Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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おお 常勝の大関西城!〈下〉  

2004.4.10 随筆 人間世紀の光1(池田大作全集第135巻)

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1  行動で綴れ! 凱歌の大叙事詩
 あまりにも有名な御聖訓に、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべ」とある。
 わが関西の同志と、幾たびも拝してきた一節である。
 一九五六年(昭和三十一年)夏の参議院選挙は、日本国中が燃え上がった。特に、大阪地方区は、東京地方区と並んで、最大の関心事となっていた。
 その大阪の支援の総指揮者は、私であった。
 私は、新しい平和と正義の大道を開くために、「必ず勝ってみせる」と勇んで戦った。
 戸田先生の「勝って、わが人生の歴史を残したい」と思われている心境が、私の心には痛いほど響き渡っていたからである。
 さらに世間では「絶対に勝てない。勝つわけがない」と、囂々たる中傷非難があった。あまりにも、会員が可哀想であった。
 幸福になるために信心し、社会建設のために立ち上がったのに、これほどの侮辱と罵倒を浴びせられる同志の悔しさに、来る日も来る日も、私の全生命は燃え上がる火炎の中へ入っていく心情であった。
 戸田先生は言われた。
 「嫉妬に狂った人間には、何を言ってもわからないものだ。真正面からぶつかって傷を受けることは愚かだ。わが道を行け! わが道を開け!」
 今でも、その言葉を忘れることはできない。
2  関西本部の常住御本尊には、「大法興隆 所願成就」と、お認めである。
 私は真剣に祈った。関西の「絶対の勝利」を信じて祈った。
 深夜の関西本部で、人知れず、丑寅勤行も続けていった。
 御聖訓には、「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」と仰せである。
 私は走った。走り回った。大阪中を、そして関西中を、師子となって走り、戦った。
 同志も皆、多忙のなか、真剣に戦った。真夜中まで走り抜いた。
 「休息は戦いのなかに存在する」(『スウェーデンの演説』木内孝訳、神無書房)
 このフランスのレジスタンスの闘士カミュの信念と一致する、友の奮闘であった。
3  アメリカの第三十五代大統領のケネディは語った。
 「人生のどのような領域であろうとも、われわれは勇気の試練に遭遇するのである」(細野軍治編『ケネディ名言集』講談社)
 その通りだ。すべては、勇気で突破する以外にない。
 かつて私も、ケネディ大統領の関係の方から、ご招待をお受けしたことが懐かしい。
 一九六三年(昭和三十八年)の二月、ワシントンで大統領と会見の予定となっていた。しかし、日本のある政治家の嫉妬の邪魔が入り、実現を見ぬまま、その年の十一月、大統領が凶弾に倒れられ、まことに残念な思いをした。
 その後、一九七八年(昭和五十三年)の一月十二日、弟のエドワード・ケネディ上院議員が、亡き兄に代わって、わざわざ私に会いに、聖教新聞社まで来てくださったことが、思い起こされる。
 かのケネディ大統領は言った。
 「つまらぬことにこだわっている暇はない。小さなことに文句をいったり、中途半ぱな手段方法で、ごまかしている場合でもない」
 「口先ばかり達者な人たちではなく、行動する人を必要としている。憶病な、いくじなしではなく胆っ魂の大きな人を必要とする時代なのである」(古幡公靖訳『ケネディ語録』しなの出版)
 ともあれ、わが大切な同志は、私と共に、大関西の庶民の常勝不滅の歴史を築いてくれた。庶民ほど強いものはない。聡明にして勇敢なる庶民の行動によって、凱歌の大叙事詩は綴られるのである。
 「知的に臆病であることが、人間を弱くする根本原因である」(『人類の一体性と教育』馬場俊彦訳、『タゴール著作集』9所収、第三文明社)とは、インドの大詩人タゴールの言葉だ。

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