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日蓮大聖人・池田大作

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精神的連帯をめざす マヨール ユネスコ事務局長

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  子どもの絵には、何と不思議な力があるのだろう。
 パリのユネスコ(国連教育科学文化機関)本部で「世界の少年少女絵画展」が開かれたときのことである。(一九九六年四月)
 「間違いない、間違いない。ぼくの育った風景だ。なつかしい、ふるさとの絵だ」
 カンボジアの青年の声だった。彼は祖国に吹き荒れた虐殺の嵐をのがれて、難民としてフランスに来た。今は教育学を学ぶ身。しかし、ふるさとの山河は片ときも胸から離れなかったのだ。
 絵は百六十カ国から集まった。南アフリカの子どもたちも描いてくれた。しかし問題があった。
 長い間のアバルトへイト(人種隔離)のために、人種が違うと、子どもたちの暮らしも違いすぎた。
 クレヨンなど画具を買えない子も多い。治安が悪く、描く場所もない地域もあった。だが南アのSGI(創価学会インタナショナル)メンバーは、あきらめなかった。
 思いきって、子どもたちを一カ所に集めて描いてもらった。といっても居位区を離れて会場まで行くにも危険がある。そこで、皆で送り迎えをした。
 こうして、集まるには集まったが、長い間の差別と敵対の歴史がある。何より、子ども同士で言葉も通じないのに、どうなるのだろう?
 ところが子どもたちは、すぐに仲よくなってしまった。それぞれの言葉や身ぶり手ぶりで、にぎやかに一緒に作業を始め、絵を描き上げたのだ。
 メンバーは手を取りあって喜んだ。「これだ! ここに、この国の未来があるんだ!」
 こうして世界から集まった十万余点の作品は、どれもが「光」にあふれでいた。太陽が、青空が、雲が、大地が、海が、きょう生まれたばかりのように輝いていた。
 こんなにも自然はきれいだったのか。こんなにも人間は優しい顔をしていたのか。
 どれもが、生命の夜明けの歌だった。大空に伸びようとする朝の花たちだった。見た人は皆、元気をもらった。まるで森林浴に行ったみたいだった。
 そして、どの国の絵も叫んでいた。
 「みんな、友だちになろうよ!」「私たちは平和が大好き! お母さんが大好き!」「戦争したり、自然をこわすのは、やめて
 !」と。
 そして「きっと、あしたは、いい日だよ!」と。
2  希望のかたまり
 絵画展は、のべ十四ヵ国六十都市を回り、百五十万の人々が足を運んだ。
 「胸を揺さぶられました。やはり『世界は同じ一つの大空をもっている』のだと」(モンゴル「子どもの家」のドゥゲル園長)
 「世界の″民族調和の集い″に参加しているような崇高なひとときをすごさせていただきました」(ブラジル教育省サンパウロ州局長マルチンス・デ・サ女史)
 日本の七十歳の女性は「世界の平和を見せていただきました。涙が、涙があふれて‥‥。私の心に強く強く、楽しい音楽が響いてきました」と戦争の苦しみを身に刻んだ世代のお一人である。
 こんな声もあった。
 「子どもたちは天才だ。なんと明るい、すてきな世界でしょう。世界の大人が、この子どもの心を忘れなければ、最高に幸せな世界になることでしょう」
 なかには悲しい状況を描いた絵もあった。兵士の姿や、泥棒に拳銃を突きつけられている絵も。
 しかし、それでも、ほとんどの絵には不思議な明るさがあった。からだ中に燃えている「希望」の明かりが、抑えきれずに、あふれたかのように。
 「たとえ題材は困難を描いていても、そこに微笑みがあり、子どもは未来に希望を託しています。現実はどうあれ、子どもはいつも前向きの姿勢をもち続けている。その証拠が、この展示会です」(カナダ・オンタリオ州のラジャウ人権委員会副議長)
 そう、子どもは「希望」のかたまりである。どんなに算数が苦手でも、お父さんがいなくても、スラムの子と呼ばれても、みんな「伸びたい」「伸びよう」としている。
 その太陽の生命力こそ、世界を前進させる力である。
 大人の仕事は、「君の夢は身のほど知らずだ」と軽蔑することではない。「大いなる夢に向かつて戦え」と励ますことなのだ。
 絵画展は、ユネスコの後援をいただいている。
 マヨール事務局長も全面的に賛同してくださり、私に、こう強調された。
 「永続的な平和をつくるには何が必要か。多くの課題があります。私は、まず『心の変革』から始めるべきだと思います」
 場所は、私どもの関西国際友好会館(大阪)であった。小さな花の庭を、春の陽ざしがつつんでいた。(九一年三月)
 その庭で、事務局長の情熱も、春のように燃えていた。
