Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第19巻  

小説「新・人間革命」あらすじ

前後
1  【虹の舞】
  1974年(昭和49年)2月、山本伸一は本土復帰後最初となった沖縄訪問で、初めて石垣島(八重山諸島)・宮古島を訪れる。島の同志は伸一の来島を心待ちにし、地域広布に奮闘してきた。その友のため、伸一は両島で、記念撮影会や図書贈呈式、文化祭、さらに先祖代々の追善法要へと走り、自らも鉢巻き姿で友と一緒に踊るなど、渾身の激励を続けた。
  那覇に戻ると、広布20周年記念の総会で、沖縄を真の理想郷にと訴え、県北部の名護にも足を運ぶ。この間、彼は、全国初の「高校会」を結成、高・中等部員に反戦出版を提案するなど、未来世代の育成に全力を注いだ。
  戦争で苦しんだ沖縄こそ平和実現の使命がある——伸一は、心に美しい虹をいだいて前進するよう、沖縄の友を励ますのだった。
2  【凱歌】
  3月、伸一はアメリカ・ブラジル・ペルー歴訪へ旅立った。
  だが、ブラジルの入国ビザが下りず、渡伯を中止して中米パナマを初訪問する。ここにも多くのメンバーがいたのだ。政府高官や大学総長らとの語らいに続き、ラカス大統領を表敬。伸一にとって、国家元首との最初の会見となった。
  続くペルーは8年ぶりの訪問。前回は警察等の厳しい目が学会に注がれていたが、今や同志は社会に信頼を広げ、状況は大きく変わっていた。伸一は、ペルー会館の開所式や、炎天下での記念撮影会に相次ぎ出席。メンバーの功労をたたえるとともに、全力で激励にあたった。
  その彼に、首都リマ市は「特別名誉市民」称号を授与。文化祭にも市長ら多数の来賓が出席し、社会貢献の同志の凱歌が轟いた。
  伸一は過労で体調を崩すが、病を押して南米最古のサンマルコス大学を訪問。教育の未来を語り合った総長と伸一は、深い友情を結んでいく。
3  【陽光】
  ペルーを発った伸一は、メキシコ経由でアメリカへ戻った。
  4月1日、彼はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)を訪れ、「21世紀への提言」と題して記念講演を行う。仏法の生命観を通し、「21世紀を生命の世紀に」と訴えて大好評を博した。これは、伸一が海外の大学等で行った最初の講演となった。
  海外初となる恩師の17回忌法要が終わると、舞台はサンディエゴ市へ。伸一への市や郡からの顕彰に続き、市中パレードや全米総会など盛大なコンベンション(大会)が行われ、友の歓喜が弾けた。
  訪問中、伸一は自ら陽光となって、出会った人、陰の人を励まし続けた。帰国の途次には、病床から復帰した草創の友のために、予定を変更してハワイに立ち寄る。

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