Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

パリ国際会議「寛容の教育」での講演 信頼と友情の種子を植えよ

2003.5.14 提言・講演・論文 (池田大作全集第150巻)

前後
1  第二次世界大戦の余憧いまだおさまらぬ一九四五年の冬学期、ドイツ哲学界の重鎮カール・ヤスパースは、ハイデルベルク大学の教壇から、失意と傷心、混乱と模索の中にあった学生たちに、静かに訴えかけました。
 「われわれは語り合うということを学びたいものである」「語り合って理解すること、互いに寛容をもって譲り合うことによって生まれる和合一致こそ、強固な共同体を生むものであるL(『戦争の罪を問う』橋本文夫訳、平凡社)と。
 この訴えが「当時のドイツにおいて、おそらくもっとも澄んだ声」(ハンス・ザーナーの言葉。「解題――責罪の内に苦悩している理性」福井一光訳から、平凡社)として、内外にセンセーションを巻き起こしていったことは、周知の事実であります。
 その背景には、ヤスパースが、世界大戦という破局(カタストロフィー)を招いた近代文明総体の犀利な批判者であったこと、そして彼自身、ナチズムの重圧にも苦しみ抜いてきたことがあり、それが警世の言に千鈎の重みを与えているといってよい。
 以来、半世紀余り、二十一世紀の入り口に立って、私は、荒野に佇立する予言者の如き、この碩学の姿、言葉が想起されてならないのであります。ナチズムの盛衰は、文字通り暴力一色に覆われており、ボルシエピズムと並んで”戦争と暴力の世紀”を象徴する、対話や寛容とは対蹠的な思潮でした。それと訣別し、「文明間の対話」で幕を開けようとした今世紀、日ならずして半世紀前と酷似した荒涼たる時代状況に直面するとは、歴史の皮肉といわざるをえません。
 イラク問題の帰趨はまだまだ不透明であり、テロリズム、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)問題、などがあり、力には力、暴には暴で応ずるしかない式の人類史の悲しき業の流れは、対話や寛容の精神など、飲み尽くさんばかりであります。だからこそ、さまざまな対症療法と同時に、「今おとっている出来事は人類の危機」(『責罪論』橋本文夫訳、『ヤスパース選集』10所収、理想社)と訴える哲人のマクロ的視野を踏まえながら、自分らしく、身近な対話の一歩を踏み出していくことが肝要なのではないでしょうか。
2  「自他の対立」を超えて
 さて、ヨーロッパ主導型の近代文明を推し進めてきた駆動力は、極めて簡略化していえば、「自他の対立を基調にした競争原理」と括ることが可能でしょう。それは、産業革命から資本主義の発展、昨今のグローバリゼーシヨンまで通底しております。
 その結果、駆動力のおもむくところ、二度にわたる世界大戦という鬼子まで産み落としてしまったことを見て取ったヤスパースの危機意識は、「自他の対立」を包み込む「包括者」という概念に哲学的思索を結晶させました。これが、ヤスパース哲学のキー・コンセプト(カギとなる概念)であることは皆さま方に申し上げるまでもないことであります。
 そして、彼が著作で強調しているように、「包括者」とは、仏教のキー・コンセプトである「縁起」や「空」に極めて親近しているのであります。
 すべての存在を包み込む有機的な世界観を表す「縁起」や「空」について、詳論する時間的余裕はありませんが、「他者」の存在を、「自己」の存立のための絶対条件とするこの考え方は、寛容の精髄であり、対話を永続させ、実り多きものたらしむる不可欠の土壌である、と私は信じております。
 とはいえ、それは、万物一体の予定調和を所与のものとするようなスタティック(静的)な考え方を少しも意味しません。むしろ逆であり、誤解を恐れずにいえば「生は闘争である」(『朝の影のなかに』堀越孝一訳、中央公論社)と喝破したホイジンガのダイナミックな世界観のほうに、馴染みやすいものであります。
 人聞には、明るい光の面と、暗い閣の面とがあります。その根底に、究極の善の光を見いだすのであります。それを仏教では、「仏性」と呼んでおります。人間の深い暗聞に目を背けたり、目を閉じたりしては、その聞を破り立ち上がって光を放つ人々の勇敢さ、偉大さを本当に理解することは不可能でしょう。
 寛容の真の基盤は、善悪が不二一体として具わる生命を直視し、自他の内なる悪と戦い、善を育み、たゆまず努力するところにしか築くことはできないのではないでしょうか。
 代表的な大乗経典の一つ涅槃経には、”悪に対しては、それを糾弾し、追い立て、その罪を列挙すべきである。そうすることが、当人を益することになる。逆にもしそうしなければ、悪を増長させ、当人にとって仇となってしまう”(大正12巻381㌻)と説きます。