 「戦争は、人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」
 ユネスコ憲章のあまりにも有名な冒顕である。
 しかし、それでは何をすればよいのか? 心に「平和のとりで」を築くための大理石は、どこにあるのか?
 それは「平和の文化」にあるのではないだろうか。「平和の文化」とは、「人間はだれもがすばらしい」と見る文化である。これを地球上の一人一人に植えつけることが、永遠の平和の土台であろう。
 私が世界の少年少女の絵画展を提案したのも、この「平和の文化」を、子どもたちこそが一番雄弁に語ってくれると信じたからである。
 世界には軍事の同盟もある。政治や経済の同盟もある。しかし、それらだけでは永遠の平和はない。
 「新しい形の連帯が必要です」──事務局長は言う。利害や政治情勢に左右されない「知的・精神的連帯」を、どこまで広げられるかが平和の鍵です、と。
 「大同盟が必要なのです」とも。国連、NGO(非政府組織)、ユニセフ(国連児童基金)、世界銀行などの諸国体が大同盟を組み、各国のリーダーの支援も得ながら、まず、地上から「読み書きのできない人」をなくさなければならない。
 そして、すべての子どもたちの「伸びたい」という希望に応えられる世界をつくらなければならない。
3  ″未来を奪う″大戦
 「教育の大同盟。私は大賛成です」と申し上げた。
 世界の指導者は、経済や軍事のためなら、すぐに集まる。しかし教育と文化のためには腰が重い。本来、子どもたちのことこそ最優先すべきであるのに。
 ある人は言う。「第三次世界大戦は、もう始まっている」と。それは目には見えにくい戦争。領土を奪う戦争ではなく、未来を奪う戦争。自分たちの子孫に「荒廃の社会」を残し、彼らの生活を破壊する戦争である。
 政治家をはじめ、自分の生きている間、否、自分の任期の間のことしか考えない多くの大人たちが、子どもたちから未来を奪っているのである。
 だから私たちは「無責任」と戦わざるをえない。二度と、ユダヤの少女のこんな叫びを繰り返さないために。
  わたしは生きたい。
  わたしは笑い、重荷をふりはらっていたい、
  そして闘い、愛し、憎みたい、
  そして両手で空をつかみたい、
  そして自由になって、呼吸し、叫びたい。
  わたしは死にたくない。いや!
  いやだ。
   (『ゼルマの詩集』秋山宏訳、岩波ジュニア新書)
 過去のことではない。今も世界の半分の子どもたちが中学校にも行けず、多くの強制労働と虐待にさらされている。
 そして″先進国″でも、年齢とともに希望を奪われ、あの瞳の輝きをなくしていく──「魂の殺人」が行われているのである。
 マヨネール事務局長はスペインの生化学者。グラナダ大学の学長や教育・科学大臣などを歴任され、八七年、第七代の事務局長に就任した。英米のユネスコ脱退後の難局のなか、精力的に「新しき連帯」を広げ、九三年、圧倒的支持で再選された。
 風貌は俳優のようにさっそうと、しかも、その手腕は堅実である。お父さんの遺言「本質を見抜くセンスを養え」のとおりに、複雑な状況のなかでも、何を優先すべきかを忘れない。
 そして現代が「本質的なこと」から目をそらし、逃げている風潮に警鐘を鳴らしておられる。
 そのとおりであろう。移ろいゆく雑音に惑わされまい。問題は、だれが人類の心に「平和のとりで」を築くのかである。どうすれば「とりで」が難攻不落になるかである。
 事務局長はSGIとの「平和への同盟」を、こよなく喜んでくださった。
 「SGIの運動は″正義のなかの平和″″自由のなかの平和″をめざしておられる。それはまさにユネスコの目的と一致します。平和とは自由への権利を意味します。そして、自由とは文化の創造であり、異文化を認めることなのです」と。
 平和には信頼が必要である。
 人間に絶望したり、人間を決めつけない謙虚さが必要である。
 そして「平和の同盟」とは、人々に「希望」という名の勇気をあたえ続けていく運動と言えよう。
 だから私たちは、子どもの「希望の力」に学びたい。どんな状況にあっても、「それは無理だ」と言わない生命の勢いに学びたい。
 子どもの絵が何と美しいことか。否、世界が、人生そのものが美しいのだ。
 子どもの絵には何と偉大な力があることか。否、人間に、いのちそのものに偉大な力があるのだ。
 東京展で、感想ノートに、こんな声があった。
 「子どもってすばらしい。だからきっと大人もすばらしいのかもしれない!」
 夢は年をとらない。夢みる勇気をなくさないかぎり、私たちは永遠に「元初の子ども」である。
 (一九九七年六月一日 「聖教新聞」掲載)

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