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日蓮大聖人・池田大作

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トルコ革命の心を継いだ セリーン アンカラ大学前総長

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  「私は小学校の先生を心から尊敬しているんです」
 トルコ・アンカラ大学のセリーン前総長は、初等教育こそ人間性の「基本のかたち」をつくる一番重要な教育であるとのご意見であった。
 「それでは初等教育のポイントは何でしょうか」。私は聞いた。
 「子どもの創造力を開発することであり、そのために『自信』をもたせることです。自分を信頼できるようにしてあげることによって、能力が伸びるのです。創造力を開くことができれば、あとはみずから学んでいけます。ただ、そのために具体的にどうすべきか。私には適切に教えられません。大変な仕事です。だから私は小学校の先生を尊敬するのです」
 大学の教授だから優れているのではない。一番むずかしい初等教育で苦心している人こそ偉い──この一言に、セリーン博士の深い人間観即教育観が、にじみ出ていた。
 簡単な言葉のようで、日本の「序列主義」という、ゆがんだ価値観を根底から揺さぶる人間主義が、ここにある。
 信じがたい話だが日本には、知能指数と″ふさわしい職業″の関係に序列をつけ、一番上のランクは大学教員や高級官僚、弁護士など、第二ランクは医師や中学校教員など、第三は保健婦、小学校教員などとした教育研究者がいたと聞いた。
 その上、大学にも序列があり、高校はランクが上の大学に多く入る順番に序列がつけられ、以下、人間をランクづけする「序列ピラミッド」が日本人の内面に、どっしりと腰を下ろしているようだ。
 もし、そうだとすれば、ピラミッドの頂上に行く、一握りの人間以外は、だれもが途中のどこかで挫折感を味わい、自信を失うほかない。これでは人間性がおかしくなるのは当然であろう。
 序列社会の行き先は、「民衆への優越感に毒された少数者」が「自信を失った大多数」を支配する社会となるのではないだろうか。そして他国までランクづけして、相手によって卑屈になったり、傲慢になったりする醜態を見せる。
 根本の人間観が間違っているのである。かけがえなき宝の生命に序列がつけられるはずがないのだ。
 セリーン博士の母校でもあるアンカラ大学を訪問したのは九二年である。
 首都アンカラは標高八〇〇メートルから一〇〇〇メートルという高原の都市。イスタンブールからアンカラ空港に降り立つと、大気が乾いて透明な感じがし、北海道を思わせた。
 遺跡の多い旧市街を過ぎると、整然たる近代都市が現れる。大学もとの地域に各学部が散在する。
 市街を見渡す高台に立つアタチュルク廟を表敬訪問した。国父ケマル・アタチュルク初代大統領を記念する壮大なモニュメントである。大理石の列柱が、アナトリア(小アジア)の澄みきった青空へ誇らしげに、そそり立っていた。
 初代大統領が敢行したトルコ革命。西洋における「ルネサンス」と「宗教配取」「科学革命」「フランス革命」「産業革命」を一代で成し遂げようとしたと、トインボー博士が特筆した世界史上の奇跡である。
 その原動力は──。
 初代大統領がまずしたことも、民衆に「自信」をあたえることであった。
 数世紀もの間、衰亡し続けるオスマン帝国。その富と国土を食いものにしようと群がる列強国。侵略者と手を結んで保身を図る支配者たち。民衆はパカにされ、利用され、踏みつけられてきた。
 長い間、劣等と言われ続け、否定され続ければ、だれしも自信を失う。自分の能力を発揮する気力も勇気も、なくなるにちがいない。
 国父アタチュルクは彼らに、うつむくな、顔を上げよ、と呼びかけた。諸君こそ国の宝なのだ。主人なのだ。頼りなのだ。光なのだ。
 同盟国の将校がトルコ兵を臆病、と侮辱したときは、彼は怒りに声をふるわせた。
 「トルコの兵士は断じて敵にうしろを見せません」「閣下、あなたがトルコ兵の背中を見たとすれば、それは、閣下自身が敵にうしろを見せたからですぞ!」(プノアメシャン『灰色の狼 ムスタファ・ケマル』牟田口義郎訳、筑摩書房)
 兵士が悪いのではない。指導者が悪いのだ。あなたが臆病だから皆が奮い立たないのだ──彼の胸には、民衆への愛と信頼が嵐の海のごとく渦巻いていた。
 宗教を利用する権力者と対立し破門になったが、平気であった。
 「背教者といわれ、あざけられ、十字架にかけられようと、それが何だろう‥‥。ただ一個の人間であることが必要なのだ‥‥。そうだ、強烈な信条に鼓舞され、確乎たる信念に生きる一個の人間であることが‥‥」(同前)
 トルコ革命は、この「一個の人間」をつくることに焦点があった。彼は、愛する民衆に晴ればれと胸を張らせたかったのだ。
2  「やればできる!」との喜びをあたえる
 独立後も「一日に一つ学校をつくることが抱負」であった。
 「教師と教育者のみが国家の救世主なのである」と叫びながら。
 新しい知識、新しい社会。
 彼は話し言葉に即した新しい文字まで考案し、みずから人々に伝えた。町から町へ、村から村へ、みずから黒板とチョークとともに回った。
 一人の農民が、大統領に直接、自分の名前の書き方を教わり、「わしは字が書ける!」と感激の叫びを上げた。大統領も農民を抱きしめて祝福した。
 「私も、やればできるんだ!」。この喜びの光景にこそ、教育の原点があるのではないだろうか。万人に、その喜びをあたえるための教育なのではないだろうか。
3  セリーン博士には、お会いしただれもがほっとする温容がある。絶対にいばらず、淡々とした誠実そのもののお人柄である。
 「私の力はどこからくるのか。それは友人からです。私も、自分のためには何もほしいと思いません。いつも他人のためになることだけを考えてきました。人間、きょうは良くても、あすはどうなるかわからない。だから人間はたがいに助けあうべきなのです」
 博士は総長時代、学生の援助のため、アンカラ大学基金をつくられた。このおかげで、ある学生は肝臓の手術をアメリカで受け、別の学生は脳の手術をスウェーデンで受けることができたという。
 「私が若者に言いたいのも『他人を助けなさい』ということです。エゴはいけません。目先のことではなく、長い目で、家族のため、社会のために尽くせるよう成長してほしいのです」
 博士は、日本での語らいでも「『一つのパンがあれば、半分は貧しい人に分かちあう』。これがトルコの国民性です」と教えてくださった。
 人間として、だれが「優れて」いるのか。それは人の痛みを分かちあえる「優しさ」をもつ人ではないだろうか。その人こそ「優秀」な人なのではないだろうか。
 ある人から聞いた。小学生のころ、貧しくて家庭訪問の日がいやだった。教師が来ても、出す座ブトンもない。母親が隣家から借りてきた。普段は見たこともない、お菓子も無理して用意した。しかし教師はその座ブトンに座ろうとせず、お菓子にも手をつけなかった。それでも母は、お菓子を包んで「どうぞ」と渡した。
 だが教師は、外へ出ると包みを捨ててしまった。それを少年は、じっと見ていた。拾って食べようかと思ったが、母親が頑として許さなかった。「そんなもん、さわったらいかん!」。あのときの母の悔し涙が何十年たった今も忘れられない、と。
 人の思い、子どもの悲しみをわからずして、どうして人間が育てられょうか。
 人間が機械になったかのように、心が心に通じない社会の不気味さ。問われているのは、日本社会の根底の価値観である。
 (一九九五年五月十四日 「聖教新聞」掲載)

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