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日蓮大聖人・池田大作

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「SGI」の尊き使命  

2004.1.21 随筆 人間世紀の光1(池田大作全集第135巻)

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1  人間の中へ 幸福の種子を!
 「闘争しているときが私にはもっとも快適であった。そのときには、私の思想は最大の鋭さを発揮した」(『ベルジャーエフ著作集』8、志村一富・重原淳郎訳、白水社)
 ロシアのベルジャーエフという哲学者のこの言葉が、私は好きであった。
 「闘争」即「充実」である。
2  「さあ皆さん、今日は何語でやりましょうか?」
 欧州のルクセンブルクでは、こう言って、座談会が始まるそうだ。
 ある日、喜々として集ったメンバーの出身国は、ルクセンブルクはもとより、ベルギー、フランス、ドイツ、イタリア、スウェーデン、ロシア、オランダ、韓国、日本など、なんと十二カ国であった。
 信念の強きわが同志は、どこの国でも本当に仲がよい。また良き市民として、それぞれの国の繁栄と平和を願いながら、わが人生と仏法の楽しき語らいを弾ませている。
 「座談会は国際会議以上の使命をもった、人類の代表の平和の集いだ」と、ドイツの若き学徒が賞讃した。
 このような会合が、今や世界中の百八十六カ国・地域に広がるSGI(創価学会インタナショナル)の同志の家々で、さらにまた、約八百もの海外の広宣流布の会館で、行われているのだ。
3  一九七五年(昭和五十年)の一月二十六日、わがSGIは発足した。
 グアムに五十一カ国・地域の優秀なる同志の代表が集った、人間主義の「平和会議」の時のことである。
 私が、恩師・戸田先生から託された、世界平和への飛翔を開始してより十五年――。
 当時は「東西冷戦」という世界を二分した対立の渦中である。人類を危機に追い込む、核の脅威が地球を覆っていた。それは、国家悪の魔性に翻弄されゆく愚行と敗北の象徴であった。為政者よ、人間を見失うな、生命の重さを忘れるな!
 私は、平和を願う切実な「声」を響かせたかった。人間と人間、民衆と民衆の連帯という拡声器を通して、世界に伝えたかった。
 ロシアの文豪チェーホフは書いた。
 「もし本当に人々のためになりたいと願うんなら、こんな狭苦しい、ありきたりの活動範囲からとびだして、直接大衆に働きかけるように努めなけりゃ!」(「わが人生」原卓也訳、『チェーホフ全集』10所収、中央公論社)
 この時、太平洋戦争で大激戦場となったグアム島の天地から、私たちは力強く宣言した。
 「二十一世紀を、最大に人間が謳歌される世紀――すなわち生命の世紀とする」と。
 そして、また、真実の平和の創出のために、政治や経済より強い力となるのは、生命の尊厳に目覚めた民衆の連帯しか絶対にない、と誓い合ったものである。

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