Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

寂光  

小説「人間革命」11-12巻 (池田大作全集第149巻)

前後
1  創価の歴史に、「3・16」という光源を点じた戸田城聖は、この日を境に、急速に衰弱していった。
 彼は、理境坊の二階に布団を敷き、一日中、横になっていることが多かった。しかし、彼には、なんの苦痛もなかった。成すべきことを、ことごとく成し終えた、燃焼のあとの、さわやかな虚脱のなかに、彼は、ひとり身を委ねていたのである。
 山本伸一は、戸田の指示を受けて、三月十六日の夜には、いったん東京に戻った。そして、四月度の諸行事の準備にあたるとともに、留守中にたまった大東商工の仕事を片付けた。
 二、三日して総本山に戻ってみると、戸田の衰弱の激しさに、伸一は驚きを隠せなかった。戸田は、もう自分の力では、立って歩くことさえできなかった。
 だが、布団に横たわりながらも、彼は毅然としていた。調子のよい時には、上体を起こしてもらい、伸一を呼び、楽しそうに語り合った。
 もはや、命尽きる日を前にしての、師弟の語らいといってよかった。それは、千鈎の重みをもち、そこは、黄金の光につつまれる部屋になっていた。
 ある時、戸田は、伸一に尋ねた。
 「今日は、なんの本を読んだのかね」
 総登山の運営の慌ただしさのなかで、読書を忘れかけていた伸一は、戸田の問いかけに、冷や汗を浮かべるばかりであった。
 「指導者になろうとする者は、何があっても読書を忘れてはならない。私は、総本山に来てから、『十八史略』を第三巻まで読んだよ」
 彼は、総本山でも、時間があれば、『十八史略』を身近にいる幹部に朗読させ、静かに思索を重ねてきたのである。
 それから戸田は、『十八史略』に登場する漢の功臣・蕭何しょうかの話をした。
 「漢の高祖は、天下を取った時、臣下のなかでも蕭何を第一の功労者として、たくさんの領地を与えた。蕭何は、国内の治安を確立し、食糧や武器の確保に努めてきた人物だ。
 他の将軍たちにしてみれば、心が治まらない。
 『彼は、われわれのように前線で命をかけて戦うこともなく、後方の安全な所に身を置いていた。それが第一の功労者というのは解せません』というわけだ。
 この時、高祖は、猟犬と猟師の話をする。
 『獲物を追いかけて、咬み殺すのは犬だが、犬の綱を解いて、獲物を追いかけさせるのは猟師だ。諸君は、ただ、逃げていく獲物を追いかけただけだから、犬のような功労であり、蕭何こそ、綱を解き、獲物を追いかけさせた猟師の功労に値する』
 つまり、前線にあって、皆が心配なく、思う存分戦えたのは、蕭何の力があったからであり、蕭何こそ、最大の功労者であるというのだ。
 私が、首相夫人たちの歓迎大会の時に豚汁を用意させたのも、蕭何にならってのことだよ。朝、腹を減らし、寒さに震えている青年たちにとって、一杯の熱い豚汁が、どれほどの力となるか、皆もよくわかつてくれたと思う。
 敢然と敵に向かって突き進むことは当然だが、それだけでは、勝利は得られない。勇敢に戦場を駆け巡るとともに、蕭何のような働きができる人材が、学会には必要なんだ。勇ましいだけでなく、全体観に立って、陰で万全を尽くして手を打つことができる人間だよ」
 伸一は、戸田の話を聞きながら、この『十八史略』に登場する諸葛孔明のことを思い起こしていた。
 ――諸葛孔明は、後に蜀の国の創始者となる劉備に、軍師として三顧の札をもって迎えられる。孔明を得た劉備は、やがて帝位に就き、魏、呉、蜀の三国鼎立の時代が訪れる。しかし、劉備は、程なく後事を孔明に託して没する。
 劉備の子の劉禅は、まだ十七歳であった。孔明は、劉禅に「出師の表」を残して、魏を討つべく出陣していく。しかし、臣下の馬謖ばしょくの失敗で敗れ帰る。やがて、孔明は、陣列を整えて、総勢十万の兵を繰り出し、最後の決戦に臨む。しかし、魏の大将軍・司馬懿し ば いは、孔明の挑発に応ずることなく、陣を出て戦おうとはしなかった。
 司馬懿は、孔明が十分な休息も、満ち足りた食事もとらず、自ら陣頭に立って働いていることを知り、孔明の命は長くはあるまいと判断し、戦いを避けたのである。事実、孔明は陣中にあって、病にかかり、重体に陥っていた。彼は重い病のなかで、漢室の将来を案じつつ息を引き取るのである。
