Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ドミニカの民主の父 パラゲール大統領

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  小さな国から英雄が出る時代かもしれない。
 見るべきは、豊かさのランクよりも、人間としての位である。カリプ海の宝石ドミニカ共和国で、パラゲール大統領にお会いしたとき、私は思った。
 「私利私欲の多くの指導者と比べて、何と清廉、高潔か。人間としての格が違う。段違いである」
 「預金口座をもたない大統領」として有名である。俸給は余ったら国庫へ返す。福祉にも使う。
 中南米では″トップになれば何でも許される″という風習が、しばしば指摘される。しかし、パラゲール大統領は正反対。「だから、権力の甘い汁を吸いたい人間は大統領の失脚を狙うのだ」という。
 一九〇七年生まれという高齢。加えて白内障で光を失った身でありながら、行動力は衰えない。
 土曜、日曜には、ヘリコプターで三百キロ、四百キロと飛び、村を訪ねる。二十人ほどの集会で、一人ずつ現状や要望に耳をかたむける。全員が話し終わると、一人一人の名前を挙げながら具体的に答えていく。
 「ゴンサーレスさんは『自転車を二十台ほしい』とのことだったが、すぐに約束できるのは八台です。直ちに手配します。残りの十二台は政府で検討します」等々。
 驚くべき記憶力である。演説でも小数点以下二ケタぐらいまでの細かい数字が出てくる。頭にはドミニカ全土の地図も入っていて、「あの橋は××年に建設されたものだ」と老朽化を指摘し、新たな建設を命じたりするという。
 首都サントドミンゴ市、コロンブスが愛したこの町は「新大陸最初の都市」であった。最初の大学、最初の病院、最初の教会。最初ずくめの、中世のおもかげを残す町である。古びた白い壁が陽光を照り返していた。汗ばむ肌に貿易風が心地よかった。
 大統領府に着くと、パラゲール大統領が、名画に囲まれた執務室で歓迎してくださった。
 大統領は言われた。見えないはずの目が光っているように私は感じた。
 「大事なのは平和です。平和がなければ何もできません。平和とは戦争を避ければよいというものではない。必要なのは人類の連帯です。会長はじめSGI(創価学会インタナシヨナル)の皆さんは、民間人でありながら、世界の人間の連帯、愛情の連帯のために偉大な貢献をされています」
 私がうれしかったのは、ともに未来を語りあえる人に会えたからである。目は健康であっても、偏見やエゴイズムに両目をおおわれて、世界が見えない指導者は多い。
 大統領は詩人である。私は席上、大統領の詩を朗読した。私は、繁忙な生活を送る大統領に、せめて、ほっと心が和むひとときをもってほしかったのだ。
 大統領の耳には、毎日、予算のことや、面倒な課題が次々と入れられているにちがいない。それだけでは過酷である。目が見える人は、いつでも好きなものが読める。しかし見えない人は、だれかが読んであげなければ、自分の詩さえ読めないのだから。
 詩「自立」は大統領の若き日の作品である。
 「″泉は汝自身のなかにある″とルベン・ダリオは言った。それは魂の海の夢想をさまよう冒険家の精神だ。
 川の水よりもっと自由に、はめられた枠がなく、庇護してくれる人も、命令する人ももたずに、ぼくは生きたい。
 『ぼくのコップはとても小さい。それでも、ぼくはそのコップで飲む』。これが、ぼくのモットーだ。皆は、ぼくがいつか失敗するだろうという。しかし、ぼくは、ぼく自身へと向かっているのだ」
 あとから側近の人が言っていた。
 「本当にないんですよ。大統領があんな笑顔を見せることは。朗読を聞いていたときの、あの笑顔ほど、いい表情はなかった」
 大統領は十四議で詩集『月の光』を発表し、文学界に衝撃をあたえた。神童と呼ばれ、十七歳で文学賞を受賞。しかし大統領の偉大さは、優れた詩を書いたことだけではない。自分自身の人生で「詩を生きた」ことにある。
  わが人生を英雄的なドラマで綴ろう
  そして怒りをこめた気力を炎に
  わが心を燃え上がらせよう
 この誓いどおり、大統領の人生は祖国の民主化にささげられた。
 青春時代は、アメリカ海兵隊による占領期(一九二ハ年~二四年)である。本が好きで授業中に″盗み読み″していた少年は、詩文の世界だけでなく、現実の世界で、人間への愛を表現しようと立ち上がった。
 占領への反対運動。その雄弁は、「ドミニカで一番、説得力のある演説家」との評価を定着させた。
 大学はサントドミンゴ自治大学。しかし、ほとんど独学であった。大学から車で三時間かかるサンティアゴに住み、新聞社の校正係として働いていたからだ。授業には出られなかったが、試験前、三ヵ月だけサントドミンゴに行き、勉強した。そんな苦学のなかでも成績は優秀であった。フランスのソルボンヌ大学でも学んだ。
 占領を終結させたトルヒーヨ将軍が一九三〇年、大統領に。しかし彼は独裁者であり、六一年に暗殺されるまで、国を私物化するありさまであった。将軍の死の混乱のあと、パラゲール大統領が六六年に就任。ようやく民主ドミニカの建設が始まった。
2  自分が光になれば、この世に闇はない
 会見で私はたたえた。大統領が、サントドミンゴ自治大学の学生数を四千人から六万人へと増加させるなど、自由な人間による社会の発展を実現してきたことを。
 大統領がめざしたものは、「貧しき人々を蘇生させ、次の世代にも思想が語り継がれる『心のこもった革命』」であった。
 しかり。心がともらぬ「改革」など政治家の人気取りにすぎない。
 詩人。それは民衆の心とともに生きる人。民衆の鼓動とともに歌う人。
 詩人。それは宇宙の律動とともに歩む人。社会と人間の永遠なる宝を照らし出す人。
 ゆえに私は、本来、政治家はじめ社会の指導者は、詩人でなければならないと思っている。清冽な詩心が胸にわいていてこそ、卑小な現実に染まることなく、高邁な理想の実現へ突き進めるからだ。
 会見室には、ドミニカ解放の父ドゥアルテの肖像があった。彼の言葉に「幸福になりたければ、まず第一に正義の人であれ」と。
 パラゲール大統領は、失明という「死者の世界に埋葬されたような」不幸をも乗り越えた。そして晴ればれと、ドゥアルテの言葉の正しさを証明されたのである。
 暴風雨の人生であった。しかし大統領は書いた。
  何ものもわが旗を切り裂くことはできない
  柏の樹は折り曲げられても
  決して軋まず
  その枝にとまった鳥の囀りに耳をかたむける
 何という余裕。何と寛やかな心の空間であろうか。
 権威の位よりも、人間の位が尊い。
 大統領は、「わが墓石には、私の名前のみ刻んでほしい」と。そして「墓を訪れる人に望む言葉は一つ。それはただ『いい人だった』と」──。
 「よき人間であった」。この言葉こそ最高の勲章であり、賛歌であろう。
 私たちも生きたい。たとえ一人の人からであっても、「あの人の生きたように」「あの美しき人生のように」と慕われる一生を。
 どんな状況にあろうとも、自分自身が光になれば、この世に闇はない。そのことをパラゲール大統領は身をもって示してくださっているのである。
 (一九九五年四月三十日 「聖教新聞」掲載)

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