 寛容とは、現状に対する安易な全面肯定ではなく、むしろ悪への自覚、反省と慙愧を促し、善へと導いていくプロセスにある。換言すれば、対立や矛盾、善と悪とのせめぎ合いは、究極における結びつきの一つのあらわれであると捉えるのが、仏教の知見であります。
 一九九三年一月、サイモン・ウィーゼンタール・センターの「寛容の博物館」を見学した際、満腔の思いを込め、「私は感動しました」「私は激怒しました」「私は決意しました」と申し上げたのも、悪との間断なき戦いなくして、善もまた日常性の中に埋没し、結句は悪の跳梁を許してしまうことは明らかだからであります。
 そして、悪との戦いの中で、自らの善性を鍛え上げていった人のみが、弱さや怯儒と訣別し、真の寛容の旗を掲げることができるであろうことを、信じてやまないからであります。
 したがって、寛容とは今会議の標題にあるように「教育」と分かち難いものなのです。
 「教育」は、個々の人間、また個々の社会に変革をもたらすがゆえに、必然的に軋轢、そして痛みを伴います。
 痛みを共有しながら善へと教え導いていくという厳父のごとき叱咤が、現実には必要でしょう。同時にそれは、常にその存在をまるごと受け止める、悲母のごとき愛が伴わなければなりません。
 悪人をも含む万人の成仏を説き「経王」として古来広く尊崇されてきた法華経には、この両側面が説かれております。
 善と悪とを現ずるのは同じ一つの生命であり、一人の人間です。その総体を丸ごと受け止め、秘められた可能性に全幅の信頼を寄せつつ、その善性を開花させていくところに、仏教が目指す人間教育の真髄があります。釈尊が、あの”産婆術”の達人ソクラテスと並んで、最古の”人類の教師”とされるゆえんであります。
 こうした、人類の精神史的文脈を踏まえるならば、仏典が伝える、次のような釈尊にまつわるエピソードも、にわかに光彩を放ってくるのではないでしょうか。
3  「法」による統治で平和の時代が
 釈尊と同じ時代、「アングリマーラ(人の指の首飾りごという、渾名の付いた凶悪な強盗がいました。彼の元の名は「アヒンサカ(非暴力者)」でした。バラモンに師事していた時、師の妻の讒言により放逐され、人間不信に陥り、目的を喪失し、悪行を重ねていったのです。
 そのアングリマーラを改心させ、再びアヒンサカへと蘇生させたのが、釈尊でした。
 釈尊はアングリマーラと出会った時、じっと立つ彼に近づいては離れ、離れては近づきます。苛立つアングリマーラに対し、釈尊は語ります。
 「アングリマーラよ。わたしは、一切の生きとし生けるものどもに対する暴力を抑制して、つねに立っています。しかるに、そなたは生きものどもに対して〔害する心を〕抑制していない。それ故に、わたしは(静かに)立っているが、そなたは(静かに)立ってはいないのです」(『仏弟子の告白』中村元訳、岩波文庫)
 釈尊は、この言葉によって、彼の心の底に潜む恐怖と不安を剔抉し(=えぐり出し)、根源から取り除きました。釈尊にそれを可能ならしめたのは、人間の本性、すなわち仏性への深い信頼でした。自他の根源的悪の闇を突き抜けた奥底に厳然と輝き、人々をも照らす「善の太陽」を見つめていたからです。
 まことに、心とは不思議な力のもち主であります。一見、些細なエピソードのように見えますが、この「善の太陽」がアショーカ王の心中に豁然と昇った時、あの仏教史に燦然と輝く「法」による統治が実現し、平和の時代が招き寄せられたという人類史の遺訓、つまり胸中の制覇がもたらす偉大な力、起爆力を忘れてはならないと思います。
 ちなみに、ヤスパースが『偉大な哲学者たち』で取り上げたもう一人の仏教者である大乗の大論師・竜樹は、シャータヴアーハナ王朝の王に宛てた著作『宝行王正論』で興味深い進言を行っています。悪を犯した者に対して、憎悪や利害に基づいて、裁き罰するのではなく、慈悲の親心で教え導くよう、訴えているのです。
 私どもが信奉する日蓮大聖人は、主著の一つ『立正安国論』で、人間の善性に背く悪に対しては徹底して糾弾すべきであるとするが、死をもって報いることは退けています。
 悪の行いは断じて許さないし徹底して糾弾するが、悪の行いをした人にも秘められている尊厳性は認める。それゆえ糾弾自体が、その内なる尊厳性に気づかせ開花させるための慈悲の行為となるのです。
 こうした寛恕、寛容の心性が、時代精神にまで昇華されゆく時、「刑は刑無きに期す」という刑法の理想は、見果てぬ夢から、ようやく現実味を帯びてくるであろうことを、私は疑いません。

1
1