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日蓮大聖人・池田大作

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普通人の政治 カールソン スウェーデン首相

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  何ごとも「人」で決まる。
 カールソン首相は、首相になられてからも、自宅からバスで通勤されたという。四十分かかった。
 仕事が深夜になっても、疲れていても、タクシーや公用車を使わず、地下鉄に乗り、バス停で行列に並び、帰宅された。
 二人の令嬢が独立されたときのこと。図書館司書のイングリッド夫人と二人で住むには、当時の家は大きすぎると、小さな家への移転をみずから決められた。首相は、もと住宅大臣でもあったが、市民と同じように、借家人として登録し、順番待ちをして三部屋の家に移られたのである。
 公私のけじめ──これほど指導者の真贋を、はっきり示すものもない。
 首相は、党の経費で来客と食事するときにも、必ず党の経理課に電話して許可を求められるという。(岡沢憲芙『スウェーデンは、いま』早稲田大学出版部を参照)
 ストックホルムの首相官邸。
 私が、「バス通勤」のことや、執務後の「マーケットでの買い物」にふれると、首相は微笑んだまま、淡々と答えられた。(一九八九年六月)
 「北欧諸国では『指導的立場にある政治家は、一般市民と同じ生活を営むように』との長年の伝統があります。これは非常に大切なことです。
 最近、スウェーデンでも、安全上の問題があって、むずかしくなってきているのですが、できるかぎり普通の市民として生活するように心がけています」
 官邸も、ものものしさ、いかめしさは、まったくない。シンプルで洗練された近代的オフィスとしての機能美を感じた。
 北欧のベニス──ストックホルムは十三の島をつなぎ、さらに内陸部へと広がった「水の都」である。
 会見の部屋は、官邸の七階。窓から望む初夏のメーラレン湖が美しかった。青空は、白いほど透明に澄んでいる。
 首相が「安全上の問題」と言われた背景には、前任のパルメ首相の暗殺があった。
 深夜、夫人と映画を見られた帰りに路上で撃たれたのである。「プライベートな時間だから」と警護を断っておられた。治安のよさを誇っていたスウェーデンにとって予想外の事件であった。(八六年二月)
 みずから平和運動の先頭に立って走ったパルメ首相の死に、世界が哀悼をささげた。
 政界は混乱した。しかし後継者は、すんなり決まった。「カールソン副首相しか考えられない」
 華麗な個性が光を放っていたパルメ首相と比べると、平和への信念を共有しながらも、カールソン氏は、地味と言われた。しかし、政策実行者としての実力と、その誠実さを疑う人は、だれ一人いなかったのである。
 私との会見前、報道関係者が待機していると、会見予定の五分前にカールソン首相が単身、入ってこられたという。そして、ちょっとはにかんだ感じで、一人一人と握手されたらしい。政治家にありがちな威圧感のまったくない気さくさに、だれも驚いたと聞いた。
 私も、お会いした瞬間、北欧の青空のような、さわやかな笑顔が目に焼きついた。少年の清潔感を残しておられる。
2  首相は地方の小都市ポロースの生まれ。お父さんは倉庫業、お母さんは繊維産業で働かれていた。
 十二歳のとき、お父さんが亡くなった。
 「大きなショックでした。幼いころ受けたその衝撃は、生涯、心から消えないでしょう」
 お母さんの手で育てられ、苦学して、ルンド大学へ。当時は、教育福祉も完成されておらず、大変な苦労であった。その体験が、「だれもが平等にチャンスをもてる社会」への夢に青年を駆り立てたのかもしれない。
 四年分の単位を二年で取得する猛勉強の一方で、政治活動のリーダーとして活躍された。そして「第二の父」であるエルランデル首相に見いだされたのである。
 エルランデル首相は、戦後の多難な時期、二十三年もの間、首相を務め、「福祉国家スウェーデン」を建設した。この「スウェーデンの父」を師父としたのである。
 偉大な師に出えた人は幸福である。
 東京で再会したとき(九一年三月)、カールソン首相は、師の教えの一つとして「政治家は、他の人、また他の政党に対して何かを要求するとき、自分がそれをできないようなことを、決して強いてはいけない」を挙げられた。
 簡明であって含蓄の深い言葉である。人格と責任感がにじみ出ている。これ一つ守っただけで、政界はどれほど健全になることか。
3  ガラス張りの政治
 スウェーデンが、高福祉の「生活大国」となるまでには、無数の試行錯誤があった。
 今世紀の初めまでは貧しい農業国で、三百五十万の人口のうち百万人がアメリカに移住したほどである。それが今、反対に、移民の殺到する国となった。
 「富をかせぐときは資本主義で競争を」「富を分けるときは社会主義で平等に」──旺盛な実験精神で、人類ず弼の「第三の社会」にチャレンジしたスウェーデン。東欧諸国が民主化したあと、めざすモデルとして、多くがスウェーデンを挙げたことは記憶に新しい。「生活大国」は、何度も危機におちいりながら、そのたびに英知をかたむけて改良を重ねてきた。
 たえざる改革を可能にしたのは「ガラス張りの政治」である。高福祉のための高税にしても、市民の納得に支えられなければ不可能である。
 そのために政府は、現状をありのままに市民に説明し、政策案を示して議論してもらう。「ウソ」がない。裏表がない。情報公開も徹底している。
 政治は「特別の人」の特別の仕事ではなく、よりよき社会のために、「普通の市民」が参加する普通の仕事である──とういう認識のもと、教育現場でも、現実政治を監視させ、そのときどきの政策をめぐって議論することも多いという。
 最近では、研究者を集め、「権力が正当に配分されているか否か」「不公正はないか」を、政界、経済界、官界をはじめ社会のあらゆる分野で点検している。(岡沢憲芙『スウェーデンを検証する』早稲田大学出版部を参照)
 「権力が権力自身をチェックする」|との厳しい自律の伝統が、世界島る民主社会をつくったのである。
 カールソン首相の清廉な日常を貫くのも、成熟した自律の精神であろう。権力の魔性に幻惑されない。何ごとも「それがはたして人間の幸福に役に立つのか」を検証する。
 この人間主義が、スウェーデンの平和政策の土台でもある。ナポレオン時代を最後に百八十年間、戦争をしていないお国柄である。
 パルメ首相、カールソン首相の平和行動もめざましい。つねに「小国」の立場から「大国」の横暴を批判してきた。それは「市民」の立場からの「権力」への批判と響きあっている。
 広島・長崎市とSGI(創価学会インタナショナル)が共催した″核の脅威展″(主催=国連広報局)がストックホルムで開かれたさい(八四年九月)、当時、副首相のカールソン氏が出席し、核抑止論を批判された。
 「ヒロシマ・ナガサキを思い起こせば、わかるはずです。われわれの安全は『核兵器に守られている』のではなく、『核兵器に脅かされている』ことが」と。
 ″専門家″の権威にだまされてはならない。なんと言われでも、普通人としての健全な良識を貫く。その勇気が民衆自身を守るのである。

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