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日蓮大聖人・池田大作

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人類の課題に挑むローマ・クラブ ホフライトネル会長

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  時は命なり──。一分たりともむだにしないのが、ホフライトネル会長の日常である。
 ともかく、よく動かれる。ローマ・クラブの第三代会長として、世界を東奔西走。(とうほんせいそう)「私の
 できることは『橋を貯けること』です」と、平和への、ネットワークをつくってこられた。
 時差も関係ない仕事ぶりであり、私はお会いするたびに「お体を大切に」と申し上げる。
 あるとき、会長は言われた。
 「『明日では遅すぎる。今日、何かしなければ』という危機感に突き動かされて、働いています。人類の直面している問題が、あまりにも大きく、深刻で、緊急を要するものですから。自分のしている貢献は、あまりにも小さい。人類のために、もっと何かしなければならない。そう思って、動いているのです」
 責任感──私は、人間の偉さを一言で言うならば、この言葉に尽きると思う。
 責任は、受け身の義務感ではない。自分が今、何をなすべきか、自分で決める。自覚の問題であり、信念と境涯の次元の問題である。
 「奴隷には責任は負えない」という言葉がある。自由を奪われ、強制で動かされている人間は、責任を負おうとしてもできない。
 自由な人間だけが、責任を自覚できるのである。
 どれだけ大きく深き責任を感じて生きているか。
 それこそ、その人が内面において、どれだけの自由を獲得しているかの尺度と言えまいか。
 ローマ・クラブ自体が、創立者ペッチェイ博士の「未来への責任感」から生まれた。
 だれに頼まれたのでもない。ぺッチェイ博士は、「物質主義に心酔したままでは人類は破滅する」との危機感から、一人立ち上がられたのである。
 ホフライトネル会長は「私はぺッチェイ博士の弟子と思っています」とされ、私とぺッチェイ博士との友情をそのまま受け継ぎたいと語られた。
 創立者を大切にし、創立者という原点をつねに考えておられることがわかった。
 ペッチェイ博士が私との対談集に選ばれたタイトルは『手遅れにならないうちに』であった。(日本語版は『二十一世紀への警鐘』読売新聞社。本全集第4巻収録)
 博士は言われた。
 「責任と慈愛をもって、次の世代に『生きる道』を準備してあげなければなりません」
 「そのために必要なのは『人間革命』です。人間革命のみが、われわれの内なる潜在力を開発させ、自分が本来はいかなる存在であるのかを十分に自覚させ、それにふさわしい行動をとらせることができるのです。
 人間革命のみが、コンピューターや人工衛星、エンジンや機械、原子炉や電子機器を、人類同胞や全宇宙と交わるために有効に活用する道を示せるのです」
 ローマ・クラブを一躍、有名にしたのは、リポート『成長の限界』であった。「地球の有限性」を訴え、人口爆発、資源枯渇、環境問題などについて警鐘を鳴らしたのである。
 それらの「複合した問題群」の解決の根本は、人々の利己的な行動パターンを変えるしかないとして、提唱されたのが「新人間主義」であり、「人間革命」である。
 「成長に限界はあるが、学習に限界はない」
 「外なる資源は有限であるが、人間の内なる富は無限である」
 「知識を生かす知恵の開発を」
 これがぺッチェイ博士の主張であった。
 一九八四年、亡くなる十二時間前まで口述された「今世紀の終わりへ向けての備忘録」の最後には、こうある。
 「『人間の開発』が、のつぴきならないものであるもう一つの理由は、この苦境を乗り切るためには、人類が今どこにいて、どこに行こうとしているのか。そして、そこに代わって、『どこへ行き得るのか』を、しっかり理解しなければならないからです」
 今、人類がどこにいて、どこへ向かっているのか。地球で起こっている大変革のドラマを巨視的に見定めなければ、何も始まらないというのである。これこそ「英知」であろう。
 ホフライトネル会長も、まったく同じ信念であられる。
 「まず、われわれがどこから来て、どこへ行くのかを理解しなければなりません」
 「地球が病んでいるといっても、本当の問題は、人間が病んでいるということです」
2  地球草命のために人間革命を
 第二代のアレクサンダー・キング会長を継いでローマ・クラブの会長になられたのが九一年一月。
 その直後、私は五人の識者とともに、湾岸戦争の回避へ「緊急アピール」をイラクのフセイン大統領に送った。識者の一人がホフライトネル会長であった。
 「人間の責任宣言」が出されたのは同年十一月のローマ・クラブ年次大会である。
