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日蓮大聖人・池田大作

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第29回「SGIの日」記念提言 「内なる精神革命の万波を」

2004.1.26 提言・講演・論文 (池田大作全集第150巻)

前後
1  第29回「SGIの日」を記念し、私の所感を述べ、世界平和への模索の一端とて提起してみたいと思います。21世紀に入って国際社会は、新しい脅威の台頭とその対応をめぐって、激震が続いています。
 3年前のアメリカでの「同時多発テロ事件」以来、多くの一般市民を巻き込んだ無差別テロが各地で続発する一方で、核兵器や化学兵器などの大量破壊兵器の拡散に対する懸念が高まり、とくに昨年はイラクの大量破壊兵器の査察問題が大きな焦点となりました。
2  イラク問題が提起した難題
 12年間にわたって、国連の安全保障理事会による数々の決議を誠実に順守してこなかったイラクヘの軍事力行使の是非について、国際社会の意見が分かれる中で、3月、米英両国が最終的に攻撃に踏み切りました。
 圧倒的な軍事力を背景に、21日間の戦闘でフセイン政権の崩壊をみたわけですが、その後、イラクを占領統治するアメリカや関係国、さらには国連を標的にしたテロや襲撃事件が相次いでおり、イラク復興や中東地域の安定に暗い影を落としています。
 同様の混迷は、3年前、テロ組織「アルカイーダ」の掃討のために、軍事力が行使されたアフガニスタンにおいても見られます。今月、ようやく憲法が採択されたものの、依然、旧タリバン勢力によるとみられるテロが続くなど治安の悪化が懸念されています。
 こうした状況は、新しい脅威を看過したり、放置しないためには国際社会の強い意志と行動が必要とされるものの、軍事力に重きを置いたアプローチだけでは問題の根本的解決を図ることが容易ではないことを、物語っているように思われます。このイラクやアフガニスタンの復興問題に加えて、世界で今、大きな焦点となっているのがイスラエルとパレスチナ間の和平問題であり、北朝鮮の核開発問題です。
 いずれも先行き不透明な状況にありますが、こうした戦乱や対立が続く時代の暗雲の厚さとともに、深刻さを帯びているのは、世界の多くの人々が抱き始めている思い――すなわち、次々と問題が起こり、軍事力などの強制的な力によって事態の打開が試みられるものの、平和への確かな光明が一向に見いだせないことに対する不安感であり、焦燥感、そして何よりも閉塞感ではないでしょうか。
3  対症療法でなく抜本療法の道を
 たしかに、軍事力に象徴されるハード・パワーの行使によって、一時的に事態の打開を図ることはできるかもしれない。しかしそれは、対症療法的な性格が強く、かえって"憎しみの種子"を紛争地域に残し、事態を膠着化させかねないことは、多くの識者の憂慮するところであり、事実、そうした状況は、いたるところに顕在化しております。
 私が過去2回の提言で繰り返し、軍事力などのハード・パワーが"憎悪と報復の連鎖"に陥ることなく、何らかの効果を生むためには、それを保持し行使する側に徹底した「自己規律」「自制心」のはたらきが欠かせないと訴え、ソフト・パワーを含めた形で国際社会が足並みを揃えて対処していくことの重要性を呼びかけたのも、そうした強い懸念に基づくものでした。
 つまりそうした行為の裏付けとして、文明を文明たらしめる証としての、「他者への眼差し」に基づいた「自己規律」の精神がなければ、そこに説得性は生まれず、平和と安定に結びつくことは難しいからです。
 イラクヘの軍事力行使の是非をめぐる国際社会の亀裂は今なお尾を引いていますが、そこでの教訓を各国が真摯に踏まえながら、対症療法の域を超えて、抜本療法のために何が要請されるのかをともに模索し、建設的な対話を重ねていくことが、何にもまして求められているのではないでしょうか。
 すなわち、テロとの戦いという極めて今日的な"非対称戦"の泥沼化を防ぎ、なにがしかの実効を期するためには、テロリストの側からの自制が望み得べくもない以上、それと対峙する側に、ハード・パワーの行使にもまして、相手の立場をおもんばかる自制心を堅持しつつ、貧困や差別などテロリズムの温床に思い切ってメスを入れていく勇気ある度量が欠かせないからです。
 それが、文明の証ではないでしょうか。
 そうでなくて、いくら「自由」や「民主主義」を、文明の果実である普遍的理念として言挙げしてみても、"人のふり見て、わがふり直す"自制心に発する呼びかけ、メッセージに裏打ちされていなければ、そして、「無理やり従わせるのではなく、味方にする力」(ハーバード大学ケネディスクールのジョセフ・ナイ院長)であるソフト・パワーの「かたち」として民衆の心に届いていなければ、内実を伴わない空しいスローガンに終わってしまう――そうした懸念を、どうしても払拭することはできないのであります。
 そこで今回、私はそうした事態への政治的、軍事的対応(その基本的スタンスについては、昨年、一昨年の提言で述べました)とは次元を異にして、迂遠なようでも、テロと武力報復の果てしなき応酬に象徴される荒涼たる時代の閉塞状況、時代精神の腐蝕せる根の部分に、私なりにメスを入れてみたい。

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