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日蓮大聖人・池田大作

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体制を超えた人格の魅力 ホフロフモスクワ大学総長

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  タラップを降りると、春の日差しのような笑顔が待っていた。初めて会うのに、不思議に懐かしい温容であった。
 もう二十年以上も前になる。
 私のソ連初訪問で、真っ先に空港に出迎えてくださった方々の先頭に、モスクワ大学のホフロフ総長がおられた。(一九七四年九月八日)
 「池田会長、私たちの国を、じっくり見てください」──語らいは、空港ターミナルに向かうバスの中で、はやくも始まった。
 総長は当時、四十八歳。私より二つ年上であった。著名な放射線物理学者であり、引き締まった精惇な面持ちが、知性の力強さを表していた。
 そして、いつも絶やさない穏やかな笑み。それは総長の胸の奥からわいてくる、温水のような、人間への優しさであった。生き生きとした、他者への関心であった。総長の心は、いつも新鮮に「より高き」何かを求めて弾んでいた。
2  初訪ソで私は心に期していた。素朴と言われでもよい、ともかく人間に会うことだ。人間として、人間同士の友情を結ぶことだ、と。
 当時の日ソ関係は、凍てついた大地のようであった。米ソ関係も中ソ関係も、たがいを疑いながら、その不安を軍拡競争で埋める悪循環から脱しきれていなかった。
 日本人はソ連の人々の素顔を知らず、何となく怖い、冷たいというイメージが広められていた。
 そこには、さまざまな歴史的経緯もあった。しかし、それを強調しても何にもならない。不信感から不毛な対立を続けることは、こんな危険はないし、次の世代に対して無慈悲であろう。
 私は総長に申し上げた。「未来の世代のために、私は来ました」。総長は、にっこりうなずかれた。
 国家。民族。体制。イデオロギー。違いは違いとして、「違いがあるからこそ」積極的に近づくべきだと私は信ずる。
 私は「できることから始めよう」と決めた。ロシアの氷の冬に、一つ、一一つ、人家の窓の明かりが、ほっと安心をあたえるように、小さくともよい、友情の灯を灯してこよう。終わりがないかのように思えるシベリアの冬にも必ず春がやってくるように、少しでもよい、しっかりと、春の種を播いてこよう、と。
 総長にもこの信念を語った。
 私は政治家ではない。だれに頼まれたのでもない。それどころか批判ばかりであった。「今ごろ、なぜソ連へ行くのか」「宗教者が何のために宗教否定の国へ行くのか」「共産主義を認めるつもりか」──。
 私は、その三ヵ月前に中国も初訪問していた。中国の友人からもソ連へ行くなんて、とんでもないと非難された。六〇年代から本格化した中ソ対立は、このころには決定的になっていた。中国と友好を進める人はソ連と友人になれず、ソ連に近づけば中国への道が閉ざされる。概略的に言えば、そういう状況であった
 しかし、私には私の信念がある。どんな風圧があろうとも、平和のためには、だれかが突破口を開くしかなかった。
 こうして訪れたモスクワで、最初に、お会いしたのが、ホフロフ総長だったのである。これは私にとっても、日本の多くの人々にとっても幸運なことであった。それは総長を通して、「こんなにも立派な人格者がおられるのか」と、ソ連を見る目が大きく変わっていったからである。鉄のカーテンの向こうに、私たちと同じく平和を愛する、血の通った人間が見えてきた瞬間であった。
 モスクワ大学の展望台に立ち、私たちはモスクワの市街を一望しながら、「教育交流による平和」を語りあった。
 「わが創価大学は、モスクワ大学と比べれば、孫のような存在です。しかし二十一世紀には貴大学に匹敵する大学になって世界に貢献を、というのが私の夢です」
 総長は、私の目を見返して言われた。「大学の意義は決して大きさで決まるのではありません。創価大学には、全人類的価値を掲げる、すばらしい『建学の精神』があります。だからこそ私たちは真剣におつきあいしたいのです」
 そして、このとき、総長室で私は見た。壁に大きく広がる絵──三十二階建ての壮大なモスクワ大学の全景を、綴れ織に描いたゴブラン織であった。「これは大学の二百周年の記念に、北京大学から贈られたものです」
 ああ、少なくとも、ここには″壁″のない世界がある。教育の世界の友情の証だけは中ソ対立の嵐をも生き延びている。私は励まされる思いだった。
3  ホフロフ総長と約束した再会は、思いのほか早くやってきた。私の帰国から一カ月半後、総長が夫妻で来日され、創価大学にも来訪されたのである。
 ご夫妻は東京の創価学園にも来られた。(七四年十一月三日)
 学園生が出迎えるなか、夫妻は車から降りられた。エレーナ夫人の髪を風が揺らした。そっと手を添えて髪を整える気品ある夫人の隣で、総長は、あの笑顔で学園生に声をかけられた。
 「皆さんは日本の宝です」「英知の人材の集まりです」「世界が皆さんを楽しみに待っています」
 若い人の歓迎の心に心で応えたい、励ましたい、という総長の誠実を、その場のだれもが感じた。普通なら、ただ手を振って中に入ってしまうところであろう。人格の人は、行く先々で、忘れ得ぬ一枚の絵を描き出すものだ。
 翌七五年五月、私は二度目の訪ソを果たした。リンゴの白い花が咲きこぼれるモスクワ大学で、私は名誉博士号を頂戴した記念の講演「東西文化交流の新しい道」(本全集第1巻収録)を行った。
 講演のあと、「そうです。そのとおりです。精神のシルクロードを通わせましょう」。総長の一言は、当時の閉ざされたソ連にあって、深い決意がこめられていた。

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