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「文明の共存」を探るハーバード大学文化… ヌール・ヤーマン博士

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  ヤーマン博士の家の庭。緑の絨毯に、秋の木もれ日が自在の紋様を描いていた。
 ハーバード大学のあるアメリカ・ケンブリッジ(ボストン郊外)。同大学での二度目の講演を終えた翌日、招聘者の一人である博士の自宅にお招きを受けた。(一九九三年九月)
 ふれれば手に染まるような鮮やかな緑であった。樹々は、どっしりと、それぞれの根を張りながら、仲良く、青空をたたえ、風と光を楽しみ、調和の歌を歌っていた。
 耳には聞こえぬ、その合唱を全身に感じながら、この庭で、また室内で、私たちは語りあった。
 焦点の一つは「キリスト教世界とイスラム教世界との融和」であった。
 博士は、アメリカを代表する文化人類学者である。多様な「文化」の研究を通して「人類」の奥底を探究する──博士の関心は、異なる文化、宗教、民族の壁を越えて、どう人類が調和できるかに向けられている。
 博士が生涯をかけたテーマは、私自身のテーマでもある。
 東京で初めてお会いしたとき(九二年三月)、その思いを私は博士の出身地トルコの中世の詩人エムレの言葉に託して伝えた。
 「私は争うために、この大地に生を享けたのではない。愛こそが、私の人生の使命である」
 短い、つかのまの人生を、破壊のために使って、どうしようというのか。小さな人間社会を、小さな心で、より狭く、住みにくくして、何になるのか。
 旧ユーゴの悲劇のなか、ある青年が言った。「ぼくの妻はクロアチア人、母はセルビア人、私はモスレム(=イスラム教徒)、いったいどうすればいいんだ」(堅達京子・稲川英二『失われた思春期』径書房)
 属するグループによって人間を引き裂き、排除する悲劇。日本にもアイヌ民族や在日韓国人・朝鮮人への差別、地域差別、学歴差別が厳然とある。人を上下で見る因習もある。
 人間を人間として平等に見られない「閉ざされた社会」。そのゆがみが、敏感な子どもたちの世界に「いじめ」となって噴出しているとは言えないだろうか。
 博士は言われた。
 「文化人類学の先駆者レヴィ=ストロースは言いました。われわれは『麦が育つ音に耳をかたむけるように』注意深く、あらゆる努力をして、人間の多様性を育でなければならない、と。多様性を認め、少数者を尊重する寛容な文化をつくらなければなりません。これを国家の指導者にまで浸透させる以外に平和な二十一世紀はありえないでしょう」
 博士が、この観点から強調されるのは、オスマン・トルコ帝国の寛容性である。博士によれば、オスマン帝国は、多宗教・多民族を共生させてきた寛容な社会であった。ユダヤ教徒も、キリスト教世界では迫害されたが、イスラム世界では伝統的に温かく受け入れられてきたという。
 イスラム世界は偏狭で排他的というイメージは、西欧の偏見がそのまま広められたものであるというのが博士の主張である。
 たしかに、十字軍一つ見てもヨーロッパの都合で美化されてきたことは否定できない。イスラム世界から見れば、十字軍は一方的な侵略であり、残虐きわまりない略奪以外の何ものでもなかった。
 こんな話もある。足に、おできができた騎士と肺病の女性を現地の医者が診察し、騎士には膏薬をつけ、女性には、食事療法を教えた。
 そこにヨーロッパの医者が来て「こんな手当てでは、だめだ!」と言う。彼は騎士の足を斧で断ち切らせ、騎士は骨髄を飛び散らせて死んでしまった。女性には「頭の中に悪魔がいる」と言って頭蓋骨を切開し殺してしまった、と。
 医学も法制もイスラム世界のほうが、はるかに高度な文明社会だった。西欧のルネサンスも、その果実を吸収した結果であった。
 十字軍のあと、「千年の対立ここに始まる」と言われるように、偏見と憎悪は二つの世界に根をおろしてしまった。その影は、今も黒々と人類の上に落ちている。
