Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

トルコの国民的歌手 バルシュ・マンチョ氏

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  あの日、会場に、感動の海が揺れた。(一九九一年十一月十日)
 「ニホン、バンザイ!」
 「トルコ、バンザイ!」
 バルシュ・マンチョ氏のエネルギッシュな声に合わせて、数千のトルコ国旗が揺れ、創価学会の三色旗が揺れた。
 歌声は「魂の量」が違った。熱いハートが舞台からあふれ、大波のごとく押し寄せて、広い創価大学講堂を感動の潮でつつんだ。
 声に、信念があった。愛があった。深さがあった。対らかさがあった。
 その声の響きが、言葉の壁を超えて、氏の思いを雄弁に伝えた。
 汗の飛沫を飛ばしながらの揮身のメッセージ。
 それは民衆の自由をたたえる歌。抑圧に立ち向かう歌。
 悲しむ心には寄りそって″一緒に立ち上がろう″と手を取る歌。
 悩む人には友情をこめて″一緒に考えよう″と語りかける歌。
 人なつっこく、ときに激しく、人々の胸の扉をたたく、魂の叫び。
 ──突然、ステージからマンチョ氏が駆けおりてきた。マイクを手にしたまま、聴衆の中へ。会場は、わきにわいた。
 交歓の巨大なうねりに乗って、氏は、まっしぐらに私に駆け寄った。私も、がっしりと氏の腕を受けとめた。肩と肩を組んだ。
 氏は日本語で呼びかけた。「へイワノタメニ、ガンバリマショウ!」
2  皆は応えた。歓声とともに。旗の海が揺れた。オリエンタルな(東洋風の)ロックンロール。老いも若きも、文字どおり、心を揺さぶられていた。
 マンチョ氏も、あとから関係者に語られたという。
 「私の三十年間のコンサート活動で、こんなすばらしい体験は、大げさでなく、本当に初めてです。ナンバー・ワンです。
 全世界で公演しましたが、これほど温かく、友好的な聴衆は初めてです。夢のようにすばらしい方々でした。この出会いは、感動が大きすぎて、表現できません。
 トルコと日本の交流は、今までさかんであったとは言えませんが、今日のコンサートから大きな流れが始まったと思います。大変に光栄なことです」
 そして何度も「ソウカガッカイ、バンザイ!」と楽屋で叫ばれていたと聞いた。
3  この日の模様は、トルコのテレピでも放映された。
 氏のテレビ・ショー「七歳から七十七歳までバルシュ・マンチョとともに」は、その名のとおり、子どもからお年寄りまで、毎週日曜日、何と視聴率が七〇パーセントという国民的人気番組だという。
 イスタンブールで再会したとき(九二年六月一干日)、氏は語られた。
 「遠い国同士の私たちが、あれほどの友情を結びあえる姿、友情を生み出した場面に、トルコ中が感動しました。音楽と芸術が、距離を超えてしまった。反響が大きく、何度も再放送しました。
 (旧ソ連の各共和国など)ほかの国のトルコ系の人たちもテレビを見てますので、全部で一億人くらいが見ました。皆、同じことを感じたようです。
 まったく、バンザイ、バンザイ、バンザイです!」
 トルコの親日感情は古く、厚い。その三十年前(六二年二月)、イスタンブールを訪れた私も、「ジャボン! ジャボン!」と親愛の呼びかけで歓迎されたものである。
 「両国はアジアの両端」という意識なのである。言語の構造も似ている。

1
1