Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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世界が見つめる模範の静岡  

2004.5.31 随筆 人間世紀の光1(池田大作全集第135巻)

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1  戦え! 輝ける大偉業の完成へ
 その目的は、自分自身の完全なる使命を果たすことだ。そして、常に他人の幸福と社会の繁栄に尽くし抜くことだ。私たちは、狡賢き有名人といわれるような、盗賊の如き一生は、断じて送らない。貪欲な心の奴隷にはならない。常に気高い、真意と親しみのある友情をもって、立派に、そしてまた立派に、勝利で祝福し合う人生を創りたいのだ。
 私たちの生き抜く世紀!
 私たちの戦う世紀!
 その世紀は、正義と歓喜を待ち受けているのだ。
 「恩義も知らぬ、畜生の如き狡猾な心の人間は、私は大嫌いだ。それは、自己の安全のために人びとを陥れる、私利私欲の狡賢き本性の心があるからだ」
 これは、ある哲学者の厳しい言葉である。
 いかに深い恐ろしき苦しみがあったとしても、正義に生きゆく君は、厳格な自身の軌道をば、悠然と大胆に、自らの大偉業の完成まで、戦い、築き、歩みゆくことだ。その君の胸中には、常に明るい正義の光が輝いている。
 卑しい中傷非難など、眼中に置くな! それは、彼自身が自業自得で自分を苦しめる、悪魔の癖なのだ。
 陰謀と策略が渦巻く、悪口罵詈の嫉妬の時代を乗り越えて、君よ、光明の遍満する真実と正義のわが大道を、胸を張って進みゆくのだ。そこには、勝利があふれ、幸福なる豊かな湧き水が永遠に尽きない。
 君よ、人生の順序を正して、自分自身も見たことのない、豪華な、そして荘厳な図面を描き上げていくことだ。晴れ晴れとした、きらきらと光る大空に、自身の生命の永久に崩れることなき楽園を、築き上げていくのだ。
 暗い妬みの風など、吹き飛ばせ! 美しい君の魂には全く関係ない。あの物凄い恫喝の攻撃など、決して恐れるな! 彼らは、地獄の底から来って、地獄へ帰りゆく連中なのだ。
 気高き君よ、正義の君よ!
 勇気ある君よ、信念に生きる君よ!
 正しい人びとと共に、心美しい人たちと共に、勇敢なる凛々しき人たちと共に、スクラムを組みながら、そして楽しき愉快な人びとと共に、賑やかに勝利を叫びながら、歩んでいくのだ。私たちを陥れんとするあの馬鹿者など、相手にするな!
 「あれは獣だよ」と言った哲学者がいた。
 偉大なる使命のある君よ。
 最高の思想に生きる君よ。
 純正な勇気に光る君よ。
 輝かしき大業を築きゆく君よ!
 この天地で、巨人の如く、大きな強き心を持って、頭を上げて胸を張りたまえ!
2  五十年前(一九五四年=昭和二十九年)の春三月、私は静岡県の沼津を訪れた。私が支部長代理を務める文京支部の弘教で、この地にも正法流布の息吹は高まっていた。沼津駅前の銭湯の二階が会場となった、あの朗らかで楽しき座談会よ!
 私は、熱気に満ちた約二百人の輪の中に、ワイシャツ姿で飛び込んだ。その半数ほどが新来者であったようだ。
 この時が原点となって、静岡広宣流布の確かなる波動は広がっていったのである。
 同じ昭和一九五四年の三月末に、私は青年部の室長に任命された。その五月には、不可能と思われていた五千人の後継の青年の陣列を、静岡に大結集した。
 私は必死であった。沼津にも、関西からの帰途など、寸暇を惜しんで通った。
 マーケットの片隅で、肩を落として魚介類を売っていた老いたる母にも、真心の声をかけた。商売に行き詰まった同志と、帳簿を見ながら、一緒に生活設計への智慧を出し合ったこともある。
 午前三時半ごろの列車で帰京する強行軍の日もあった。深夜まで膝詰めで語り合った、若きあの顔、この顔を、今でも思い出しては、題目を送っている。
 一九五四年には四回、一九五五年には八回、一九五六年には六回、この沼津の天地を舞台として、私は戦った。
 一九五六年には、藤枝市の会合にも出席した。終了後に、少しでも皆を勇気づけられればと、「霧の川中島」や「田原坂」を舞った日も、懐かしい。私は手作りで、静岡の大地に、広布の砦を真剣に構築していったのである。
 静岡市、かつての清水布、焼津市、浜松市、掛川市、富士市、富士宮市、さらに三島市、熱海や伊豆方面など、静岡には、私と同志の共戦の歴史が、幾たびも、また幾重にも刻まれている。
3  世界的な写真家であるロバート・キャパ氏も、ここ静岡に足跡を留めている。
 それは、一九五四年四月。ビキニ環礁の水爆実験で被曝した第五福竜丸が、焼津に入港していたのである。
 しかし、そこで彼が撮ったのは、庶民の姿であり、ことに、子どもたちであった。
 「戦争」の残酷さと対決し続けた彼は、この民衆の「平和」を守るためにこそ、カメラを握り続けたのであろう。
 この折、静岡駅で日本人に撮ってもらった一枚が、彼の代表的な肖像写真となった。
 やがて戦火のインドシナに向かった口バート・キャパ氏が殉職したのは、翌月の五月二十五日。今年は、没後五十年でもある。
 私は、これまで、氏の実弟であるコーネル・キャパ氏(国際写真センター創立者)と、親しく交際をしてきた。
 ロバート氏の写真が、なぜ見る者の胸を打つのか。
 弟のコーネル氏は、被写体に一歩深く踏み込む勇気であると、語っておられた。ロバート氏は望遠レンズを使わず、戦場で三十五ミリレンズで撮影した。迫力ある写真を撮るためには、被写体に一歩でも二歩でも近づくことが不可欠であったというのだ。
 彼は真の勇気の人であった。銃弾が飛び交い、砲弾が炸裂する、あの恐ろしき戦場で「一歩前に踏み込む勇気」が全生命にみなぎっていた。その勇気ある闘魂で、戦争という巨大な悪魔と戦闘したのであった。
 これは、人生という戦場においても同じであろう。
 一歩の距離は小さい。しかし、その勇気があるか、ないかの差は、あまりにも大きい。いざという時に臆病になり、あと一歩を踏み出せない者は、勝利にたどりつくことは、絶対にできない。

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