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日蓮大聖人・池田大作

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ヒューマニズム教育の人 ランジェル・マカオ政務長官

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  香港からポルトガル領マカオへは、一時間の船旅である。
 その日(一九九一年一月三十日)、風は温かく、青き海原に島影が優しかった。
 いにしえ、この海をはるかに渡り、万里の波濤を越えて、世界を結びつけた勇者たちがいた。大航海時代(十五~十七世紀)のポルトガル人である。
 同国人として、マカオのランジェル政務長官が言われたことがある。
 「ポルトガル人の気質は『愛』と『冒険』と『戦い』という言葉に象徴されます」
 大航海時代の前、ヨーロッパ人は海を恐れていた。地中海以外の外洋は″魔海″であった。しかし、ポルトガルの人々は、あえて未知への航海を志した。
 私の恩師戸田城聖先生も言われていた。「ポルトガル人の勇気は大したものだ」と。
 陸のシルクロードは、戦乱等で行き詰まっていた。「それなら海で!」。不屈の意志が、海のシルクロードを開いていった。
 かの国の詩聖カモンイスはうたった。
  なにごとも不可能事と思いなすな、
  欲すれば則ち成る、というからだ。(叙事詩『ウズ・ルジアダス』小林英夫・池上山岺夫・岡村多希子訳、岩波書店)
 ランジェル長官にも流れる、この熱き血潮で、彼らは世界を広げ、世界を変えた。彼らの東洋の拠点がマカオであった。ここから日本へも、西洋の先端の文化が届けられた。
 医学、印刷術、音楽、絵画、造船・航海術、天動説の天文学──魅惑の″南蛮文化″は戦国時代の日本にルネサンスをもたらした。
 ボタン、パン、タバコ、ビロード。今も日本語にポルトガルの言葉の遺産が生きている。
 カル夕、コンぺイトウ、ベランダ、マント、メリヤス、カッパ。日本を代表する料理テンプラもポルトガル語である。
 キリスト教の禁教による交流断絶まで百年間、マカオが日本にとって″世界への窓″であった。そして今、九九年の中国返還を前に、「二十一世紀のマカオ」が模索され、建設されている。その若きリーダーがランジェル長官である。
 船が桟橋に着いた。思いがけなく、長官がわざわざ出迎えに来てくださっていた。超多忙の方である。私は恐縮した。いつお会いしても「礼節の人」である。端正な紳士のお姿と、気どらない優しさが調和している。
 長官は四三年、マカオ生まれ。早くから秀才として知られ、リスボン大学、ケンブリッジ大学、ポン大学等で学ばれた。
 新聞記者が「話すことが、そのまま原稿になる人」と評する雄弁家である。学生時代から、ポルトガルを代表して各種の国際会議に参加され、スペインでの国際弁論大会では第一位の「ドン・キホーテ杯」に輝いている。
 初めてお会いしたのは、マカオ訪問の前年(九〇年)。英訳ならびにポルトガル語訳された私の著作を、すべて読んでくださっており、その勉強家ぶりに驚いた。海外の指導者は、じつによく本を読まれる。そのとき、こう励ましてくださった。
 「名誉会長が多くの行動を通して、世界に送り続けているメッセージは今、着実に人々の心に届き始めています。それは国家、民族等、一切の違いを超えて、人類が″地球人″として団結せねばならないというメッセージです」
2  人間教育への「愛と冒険と戦い」
 地球人として──マカオの国土は小さいが、鼓動する心は大きい。その歴史には、近代の東西交流史が凝縮されている。
 車窓から見る街並みも、中国文化の活気と、落ち着いた南欧の香気が溶けあう。
 赤、青、緑、黄の色ガラス。出窓には、思い思いの花の鉢植え。
 ゆったりとした空気のなかに、すべてをつつみ込むような寛やかさが漂っていた
 かつて、迫害された日本のキリシタンも、各国から閉め出された西洋人の商人も、飢饉や洪水を逃れた中国の民衆も、だれもがマカオをめざした。
 国籍や宗教を問わず、人々を寛大に迎え入れたのが、今、燦然と光を放つ「マカオの心」であった。
 マカオ大学での名誉教授就任式で私が述べた焦点も、この心をどう生かしていくかにあった。偏狭な民族意識、自国中心主義を、どう「人類意識」へと開いていくか。それには「ヒューマニズムの教育」しかない、と。
 時あたかも、湾岸戦争のただなかであった。
 ランジェル長官も、式であいさつし、訴えておられた。
 「人間教育に全力を入れなければ、私たちを待っているのは『醜悪な世界』でありましょう」と。
 長官は「教育の人」である。
 教職に就かれたこともある。また「街づくりは、人づくりから」「人こそ財産」の信念で、渾身の力を教育改革に注いでこられた。
 かつて、マカオでは高等教育を受けられる青年は、わずかであった。中国の大学へも門が閉ざされていた。奨学金も少なかった。
 「これでは、いけない」
 長官の奔走が始まった。それは崇高な「愛と冒険と戦い」であった。
 マカオ大学も八八年、私立大学から、長官が主席のマカオ基金会直属の公立大学となり、地元の青年が入学できるようになった。それまでは学費の関係で、多くが香港の学生であった。学費の半分以上を負担する制度もつくられた。
 職業教育、成人教育、通信教育を充実させ、初等教育の義務化も推進された。「人間という資源への投資をこそ最優先すべきです」
 この信条を長官は、創価大学の第四回「環太平洋シンポジウム」(九四年八月、マカオ)の基調講演でも強調された。
 「文化を政治よりも尊重すべきです。物質的豊かさだけを追い求めてはなりません。『精神の優位性』を尊重しなければ、全東洋は自分自身を喪失することになるでしょう」
 シンポジウムには十六カ国・地域の三十大学・学術機聞から識者が集った。シンポジウムの開催と成功自体が、長官の熱意の賜であった。
 講演で引かれた「人類を救おうという言葉は語り尽くされた。残るは人類を実際に救うこと」(ポルトガルの詩人ネダレイロス)の言葉のとおり、長官は「行動の人」であった。
3  短時間の慌ただしい滞在だったが、マカオの美は永遠に私の胸に刻まれた。
 私はひそかに「東洋のアテネ」と呼んだ。
 かの地は雄弁に証明していた。「異なる文明も共存できる」ことを。それは地球一体化へ、「第二の大航海時代」を迎えた人類への希望のプレゼントであろう。
 香港への海路をたどりながら、私は思った。大海が広がれば、その上を色とりどりの船が楽しく走れる小さな川や湖沼では、多様な船と人々を浮かべられない。
 この大海に当たるのが「地球人意識」であり、それを世界の津々浦々まで広げるのが、現代の根本の課題であろう。そのためには文化交流である。人間教育である。
 ランジェル長官は言われた。
 「私どもは役者です。演ずる舞台は、地球を二分する二つの地域(東洋と西洋)の大交流です」
 可能性の海へ!
 長官の温雅な風貌に、祖先の英雄たちの赤銅色の顔が重なった。
 (一九九五年二月二十六日 「聖教新聞」掲載)

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