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日蓮大聖人・池田大作

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全世界の中国人の心をとらえた大文豪 金庸氏

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  波澗万丈である。
 「弱きを助け、強きをくじく」と言うと、小説のヒーローのようだが、金庸氏の人生そのものがそうだ。
 世界中、いずこに行こうと「中国人あるところ金庸の小説あり」と言われる大文豪。
 横町のおじさんから大学教授まで、中学生から老人まで、皆、貧るように、氏の武侠小説を読む。読者人口は何億人になるか、見当もつかない。ここにこそ「中国人の心の故郷」があるのだという。
 活躍するのは「義を見て為さざるは、勇なきなり」と信ずる面々。「義」を己が命よりも大事にして、悪人を見のがせず、みずから危険に飛び込んでしまう。民衆の中の英雄である。
 たとえば、権力をかさに着た腐敗役人を懲らしめ、″お尋ね者″にされる武人がいる。
 友を救うために、あえて大軍が待つ死地へと走る風雲児がいる。
 謀略により汚名を着せられ、憤死せんばかりに怒る義人がいる。
 大義と恋の板ばさみに苦悩するレジスタンスの指導者がいる。
 多感な少年が人生の激浪に鍛えられて、奔放不羈な英傑となる成長物語がある。
 ある青年は、夫ある女性を愛してしまい、苦悩する。しかし、彼女の夫が敵に囚われたとき、青年は彼女のために敢然と夫を救出に向かい、全身、火だるまになってまで戦うのである。
2  筋金入りの男たちを描く
 金庸氏が描くのは、信義の背骨をもった「筋金入りの男」の世界であり、彼らと運命をともにする「真情の女性」たちである。
 そのだれもが血の通った人間として描かれている十人十色、同じタイプの人間はない。
 そのうえで、氏は言う。
 「一番、書きたい人物像とは、苦境の中でも不撓不屈の精神で耐え忍び、万難を排して奮闘している人物です。なぜなら、これこそ、まさにわれわれ、中国人の姿だからです」
 そして、これこそ金庸氏の人生でもあった。
 金庸氏の本名は査良鏞さ りょうよう。一九二四年、浙江チョーチャン(せっとう)省のお生まれである。
 先祖も義人であった。金庸氏がもっとも尊敬する祖父・査文清さ ぶんせい氏は、清朝末期、県知事を務めていた。
 そのとき、丹陽タンヤンという所で、民衆がキリスト教の教会を焼き討ちする事件が起こった。教会は″西欧列強による侵略の手先″として憎まれたのである。
 焼き討ちの首謀者は処刑されかかった。それをかばって逃亡させたのが知事であった。知事は責住を一身にかぶって辞任した。「身を捨てて、民を救う」気概である。
 こうした先祖伝来の「気骨」が金庸氏の人生を貫いている。
 学校では成績はつねにトップだったが、二回、退学になった。
 初めは十七歳のとき、嫌われ者の訓導を風刺する文章を壁新聞に載せた。生徒は拍手喝采したが、退学処分。
 二回目は、二十歳のとろ。外交官をめざして、重慶の中央政治学校に入った。ここでも首席だったが、他の学生をいじめていた学生の横暴に怒り、処分を学校当局に訴えた。ところが逆に、自分が退学させられてしまった。
 やがて、香港で新聞(「明報」)を創刊してからも、招き寄せる波濤は重畳としてやまない。
 氏が私に言われた。
 「私はつねに、自分の主張を固く守ったために、あるときは暗殺の標的となり、生命の危険にさらされる重圧とまっこうから対決することになりました。しかし是非・善悪は明確です。私は決して、道理に合わない圧力に屈服することはありませんでした。
 私は自分に言いきかせました。
 『危険が迫り、恐怖を感じようとも、卑怯なまねをして退却してはならない。自分が書いた小説の英雄たちに、ばかにされないために!』と」
3  「命がけの男は百人力」
 氏の言うごとく、「命がけの男は百人力」である。
 氏のぺンは、剣であった。戦いのために、書いて書いて、書ききってきた。
 氏は、ご長男が亡くなったときでさえ、社説を書いた。書かねばならなかった。
 六二年、中国の大躍進政策の失敗で、香港に大量の難民が殺到した。氏は新聞で難民の援助を呼びかけ、みずからも救援活動に走った。
 六三年、中国の政治家が「ズボンはいらないが、核兵器はいる」と発言するや、「ズボンはいるが、核兵器はいらない」と反論。
 六六年、文化大革命が始まると、いち早く、その本質は「権力闘争」にあると見抜いて報道した。
 林彪りんぴょうの失脚を予測し、鄧小平とうしょうへいの復活や、江青こうせいの末路も、氏が社説に書いたとおりになった。
 「なぜ、こんなにすばらしい社説が書けるのですか」と問われて、氏は答えた。
 「独立の原則を保ち、いかなる誘惑にも威圧にも屈しないからです」
 まさに「大丈夫」である。
 「富貴も淫する能わず。貧賎も移す能わず。威武も屈する能わず。此れを之れ 大丈夫と謂う」(孟子)
 丈夫の志は、何をもってしでも変えることはできない。
 そして、氏の小説の人物は「ますらお」について言う。
 「恩と仇をはっきりさせるものだ」(『書剣恩仇録』〈一〉岡崎由美訳、徳間書店)
 中国の「ますらお」は、恩を受ければ、あらゆる手を尽くして、恩に報いる。恩人を傷つけられたり、悪意を向けられたら、相手を永遠に忘れない。だからこそ、善人は友になろうとし、悪人も下手な手出しができない。
 恩仇ともに、すみやかに忘れがちな日本人とは対照的である。

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