Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「健康な人生」への指標 ポーリング博士

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
1  人間は、いったい何歳まで元気に生きられるのだろうか?
 「将来は、平均寿命を百十歳くらいまで延ばせるでしょう」「だれもが百歳、百十歳までも、病気に苦しまず、何の不自由もなく生きていく。そうなれると私は思います」
 ″現代化学の父″ライナス・ポーリング博士の答えだけに、重みがあった。博士によると「人類は病気を予防する方法を学び始めたばかり」。体に備わる自然治癒力を高めることによって「さらに長く、さらに快適に、ハッピーに生きられる」と熱をこめて語られた。
 博士ご自身、九十四歳で逝去される直前まで意欲満々で仕事を続けられた。二つのノーベル賞(化学賞、平和賞)を単独で受賞された史上ただ一人の方だが、どんな到達点にいたっても博士は立ち止まらなかった。最晩年にも、新たに心臓医療財団を設立された。大変なバイタリティーである。
 いつ、お会いしても、頬は若者のごとく紅く、堂々たる長身をしゃんと伸ばして、はずむように歩かれた。
 「健康のためには、何時間くらい眠ればいいのですか」とうかがうと、「七時聞から九時間が理想であることが、さまざまな研究で実証されています。七時間以下でも九時間以上でも、体にはよくありません」
 そのほか、ビタミンの十分な補給、糖分・アルコールはほどほどに、水を十分に飲む、タバコは吸わない、などを健康の条件に挙げられた。そして「ストレスは避ける。好きな仕事をする。家族と楽しく過ごす」──。
 ストレス社会といわれる現代。「ストレスを避ける」といっても不可能かもしれない。これはむしろ、ストレスをストレスと感じない強靭な精神力を教えられているのかもしれない。博士の人生も、客観的には「ストレスがない」どころか、戦いの連続であった。
 苦学の青春。数十年にわたる努力でカリフォルニア工科大学を一流校にしたものの、平和運動ゆえに当の大学からも迫害され、国務省の妨害でノーベル化学賞授賞式へのパスポートさえなかなか発行されなかった。反共のマッカーシー旋風の中で、ソ連との協調を主張。反対にソ連からはブルジョア学者として批判された。どちらの非難にも博士は、まったく動じなかった。
 「私たちの敵はソ連でもアメリカでもない。私たちの敵は戦争です」──広島での「ノーモア・ウォー」のスピーチは有名である。第五福竜丸事件を国際裁判に訴えたのも博士。大戦中の日系人差別にも敢然と「ノー」。
 生きている限りは「人間の苦痛を小さくする」ために働きたい──この一点で、博士にとって、健康の探求と平和の探求は一体である。
 「最大のストレス。それは戦争です」
 七年前、初の語らいの折も、サンフランシスコから一〇〇〇キロ近く離れたアメリカ創価大学ロサンゼルス・キャンパスまで来てくださった。「平和について語りあえる人がいる。私は、どとへでも飛んでいく」。この情熱こそ博士の健康の源泉だと思った。
 「夢を失うと人は老いる」という。ストレス対策というと、余暇、ゆとり、趣味、スポーツといった面で語られることが多い。
 何らかの「夢」への挑戦を忘れ、今の自分を守るだけのすの人生になったとしたら、それが健康な生活といえるだろうか。見はてぬ夢でもよい、理想に向かって、みずから打って出る。その闘争心にこそ「健康な人生」の実質はあるのではないか。
2  ノーマン・カズンズ 「精神の力は、核の力より偉大」
 「アメリカのもっとも良質なヒューマニズムを体現している」といわれる、もう一人の巨人がノーマン・カズンズ博士である。七十五歳まで生きぬかれた。ポーリング博士と同じく、いつもにこやかな笑みを絶やされなかった。
 日本では被爆した若い女性たちの渡米治療を実現させたことで有名だが、ジャーナリストとしても、平和行動者としても、追随を許さぬ巨歩を印されている。晩年は、心身相関医学の分野で先駆的な功績を挙げられた。ご自身が膠原病、心筋梗塞という二つの大病から奇跡的に生還されている。その体験を支えたのは「希望の力」だったという。
 希望、信念、意欲、信頼、愛情といった肯定的感情が、体内の治癒力を高めることを実証されたのである。
 私の恩師(戸田城聖創価学会第二代会長)は「人間の体は製薬工場だ」と語っていた。この工場の力を総結集する司令官が「希望」なのである。
 希望は平和への根本の力でもある。「平和に関するもっとも重要な問題点は、一人一人が無力感を持っているということです」「しかし被爆四年後、復興する広島で私は知りました。『いかなる爆発物よりも偉大な力、それは人間の生きぬく意志であり、希望を持つ能力だ』と」(カズンズ博士)
 「世界には核兵器や軍事力という悪の力よりも、もっと偉大な力があります。それは人間の心であり精神力です。私は、人の精神の力を信じます」(ポーリング博士)
 二人の巨人の胸には「人間の可能性」へのくめども尽きぬ巨大な希望が生きていた。それこそが、お二人に不屈の生命力をあたえた。
 私がロサンゼルスのクレアモント・マッケナ大学で講演したさいも、ポーリング博士は駆けつけてくださり、講評のあいさつをされた。
 「仏法で説く菩薩の境涯こそが、人類を幸福にします。悩める人に真心をこめて手を差し伸べる行動こそ、今、世界に必要なものです」
