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日蓮大聖人・池田大作

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非暴力運動を推進するハワイ大学名誉教授… グレン・ペイジ博士

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  「いのち」がいちばん、優先される社会。私たちは、まだ、それを手に入れていない。
 「励ましあうことです。ともに励ましあっていくならば、必ず勝利は来るものです。非暴力の運動には、ヒーローもヒロインもおりません。町で、村で、笑顔を忘れず、友を激励し続けている、その人たちが″非暴力会議″そのものなのです」
 インドの非暴力デリー会議から「最高特別会員」の称号が贈られたさいのグレン・ペイジ博士(ハワイ大学名誉教授)のあいさつである。(一九九二年十一月)
 博士は、こうも呼びかけられた。「今、この非暴力運動は国内では十分、評価されていないかもしれませんしかし、世界の流れから見れば、すばらしい運動なのです」と。
 博士は、同じ意味で創価学会の民衆運動に喝采を送り続けてくださっている。
 世界の流れ──それはとうとうと「暴力」から「非暴力」へと向かっている。それ以外、人類が生きのびる道はないからだ。
 ガンジーは言った。「非暴力は人類の法である。暴力は畜生の掟である」(一九一〇年)
 トルストイは書いた。「人類は大人にならなければならない。一人の人間が子どもから若者へ、若者から大人へと成長するように、暴力なき社会へと、人類全体が大人にふさわしい生き方に変わらなければならない」(一九二〇年)
 マーチン・ルーサー・キング氏は、黒人の魂を代表して叫んだ。肉体的暴力、言葉の暴力、社会的抑圧の暴力に人々は疲れていた。
 「これまでに私はあまりにも多くの憎しみを見せつけられてきたものですから、私自身は人を憎みたくなくなってしまったのです」(一九六七年。『良心のトランペット』中島和子訳、みすず書房)
 二十世紀、あまりにも多くの死と憎しみを見てきた人類の思いも同じであるべきではないだろうか。
 「いじめ」という暴力がある。子どもの社会だけではない。それは大人の社会の無慈悲さの反映にほかならない。「いじめ」を憂い顔で報じる同じ人々が、一方で、市民の人権を踏みにじっている場合も少なくない。
 むしろ、だれが見ていようといまいと、黙々と友情を広げている人々、友を励まし続けて生きている民衆こそが、「暴力なき社会」を現実に創造しているのではないだろうか。
 その無名の人々こそが、世界史の流れの先端にいる。
2  積み重ねてきた一切が突然、崩壊してしまったとき、人は何をなすべきだろうか。ぺイジ博士の体験が、そうであられた。
 これまで公的に発表し、著書まで出された理念が、あるとき、土台から崩れていった。学者として、これほどの苦しみはなかったにちがいない。
 当初、博士は軍事力を肯定する一般的なアメリカ人だった。
 五十年前、十六歳の博士は新聞配達少年であった。広島への原爆投下を「戦争を終わらせた行為」と報じた新聞を、喜びをもって配達されたという。
 プリンストン大学を休学して、軍隊に入り、朝鮮戦争に参加(一九五〇年~五二年)。やがて、ハーバード大学、ノースウェスタン大学でも学ばれ、博士論文のテーマは、″アメリカがなぜ朝鮮戦争に参加したか″であった。
 博士は、「自由」の価値を愛し、自由を脅かす共産主義との戦いは「正義の戦争」であるという立場であった。
 しかし六〇年代以降、韓国に軍事政権が誕生し、しかもアメリカがそれを支援する事態となった。博士はアメリカ政府に抗議したがむだであった。七〇年代も、自由と民主主義の抑圧は続いた。
3  「殺すなかれ」の真理にめざめる
 これでは何のために、人々は戦争であれほどの犠牲を払ったのか──博士は苦悩した。「ヒロシマ」の惨状を知ったことも、博士に、これまでの考え方への修正を迫った。博士は、どこまでも誠実な学者であられる。
 悩みに悩んでいたある日、突如として、心の中から、わき上がるエネルギーを博士は感じた。それは光のように、やってきた。ある信念が胸奥から噴出してきたのである。
 「いかなる理由があろうとも、人は人を殺してはならない」と。
 「殺すなかれ」。この「古き真理」の光が、二十世紀の闇を切り裂いて、二十一世紀を照らし始めた。
 これまでの基盤が崩れたとき、人は絶望することもできる。逃避することもできる。だれかを恨みながら生きることもできる。しかし博士は、真正面から現実を見つめ、格闘された。そして渾身の勇気で「第二の人生」を始められたのである。それは力強き人間革命のドラマであった。
 「良い戦争」などありえないのだ──この日以来、博士は「暴力容認の政治学」を捨て、「非暴力の政治学」の探究を始められた。
 それは前人未到の学問分野であった。とくに、パワー・ポリティクス(力の政治)を自明の前提とする多くのアメリカ入学者には理解されなかったという。
 博士は言われる。
 「問題に対し、多くの学者は『解説』はしても、具体的な『解答』は示しません」
 「アメリカでは、市民が自衛のために銃火器で武装しています。それで国民が安心していられるかというと、決してそうではありません。ニューヨークなどの大都市が物騒なのは、国民が自由に銃器を手にできることが大きな原因となっています。『武装すれば安全か』という問題へのきわめて身近な答えがここにあります」
 博士は「行動の学者」である。世界を回って、学び、セミナーを開き、対話し、著述し、政治家に平和を訴え、人を結び、非暴力のネットワークを広げてこられた。
 博士は柔和な方である。謙虚な方である。心の優しい方である。そんな博士が、人の命を軽く見る権力者の倣慢を語るとき、厳しい目になられる。
 「忘れられない思い出が私にはあります。朝鮮戦争へのアメリカ軍の介入を決断した指導者の言葉です。彼の決断によって、少なくとも百数十万人以上の犠牲者を出した戦争に突入したのです。
 私は彼に問いました。『決断のとき、あなたは神に祈ったのか』。彼もキリスト教徒でしたから。すると、彼は怒気をふくんで『ヘル・ノー(するものか)!』と叫びました。決断は正しいのだから、あとは寝ただけだ、と」
 生命の重さに対する鈍感さ。権力は人間の心を、どこまでマヒさせるのだろうか。
 私はとのとき、法華経で説かれる「不軽菩薩」の話を申し上げた。物理的暴力、言論の暴力の嵐に耐えながら、不軽菩薩は万人に仏性があることを信じ、だれびとをも「軽んぜず」礼拝した。
 だれ一人、軽んじない──ここに非暴力の魂がある。
 「握り拳とは握手できない」という言葉がある。拳を振り上げて、人を動かそうとする時代は終わった。ぺイジ博士は日本に、文化・思想・人道でのソフト・パワーの国際貢献を期待しておられる。
 先年、博士が心臓病で倒れられたときは、本当に心配した。私は真剣に祈った。
 その後も、博士は、どんな困難があろうと「非暴力の世紀へ、私は希望を捨てません。生ある限り、あきらめません」と、人間の可能性への信頼を握りしめておられる。価値観の革鮮を訴え続けておられる。
 「人間は、意志と英知と組織を結集すれば、月にまでも行けたのです。どうして地球を変えられないことがありましょうか」と。
 希望の力は一切を変える。この人間信頼こそ非暴力の精髄である。
 ゆえに、希望を燃やし続ける限り、民衆の非暴力運動は負けない。
 (一九九五年一月二十六日「聖教新聞」掲載)

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