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イタリア・パレルモ大学での記念講演 文明の十字路から人間文化の興隆を

2007.3.27 提言・講演・論文 (池田大作全集第150巻)

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1  心より尊敬申し上げるシルヴェストリ総長、またレンディナーラ教育学部長、ラ・スピーナ・コミュニケーション学科長、さらに、ご臨席の教職員の先生方、学生の皆様方、そして、すべてのご来賓の皆様方。
 はじめに、貴バレルモ大学の創立200周年を心より慶祝申し上げます。この意義深き佳節を、貴大学の新たな一員としてお祝いすることができ、これに勝る光栄はございません。
 本来ならば、こちらから参上すべきところ、寛大にも代理授与をご承諾くださいました、総長はじめ諸先生方のご厚情に、重ねて御礼を申し上げます。
 ただいま私は、栄えある「コミュニケーション学」の名誉博士号を賜りました。人類の未来を展望するうえで、この「コミュニケーション」というテーマほど、重要な意義を有する課題はないと、私は考えてきた一人であります。
 なぜなら現代は、コミュニケーションの手段や技術の目覚ましい発達にもかかわらず、人間の心と心を結ぶ「対話」が、依然として欠乏していると言わざるをえないからであります。
 17世紀の哲学者パスカルは、こう記しました。
 「滑稽な正義よ、川ひとすじによって限られるとは! ピレネ山脈のこちら側では真理であることが、向こう側では誤謬なのだ」(松浪信三郎訳「パンセ」、河出書房新社『世界の大思想8』所収)
 地理的境界が人々を隔てたこの"奇妙さ"を、果たして現代人は、「昔話」として笑うことができるでしょうか。
 現代世界において、人々を隔てる「物理的距離」は、かつてないほど締まりました。それにもかかわらず、対立や紛争は、深刻に渦巻いております。
 それどころか、異なる「民族」や「宗教」に向けられた憎悪が、インターネットを通して、瞬く間に世界中に増幅され、社会的緊張を高めるケースさえ増えてきました。
 世界はまさに、ヤマアラシが近づけば近づくほど、互いを針で傷つけ合うような、矛盾といらだちを抱えた様相を呈しているのであります。
 昨年(2006年)11月、私は、ノーベル平和賞を受賞された、国際原子力機熊のヱルバラダイ事務局長とお会いしました。
 その折の事務局長の指摘が、心に深く残っております。
 「私たちは、それぞれの『差異』ばかりを強調し、『共通点』を見落としがちです。常に『我ら』と『彼ら』という立て分けをして、物事を見がちです」と。
 そうではなくして、人間として、互いの「共通点」を、いかに見出していくか。互いの「差異」を「多様性」として、いかに学び合い、自らを豊かにしていくか。
 ここに、現代世界に生きる私たちが、真摯に向き合うべき、喫緊(※1)の課題があるといっても、決して過言ではないのであります。
 そこで本日は、新たな「コミュニケーション」のあり方と要件をめぐって、
 一、価値創造の源泉としての文明間交流
 一、内発的精神に基づく開かれた対話
 一、教育による「平和の文化」の創出
 ──の3点にわたって私の所感の一端を述べさせていただきます。
 まず最初に強調したいのが、"価値創造の源泉"としての文明間交流の意義であります。
 「シチリアにこそすべてを解く鍵がある」(高木久雄訳『ゲーテ全集11』潮出版社)
 このあまりにも有名なゲーテの言葉を待つまでもなく、私はかねてより、このシチリアの天地こそ、文明間交流の意義を論じるにふさわしい場所であると考えてきました。
 シチリアは、歴史的に、文明と文明とが出あい、さまざまな民族が壮大な交流を織りなし、紡ぎ出してきた、人類文明の"美の遺産"の宝庫であります。
 実は、1984年の春、私が創立した東京富士美術館において、「シチリアの古代ギリシア展」を、盛大に開催させていただきました。
 まことに光栄なことに、シチリアの八つの考古学博物館から、彫刻や陶器をはじめ、700点にのぽる貴重な美術品や考古資料を、紹介させていただきました。