 一九九三年春、サンフランシスコでのポーリング博士との四回目の語らいも、「今日も三人の心臓病の患者さんに、私の考えた治療法を勧めたところです」、博士のそんな″菩薩行″紹介で始まった。
 対話を終え、私のアメリカの友人が博士を車で送った。到着したときは雨。友人の女性が傘をさしかけると、かえって高齢の博士のほうが彼女を濡れないようにかばわれたという。ごく自然な優しさ──「人の苦痛を小さくする」原則が身についておられるのである。
 両博士の温かいまなざしは、高度医療社会に生きる私たちに、真の「健康」のためには、まずみずからの生き方を問えと教えているのではないだろうか。
 カズンズ博士は三度の語らいの中で、たった一つだけ同じ言葉を繰り返された。
 「人生の最大の悲劇は死ではありません。生きながらの死です。生あるうちに自分の中で何かが死に絶える。これ以上に恐ろしい人生の悲劇はありません。大事なのは生あるうちに何をなすかです」と。
  (一九九四年三月二十七日「週刊読売」掲載)
3  セーガン博士と宇宙飛行士たち 大宇宙への飛朔
 第二次世界大戦の末期であった。私は十六、七歳。東京も、空襲に備えて防空壕に駆けこむ夜が多くなった。息をひそめながら、仰げば、天にはつつみこむよう静寂かあった。人間の愚かな営みとは超絶し、宇宙は厳として、自分自身の永遠の運行を続けていた。
 ある夜、流れ星が空をよぎった。ひとすじの青い光さが尾を引いて疾走した。私は心を揺さぶられた。「ああ、あの星は地上の争いをどう見ているのだろう」
 あのころ、平和は星々の世界にだけあった。その天からの光の使者──私はこのときの感動を今も鮮烈に思い出す。
 二十世紀を代表する写真は「月へ向かう宇宙船から撮った地球の写真」と言った人がいる。その写真を一九九三年、アポロ計画の理論的中心者ロバート・ジャストロウ博士との会談で頂戴した。漆黒の宇宙空間に浮かぶ青き地球は、神々しいまでに美しかった。
 「ワタシハ、カモメ」で有名な世界初の女性宇宙飛行士テレシコワ女史は、モスクワで私に語ってくれた。
 「地球が見えるうれしさは、たとえようもありません。地球は青く、他の天体と比べて格別にきれいでした。どの大陸も、どの大洋も、それぞれの美しさを見せていました」
 「一度でも宇宙から地球を見た人は、自分たちの″ふるさと″である地球を、尊く、懐かしく思うにちがいありません」
 お会いした他の″宇宙体験者″も異口同音であった。
 「われわれの乗った宇宙船は九十分で地球を一周しました。そんな短時間で全地球が見えるのです。そして、地球には『国境』は見えません。宇宙が地球を一つにしてくれるのです」(米ソ協力のアポロ・ソユーズ実験飛行字宙船パイロット、D・スレイトン博士)
 「一緒に宇宙に行った同僚が言っていました。『国境というのは、人間が勝手に引いたものだ。この無限の宇宙から見れば、地球に暮らすわれわれは、文字どおり、世界共同体の一員だとわかる』と。そのとおりです」(アメリカのスカイラプ3号の船長、ジェラルド・P・カー博士)
 日本人も次々と宇宙に飛び出す時代となった。宇宙時代とは「世界の一体化」「世界不戦」への、こよなきチャンスである。宇宙の広大さに目を開き、人類の意識をも大きく拡大すべき時が来ている。そうでなければ、宇宙探究と言っても、極論すれば、地上の現実からの逃避と言われでもしかたがないのではないだろうか。
 心理学者ユングは「宇宙飛行は自分自身からの逃避に過ぎない。なぜなら、火星に行ったり、月へ行くことは、自分自身の存在を洞察することよりも、はるかに簡単だからだ」と警告した。
 私は、「大宇宙への探究」が、同時に小宇宙である「人間自身への探究」をうながすものであってほしいと思う。
 近年、地球も一つの大生命体ではないかというガイア理論が話題になっているが、仏法では、地球はもちろん宇宙全体が一個の巨大な生命であると説く。
 銀河も、星雲も、惑星も、人間も、微生物も、すべてを貫く普通の「法則」。その探究という一点で、仏法は科学と同志である。科学は帰納と分析、仏法は演繹と直観という方法の違いはあるが、たがいに排斥しあう関係ではなく、補いあう関係にあると私は思っている。
 カー博士は、ご自分の実感をこう証言された。
 「かつて私は、神とは天からちょっと糸を引いて物事を起こす存在と思っていました。しかし、宇宙を経験して、宇宙には厳然とした調和と秩序があることを知りました。この秩序がわれわれの言う神なんだと気づいたのです」
 「私は宇宙で仏法を学んできた感じがします」
 現代宇宙学では、われわれの宇宙が百五十億年ほど前の大爆発で始まったというビッグバン説が主流である。それをふまえて、ジャストロウ博士は語っていた。
 「科学は宇宙の始まりを探究しました。しかし、宇宙に始まりをもたらした『原因』や、宇宙の『意味』については、科学では答えられないのです」
 一方、定常宇宙論の提唱者として有名なイギリスのフレッド・ホイル卿、弟子のウイックラマシンゲ博士──同博士と私は対談集『「宇宙」と「人間」のロマンを語る』(本全集第103巻収録)も発刊した──は、ビッグバン説の発想の根底には「神による天地創造」という考え方が影を落としているという。

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