「この曲は、戦場に旅立つ父・大楠公と、後継を誓う子・正行の別れの情景をうたった曲です」
先月の本部幹部会――。
アメリカ芸術部の皆さんの素晴らしい演奏が終わると、私はピアノに向かった。
遠来のメンバーの真心に、そしてまた、全同志の日夜の大奮闘に、心から感謝と励ましを贈りたかったからだ。
この″大楠公″の曲を弾く私の胸には、いつも兵庫の友が光っている。父である戸田先生と、弟子である私たちとの、歴史の一頁を響かせていく歌であった。広宣流布への大戦闘、慈折広布の法戦の大勝利のために、私たちが先生と共によく歌った、懐かしき歌である。
♪青葉茂れる桜井の
…… ……
父は兵庫に赴かん
…… ……
父上いかに のたもうも
見捨てまつりて われ一人
いかで帰らん帰られん……(詞・落合直文)
ともあれ、先生は、この唱歌を、こよなく愛しておられた。
「もう一回、皆で歌ってくれよ」
「大作、もう一回、歌えよ」
こういう場面は、幾たびもあった。父が子に″早く生い立て″と願うような、先生のご様子であった。
私は、この歌の精神が、幾重にも広がって感ずるのだ。
3
それは、四年前(二〇〇〇年)の寒き二月、私は、七十五回目となる兵庫県への指導に訪れた。常勝関西が、永遠に「常勝」であるためには、兵庫が要であるからだ。「常勝兵庫」「常勝神戸」を完璧に築き上げることが、広宣流布の戦いの″急所″であると、決意していたからである。
私は、六日間の訪問中、その深き決心で、愛する、そして尊敬する、わが兵庫の雄々しき友と一緒に、広宣流布のために、前進また前進した。
この折、兵庫総会、およびアルゼンチンの国立ノルデステ大学から私への名誉博士号の授与式も行われた。会場は、神戸市の中央区のフラワーロードに面した兵庫文化会館、そして、隣接して新たに誕生した関西国際文化センターである。
あの阪神・淡路大震災(一九九五年)から、五年が過ぎていた。
私は、多忙な行事の合間を縫って、幾たびとなく、車で神戸市内を回った。
わが同志の勝利と御多幸を祈りながら、真剣に題目を送り続けた。
学会員が営む店舗にも立ち寄った。「宿命転換してみせます!」と、目を輝かせる姿が嬉しかった。
そのなかで私は、長田文化会館を訪れた。初めての訪問である。
それは、忘れることのできぬ、寒き二月の二十九日であった。
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