Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ノーベル平和賞の人権活動家 エスキベル博士

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  「アルゼンチンでは軍事政権(一九七六年~八三年)のもと、三万人もの人々が殺戮されました。誘拐や拷問といった手段によってです」
 エスキベル博士の講演に、創価大学の学生たちは、身じろぎもせず聴き入っていた。(九四年六月)
 自分たちの同時代に、そんな恐ろしいことが? 知識としては知っていた学生にとっても、体験者の証言は衝撃的だった。
 「もちろん、三万人が一度に殺されたわけではありません。一人、二人‥‥と消されていったのです。犠牲者が五人、十人、百人と増えていっても、社会は抗議の声を上げませんでした。その結果、三万人もの人々が命を失ったのです」
 ある日、突然、夫が妻が子どもが「行方不明」になる。「失綜者」をつくるのは権力の好智だった。
 国際世論を無視できない現代にあって、あからさまな弾圧はできない。ならば、政府にとって目ざわりな人間は、少しずつ、ひそかに「失綜者」にしてしまえば、あとは「政府とは無関係だ」と口を拭えばよい。
 要は″やっかいな連中から抵抗する力を奪ってしまえばいい。方法は問わぬ、ダメージをあたえられればいい″のだ。
 博士は書いている。
 「権力者たちは、人々の生も死も自分たちの手中にあるのだと思っていました」
 「母たち、家族や、祖母たちは、教会や労働組合、中央と地方の政府機関のドアを、繰り返し繰り返し叩きました。返ってくるのは、いつも同じ答えでした。『私たちは、彼らがどこにいるのかわかりません』『何か理由があるのでしょうね。何かをやったのですよ』と」
 犠牲者であるのに、「何か悪いことをやったのだろう」と悪人にされてしまったのである。
 そして、無関係の人々は、それを信じた。信じさせられた。多くの言論機関も政府に追随した。
 博士はこれを「良心の封じ込め」と呼ぶ。批判精神を奪われた人々は、良心の叫びを上げるよりも、「皆が、そう言っているのだから、きっと何か、わけがあるのだろう」「かかわりあいにならないほうがいい」と沈黙してしまったのである。
2  心は縛られない
 しかし、エスキベル博士は黙っていられなかった。
 被害者の家族と連携をとり、家族の返還を求める「母たちの行進」の先頭に立った。博士は、それ以前から、ラテンアメリカ各国の人権抑圧と戦っていた。キリスト者として自身の信仰にかけても、行動以外に道はなかった。
 七七年、博士は、いきなり逮捕された。逮捕状も裁判もなしに。
 牢獄。そこには暴力と暴言しかなかった。ふだんは化粧で隠されている権力の暴力性が、むきだしのままにあった。
 独房は小さく、四歩、歩くのがやっとだった。寒かった。割れたガラス窓に古い新聞紙を詰めたり、冷えきった体を叩いたりしたが、眠れなかった。しかも、看守が二時間ごとに起こしにきた。
 彼らの狙いは肉体的・心理的に人間を破壊することだった。看守は言った。「ここでは、お前は、ただの犯罪人であり、神でもお前を助けることはできない」
 体中にタバコが押しつけられた跡のある人がいた。長い間、目隠しされていたために、顔に跡が残っている人がいた。多くの人が精神に異常をきたしていた。博士にも電気シヨツクなどの拷問が続いた。
 博士は自分を叱咤した。
 「負けるな! 耐えるんだ! 強くなるんだ!」
 会見で、博士が私に言われた。(九五年十二月)
 「牢獄で私は学びました。極限状態にあっても生き抜く力、抵抗する力を。その力とは、精神の力であり、魂の力です。牢の中では、体の自由はききません。しかし、心は自由なのです。心は縛られないのです」
 博士は、耐えた。祈りながら──。
 一番耐えがたかったのは、人を殴る音と、苦痛の叫び声が聞こえ続けることだった。権力は人間を物体としてしか見ていなかった。
 博士は思った。「いったい、いつから、こんな社会になってしまったのか? いつから? それは青年たちでさえ、心が老い、自分の目的のためには楽な方法、要領の良い道を選ぶようになったからではないのか? 魂が死んでしまったからではないのか?」
 ″正義が欠落した社会″には底知れぬ危うさがある。
 日本の少年が、いじめられて自殺した。同級生の一人は悲しみながらも、つぶやいたという。「これでライバルが一人減った‥‥」
 その心の無残を指摘するのは、やさしい。しかし、指導層が何の節操も、何の正義もなく、欲望のみを追いかけている社会で、だれが彼一人を責められるだろうか。
3  青年よ、傍観者になるな!
 博士は、機械あるごとに叫ぶ。
 「青年よ、傍観者になるな! 参加者になれ。人生のドラマの主体者になれ。そして歴史の主役になれ。不正を見抜く批判力をもて。動き、そして人々と連帯せよ」
 だれかがやるだろう──そんな無責任は、自分自身の精神の敗北である。
 「変革は怒りから生まれる」と博士は信じている。ゆえに、もっと怒らなければならないと。
 そう、怒るべきなのだ。気高き人に石礫が投げられたなら。
 怒るべきなのだ。まじめに働く庶民が踏みつけにされたら。
 怒るべきなのだ。世界のだれであれ、人間を差別する者がいたならば。
 血を逆流させて怒れ、善意の人々よ。声を張り上げよ。嘘つきどもの拡声器よりも、もっと高く、もっと声をそろえて。「そんなことは、やめろ!」と。
 あきらめと無力感、人権を侵害されることへの慣れ──民衆の「心の空虚さ」ほど権力悪にとって都合のいいものはない。
 獄中の苦闘をとおして、博士は、キング牧師(アメリカの公民権運動の指導者)の言葉を、かみしめた。
 「最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。沈黙は、暴力の陰に隠れた同罪者である」
 かかわり合になりたくない──そういう道徳的無関心が社会にはびこるとき、悪は存分に黒い翼を広げることができる。傍観者は結果として、悪の共犯者になってしまうのだ。
 創価学会の牧口常三郎初代会長は、牢獄の中で、囚人に問いかけた。
 「悪いことをするのと、善いことをしないのは、同じか、違うか?」
 それは同じである、善と悪に中間はない、というのが初代会長の哲学であった。
 エスキベル博士は十四ヵ月後に釈放されたが、その後も、監視が離れなかった。

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