 汚職、破壊、テロ、麻薬、国ぐるみの搾取、人権侵害、軍事介入、環境破壊──宣言では、これらの諸悪の根源は「責任感の欠如にある」としている。
 まさに正鵠を射た指摘であろう。
 保身のために民衆を犠牲にする指導者。現在のために未来を犠牲にする浪費社会。すべて「無責任」の一語に尽きる。
 ホフライトネル会長は一九二八年、スペイン生まれで、私と同じ年であられる。
 ご両親とも教育者であられた。氏が小学校に上がると、お父さんが校長先生。中学校はお母さんが先生。高校に行くと、二人ともその高校の先生になられていたという。氏がコロンビアの大学に教授として赴任されたときには、ご両親と三人で教鞭をとられた。
 学究のご一家である。お父さんは十四カ国語に通じ、お母さんは七カ国語、氏は六カ国語を身につけておられる。
 ご両親から学ばれたことは「人のために何ができるか」「どう尽くすか」という心であった。
 一度だけ、叱られたそうである。
 氏が八歳のとき、お父さんと道を歩いていた。氏は)何げなく、ポケットのコインをつかみ、遊び半分に投げ上げた。
 そのとき、お父さんは、じつに悲しそうな顔をして少年をにらみ、顔を軽くぶたれたという。
 「私は、その父の顔を今もって忘れません。父は、ものごとの善し悪しの基礎を教えてくれたのだと思います」──。
 米州機構(OAS)の教育計画・行政顧問、世界銀行の教育部門投資部・初代部長、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の理事、スペインの国立教育センター初代会長、教育科学大臣など、国内外の要職を歴任してこられた。
 二十代で、四十代、五十代の人の上に立って仕事をされた。そのため、早くから「何とかふけて見えるようになりたい」と願ってこられたという。
 氏の「指導者論」の核心は「学ぶ」ことである。
 「個人的な気持ちを言えば、私は『長』というよりも、むしろ、人々に尽くす『召し使い』でありたい。そのほうが幸せなのです。
 ローマ・クラブの同僚は、皆、すばらしい知識人です。私は、その弟子にすぎないと思っています。
 『つねに学ぶ』──私は、人生の意義はそこにあると信じているのです」
 この謙虚さに、氏のエネルギーの秘密があろう。
 時代の動きは速い。ゆえに「学ぶ」ことを忘れたら、ただちに取り残されてしまう。学ばないのは無責任に通じる。
 会長になられた翌年に出されたローマ・クラブの報告書は『第一次地球革命』(アレキサンダー・キング、ベルトラン・シュナイダー共著、田草川弘訳、朝日新聞社)。
 序文の中で会長は書いておられる。
 「地球的問題群を生み出すのも人間であり、その結果に苦しむのも人間である」
 「今回もまた、ローマ・クラブはやたらに地球の終わりを予言したがる、という批判を浴びるかもしれない。しかし、あえて必要な警告を発することこそ、我々の役割であり、誇りである。それはむしろ、『地球の終わり』を回避するために必要な第一歩と言うべきものである」
 仏教の教えに「賢人は安全なところにいながら危機の到来を嘆き、愚人は危険なところにいながら、いつまでも安全であってほしいと願う」とある。
 その意味で、ローマ・クラブには、まさに賢人の責任感がある。要は、世界の指導者と民衆が、どれほど賢人になるかである。
 『第一次地球革命』では、「新しい世界の新しい指導者」像を、九点にわたり提言しておられる。
 わかりやすく、まとめると次のようになる。
 ① 地球的問題群に対して、何をなすべきかのビジョンをもち、地球的視野で行動できること。
 ② 変革を起こし、変化に対応する力。
 ③ 功利主義に負けない倫理観。
 ④ 話しあい、意見を聞いたうえで、きっぱりと決断し、実行し、結果を出す力。
 ⑤ みずから学び、人にも学ぶ意欲を起こさせる力。
 ⑥ 状況が変化したとき、すばやく決定を変える力。
 ⑦ 方針を皆に分かりやすく伝える力。
 ⑧ 手段と目的をはっきり分ける能力。
 ⑨ 皆の意見、要望を聞く場をつくる意思。
3  会長ご自身が、こうした指導者像そのものの方であり、会長が研究されている「二十一世紀にふさわしい人間像」であられる。
 会長との初の出会いは、フランスのヴィクトル・ユゴー文学記念館の開館式であった(九一年六月)。スペインからわざわざ駆けつけてくださったのである。
 ユゴーは、フランスの一連の革命を「それは局部的な革命ではなく『人間革命』である」と明言している。
 その意味で、「地球革命の成功には人間革命こそが必要」と考える私どもにとって、これ以上の出会いの場所はなかった。
 二〇〇一年まで、あとわずか。
 「時」は待ってくれない。二十一世紀をいかなる世紀にするかは、私たち自身と「時」との競走でもある。
 (一九九四年十二月四日 「聖教新聞」掲載)

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