 「オデュッセイア」をはじめ、古代ギリシャの英雄たちが活躍した壮大な歴史の舞台へと誘う展覧会は、日本の5都市で開催され、多くの人々の心を動かし、魅了しました。
 その折、貴バレルモ大学の考古学や歴史学の先生方にも、多大なご協力をいただきました。
 同展が、シチリアと日本を結び、民衆レベルでの相互理解を深めゆく重要な機会となったことに、私は今もって、心からの感謝の念を禁じ得ないのであります。
2  最先端の知性と文化の発信地
 シチリアが放った、悠久なる歴史の光のなかで、ひときわ注目されるのが、ノルマン・シチリア王国が、「12世紀ルネサンス」と呼ばれる大文化運動に果たした役割であります。
 私も、以前、創価大学での講演(「スコラ哲学と現代文明」本全集第1巻収録)で論じましたが、中世のヨーロッパは、いわゆる"暗黒"などではなかった。
 イタリア・ルネサンスの開花に先駆けて、その萌芽となる学問や芸術などが、すでに奥深く発展していたことは、決して見逃すことのできない歴史であります。
 当時、王宮のあったバレルモでは、ギリシャ、ビザンチン、イスラムの哲学、数学、天文学等に関する多くの貴重な文献が、ラテン語に翻訳されておりました。
 そして、それらの宝石のごとき知識が、やがてヨーロッパの各地へと伝えられ、広まっていった。まさしくバレルモは、世界の最先端の知性と文化のセンターとして、比類のない光彩に包まれていたのであります。
 その光輝ある精神の伝統は、現存するバレルモの多くの建築物に、今も名残が留められております。
 現在、シチリア州議会堂となっているバレルモ王宮は、アラブ人が城として建て、ノルマン人が宮殿に改築し、スペイン人が華麗な装飾を加えた名建築として知られる、かけがえのない世界の宝の宮殿であります。
 異なる文明を受け容れ、融合させながら、新たな価値を創造し、その豊かな実りを、世界へと発信していく──。コスモポリタン都市としての真価を、きわめて象徴的に体現した場所であります。
 ここバレルモを都として、シチけア王国は、西欧の近代国家の揺籃ともなりました。それは、異なる文明との創造的な対話と交流がもたらすダイナミズムを、じつに雄弁に語りかけてくれます。
 キリスト教にせよ、ユダヤ教、イスラムにせよ、大乗仏教にせよ、世界の主な宗教は、いずれも「文明の十字路」において誕生しました。
 紀元2世紀頃、カニシカ王の治世に全盛期を迎えた古代インドのクシャーナ朝は、インド洋やアラビア湾の海路や、オアシスの交易路を通じて、ペルシャ、ローマ帝国とも、さらには中国とも結ばれ、交流を行っていました。
 そして、その触発と融合のなかで、かの有名な「ガンダーラ美術」が生まれ、そして「大乗仏教」が興起していったのであります。大乗仏教の勃興は、この壮大な交流なくしては、あり得なかったことが、最近の研究でも明らかになっております。
 まさに、文明の交流は、より豊饒な人間文化を興隆させ、時代の扉を大きく開く、新たな思想を育んでいったのであります。
3  発展か衰退かの大きな岐路
 もちろん、歴史上、異なる文明の出あいと接触が、予期せぬ事態を招き、また、数多くの対立や紛争の悲劇を生んできたことも事実であります。
 かつて私が対談集(『21世紀への対話』本全集第3巻収録)を発刊した歴史家アーノルド・トインビー博士は、人類文明の盛衰の歴史を「挑戦と応戦」の概念で分析し、考察しました。
 端的に申し上げるならば、"異なる文明との出あい"という「挑戦」に対し、どのように「応戦」し、適応していくか──それが、発展か衰退かの大きな岐路となるという史観であります。
 グローバル化が、急速な勢いで進む現代世界において、異なる文化や文明との出あいを、平和と共生の方向へ、創造的な方向へと、断じて向かわせていかねばならない。トインビー博士との一致点も、ここにありました。
 これこそ、現代の人類が突きっけられた重大な課題なのであります。
 とはいえ「文化の交流」といっても、「文明の対話」といっても、すべては人間と人間の「一対一のコミュニケーション」から始まるものであります。

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