 私は博士に、一つの角度として、民族や宗教の壁を乗り越える根本は「具体的な個人と個人が友情を結ぶことではないでしょうか」と申し上げた。
 国連や国際司法裁判所などの強化・改革の必要は言うまでもない。国際社会の協力、何より人類のどのグループも受け入れられる、ヒューマンな「国際正義」の確立が急務であろう。
 そのうえで、どんなに制度を整備しても、その制度を生かすも殺すも人間次第である。「融和」へと歴史の船を進めるためには、その底流をつくらなければならない。底流とは、目に見えない「人類の心の変化」である。
 「宗教が、仮に教義の面で妥協点を見いだそうとしても、おそらく、うまくいかないでしよう。それよりも、まず人間として、おたがいに『仲良く』なることです。『心を通わせる』ことです。何だ、同じ人間ではないかという安心感をたがいに得ることが先決です。
 イスラム教徒である前に、人間です。キリスト教徒である前に、人間です。『共通の人間性』に気がつき、友情が生まれれば、そこから相手の長所も見えてくる。学びあう余裕も生まれます。友情です。まず、具体的な名前と顔をもっ人間同士が近づくことです」
 私の意見を博士は真剣に聞いてくださった。
2  個人的に「知りあう」ことが平和を
 博士が身をもって体験してとられた、イスラム世界への偏見の根強さ。私はトインビー博士が、ヨーロッパ人によるトルコ人虐殺の報をイギリスの新聞に送って批判をあびたことを思い出す。
 トインビー博士は書いている。「ごく少数の人びとを除き私の同国人にとって、トルコ人は名の知れない食人鬼であった」「トルコ人は、侮蔑的な集合名称はもっていたが、人間的な個人名や顔はもたなかった」(『交遊録』長谷川松治訳、オックスフォード大学出版局)
 そして個人同士の友情の必要を述べ「人間は、個人的に知っている人に対しては、残虐行為を働かないものである」(同前)と強調された。
 レッテルを張ることは恐ろしい。個人の顔を消し、人間を抽象化することは恐ろしい。日本には鬼畜米英などと決めつけた愚かな歴史もある。しかも、決めつけの多くは、権力者の都合によって作られ、扇動されたものなのである。
 社会主義が崩壊した地域の民族紛争について、「操られることに慣れてしまった大衆がまた操られている」と指摘する声もある。
 これほど情報化が進んだ世界で、なぜ相互理解が進まないのか。そこにも情報の偏向と操作があろう。ヤーマン博士は「情報化の拡大は、相互理解のスピードだけでなく、相互誤解のスピードをも増大させた」と批判する。
 「感情のインフレーション」を論ずる人もいる。現代人は、カンボジアで何百万もの人々が殺されたニュースも、野球の試合の結果と同じように、心の上っ面を過ぎていくだけになってしまった、と。
 「どうして笑っていられるの? 中国では苦しんでいる子どもたちがいるというのに」。これがシモーヌ・ヴェイユ(フランスの思想家)の白熱光のような人生を貫いた問いであった。(田辺保『シモーヌ・ヴェイユ』講談社。参照)
 無関心は「心の死」である。
 「地球社会」「地球村」へと歴史は進んでいく。その未来を決めるのは、遠い何かではない。私たちの心が生きているのか、死んでいるのかである。心の「狭い檻」を壊せるかどうかである。人間を抽象化し、物体化する悪を見抜けるかどうかである。
 昔、こんな詩を聞いた。「交通事故死二名と言うな。太郎が死んだ、花子が死んだと言え」
3  ヤーマン博士の庭に木の葉が舞った。目が大地に向かった。多様な樹々のその多様さをたたえ、愛おしみながら支える大地。
 私たちの社会も、「人間愛」という共通の大地を豊かに耕し、広げていかなければと私は思った。
 一つの庭にも全宇宙が宿っているように、一人の身近な人を思いやり、一人の新たな友人をつくる。その「開かれた心」にこそ、人類の新しい世紀が、くっきりと映っているのではないだろうか。
 (一九九五年五月二十八日 「聖教新聞」掲載)

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