2  伸一の脳裏に、「星落秋風五丈原」の歌が浮かんだ。
  ♪成否を誰れかあげつらふ
   一死尽くしし身の誠
   仰げば銀河影冴えて
   無数の星斗光濃し
   照すやいなや英雄の
   苦心孤忠の胸ひとつ
   其壮烈に感じては
   鬼神もかむ秋の風
 そこに歌われた諸葛孔明と、眼前の戸田とが重なり、伸一は胸を突かれた。
 広宣流布に一身を捧げ、休む暇さえなく、走りに走り、壮絶な闘争を展開してきた恩師・戸田城聖……。広宣流布を誓願してきた彼には、安穏の日々などなかったといってよい。その広宣流布は、今、始まったばかりというのに、戸田の命はまさに燃え尽きようとしている。
 伸一は、師の胸中を思うと、目頭が熱くなった。
 ″先生は、弟子に後事を託すも、私をはじめ、皆、まだまだ未熟だ。力をつけねば、強くならねば……。そして、先生にご安心いただくのだ″
 伸一は、心で戸田の長寿を念じながら、自らに言い聞かせるのであった。
 このころから、戸田城聖が布団の上に起き上がる姿を目にすることは、ほとんどなくなっていった。しかし、彼は、伸一を、毎日、枕元に呼んでは、語り合う日が続いた。
 ある朝のことである。伸一が戸田の部屋に行くと、戸田は床の中で、にこやかな表情を浮かべて話しかけてきた。
 「伸一、昨日は、メキシコへ行った夢を見たよ」
 伸一は枕元に座り、笑顔を返した。
 「待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな。行きたいな、世界へ。広宣流布の旅に……」
 「先生……」
 伸一には、戸田の思いが痛いほどわかった。胸に熱いものが込み上げてきてならなかった。
 「伸一、世界が相手だ。君の本当の舞台は世界だよ。世界は広いぞ。人種も、民族も異なる。自由主義の国も、社会主義の国もある。国によって宗教もさまざまだ。また、布教を認めない国もある。そうした国々に、どうやって妙法を弘めていくか、今からよく考えておくことだ。人類の幸福と平和の実現こそ、仏法の本義なんだからな」
 戸田は、まじまじと伸一の顔を見た。そして、布団のなかから手を出した。伸一は、無言でその手を握った。
 「伸一、生きろ。うんと生きるんだぞ。そして、世界に征くんだ」
 戸田は、後を託す愛弟子が、体が弱いことが心配でならなかったのであろう。
 伸一は、戸田の手を握りしめ、何度も頷きながら、唇をかみしめた。彼は、師匠の温かい情愛と自己の使命の重大さが、痛感されてならなかった。
 三月下旬になると、総登山は三分の二を終えたが、伸一を中心に、運営本部は無事故を期して、連日、フル回転していた。
 伸一は、役員の青年たちが理境坊に集ってくると、決まって、学会歌を合唱しようと言うのであった。
 ある時、彼は一高寮歌「鳴呼玉杯に花うけて」を歌おうと提案し、自ら指揮を執った。
 歌い終わると、伸一は言った。
 「もう一度!」
 皆は、前よりも元気に、力いっぱい歌った。しかし、伸一は、さらに「もう一度!」と言うのである。青年たちは、なぜ、何度も合唱するのかわからなかった。
 みんなの気持ちを察し、伸一は、静かに言った。
 「二階では戸田先生が、お休みです。『広宣流布は私たちがやります』との、力強い歌声をお聞かせできれば、先生にご安心していただける。さあ、弟子としての誓いを込めて歌おうじゃないか!」
 歌は、何度も、何度も、繰り返された。青年たちは、師を思う伸一の心を知り、感激に胸を熱くしながら歌うのであった。
3  三月二十二日、戸田城聖は、緊急に理事室、参謀室を招集し、連合会議を聞いた。
 布団の上に身を起こした戸田を囲むように、幹部が座っていた。皆、戸田が何を言うのか、緊張しながら言葉を待った。彼は、一人ひとりに視線を投げかけながら、鋭い口調で語り始めた。
 「学会の組織は、この戸田の命だ。どこまでも広宣流布のための、清らかな信心の組織でなければならない。不純な心によって、尊い学会が汚されてなるものか!」
