Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第18巻  

小説「新・人間革命」あらすじ

前後
1  【師子吼】
  1973年(昭和48年)7月、山本伸一は、映画「人間革命」の完成試写会に臨んだ。原作は、恩師・戸田城聖の生涯をつづった伸一の小説『人間革命』である。
  映画化のきっかけは、原作に感動したプロデューサーの要請だった。その熱意に承諾した伸一も、撮影現場を訪れ、俳優やスタッフを励ますなど、誠心誠意、応援した。
  当代一流の映画人が総力をあげた作品は、記録的な大ヒットとなったのである。
  そのころ伸一は聖教新聞社を足繁く訪れていた。「言論・出版問題」以来、一部の記者の間に、安易に社会に迎合して、信心の世界を見下すような風潮が生じていたのだ。
  その本質は「信心の確信」の喪失である。伸一は記者たちのなかに飛び込み、記事の書き方から生活態度までアドバイスしながら、“広布の使命に生き抜け!”“仏法の眼を磨け!”と、職員の根本精神を教えていく。
  さらに通信員大会では、5項目の聖教新聞の基本理念を発表。正義の“師子吼”を放つ言論城が、伸一の手づくりでそびえ立っていったのである。
2  【師恩】
  鍛錬の夏季講習会。伸一は合計10万人に及んだ参加者を全力で激励。そのなかに5年前に結成した男子部の人材育成グループ「白糸会」もいた。青年たちは、伸一の渾身の励ましに応え、師恩を報じようと懸命に戦い、成長していく。
  9月に北海道に飛んだ伸一は、厚田村(当時)の有志による「村民の集い」へ招かれた。村をあげての歓迎は、恩師の故郷を楽土にと願う、伸一と同志が地域に築いた信頼の結実であった。
  帰京後も、埼玉や、「山陰郷土まつり」が行われる島根、さらに鳥取を訪問。病苦に打ち勝った友の体験をはじめ、行く先々に、伸一と師弟共戦の凱歌が響いていく。
  11月、栃木を訪れた伸一は、県の総会に、小学校の恩師の檜山夫妻を招待する。幾十年が過ぎても、変わらず幼き日の恩師を讃える伸一。そこに、人間として師恩を報じ、どこまでも師弟の道を貫く信念が輝いていた。
3  【前進】
  各方面・県・区など各地の組織を強くしてこそ、創価の民衆城を支える柱は盤石になる——全国への伸一の激励は続いた。
  菊花香る晩秋の愛媛では、聖教新聞の購読推進に大奮闘した同志の心意気に、伸一は、「広布第2章」の前進の光を感じる。
  香川、徳島に赴いた彼は、広布途上に早世した青年を偲び、求道心をたぎらせ続けた老婦人との劇的な出会いなどを刻みながら、学会員こそ郷土の繁栄を担う社会の宝であると訴えた。
  当時、石油危機による物価高騰と不況が深刻化し、中小企業の多い地域で苦闘する同志も多かった。しかし、混迷の世相だからこそ、信心という原点をもった学会員が社会の希望となる。
  師走にかけて、東京各区を回った伸一は、烈々と叫ぶ。「不況に負けるな! 今こそ信心で勝て!」
  1973年(同48年)の掉尾を飾る本部総会が、初めて関西で開催された。明年の「社会の年」へ、同志は、人間主義の新時代を開くため、勇んで大前進を開始する。

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