 首脳幹部たちは、戸田が何を言おうとしているのか、すぐには理解しかね、次の言葉を聴きもらすまいと耳をそばだてた。
 「君たちも気づいていると思うが、幹部で、その立場を利用して、保険の勧誘や商品の売り込みを行っている者がいる。それを放置して、おけば、学会は完全に、むしばまれてしまうことになるだろう。これは、由々しき問題だ。今のうちに大掃除をしておかなければならん。師子身中の虫を叩き出すのだ!」
 戸田は、組織を自己のために利用した幹部を、解任するように指示したのである。
 「学会も、これだけ大きくなると、見方によっては、いわば一つの大市場に映るだろう。今後も、学会の組織を、私利私欲のために利用しようとする者が現れよう。そのためにも、今のうちに断固たる処分を行い、そうした芽を摘んでおくことが大事なんだ。各支部ともよく実態を調べて、順次、解任に踏み切りなさい」
 「わかりました。そういたします」
 小西理事長が答えると、戸田は重ねて言った。
 「もう一つ、これまで、各役職の待遇制度があったが、これも廃止しよう。内実のともなわぬ役職など、形式であって必要はない。権威主義に陥るだけになってしまう。広宣流布のために戦って、実績をあげるからこそ、幹部であり、また、会員も幹部として遇するのだ。
 戦いなき者を幹部として待遇していれば、組織は動脈硬化を起こして、死んでしまう。待遇という役職を外されたぐらいで戦えないような者は、学会には必要ない。一兵卒、一会員になっても、広宣流布のために戦ってこそ、戸田の弟子ではないか。みんな、異論はないな」
 戸田は、布団の上から一同の顔を見回した。首脳幹部たちは、戸田の断固たる決意を感じ取り、異を唱える者はいなかった。
 この時、戸田のとった措置は、一点の濁りもない、清らかで、躍動した信心の血液を、学会の組織に永遠に流れ通わすための、未来への布石であったというよう。
 この理事室と参謀室の連合会議の決定にしたがい、第一回分の解任人事が三月二十五日に発表され、二十八日付の聖教新聞に掲載された。
 戸田城聖の衰弱は、日に日に激しくなっていった。看護にあたっていた婦人部の幹部は、彼の容体の変化に胸を痛め、医師の診察を仰ぐことにした。
 三月二十四日、東京から木田医師がやってきた。戸田は、医師を呼んだことを知ると、怒りだした。
 しかし、木田の顔を見ると、黙って身を委ねた。
 一通り診察が終わると、戸田は、毅然として言った。
 「では、結論を聞こうか」
 医師は、あまりの平静さに驚いて、戸田を見た。
 「ご病気はすべて治っております。ただ、お体が著しく衰弱しています。重湯でも、スープでも結構ですから、しっかりお召し上がりになってください。力がつきます」
 戸田は、思った。
 ″どこも悪くないということは、病魔は完全に克服したことになる。すると、あとは私自身の使命の問題だ。しかし、私は、念願の七十五万世帯を達成し、大講堂も寄進申し上げた。総登山の盛儀も、あと一週間で終わろうとしている。今、一人の人間として果たすべき使命を、ことごとく果たし終えたといえる……″
 木田医師が帰っていくと、戸田は満ち足りた思いで、枕の上から、窓外に広がる春の空を見た。彼には、太陽の光をいっぱいに吸い取り、青く澄み渡った空が、ことのほか美しく、まばゆく輝いて見えた。
 空を眺めながら、戸田は、大宇宙に吸い込まれていくような思いがした。彼には、今、死というものが極めて身近にあった。永遠に身を委ねつつある自己を感じていた。そして、生死が不二であることを、心から実感することができた。彼は、死を凝視しながら、なんの恐れもなかった。
 しばらくすると、秘書部長の泉田ためがやって来た。
 「先生、何か、お召し上がりいただけませんでしょうか」
 「いや、いらぬ。それより、ここに座りなさい」
 戸田に言われて、泉田は、枕元に正座した。
 「私が死んだらな……」
 戸田が、こう言いかけると、泉田は目を潤ませた。
 「お亡くなりになるなんて……先生、そんなこと、おっしゃらないでください」
 「まぁ、聞きなさい。人間、誰でも、いつか死ぬものだ。私は死んだら、大聖人のところへ帰ってごあいさつをする。そこで、叱られるか褒められるかはわからんが、七日たてば、また戻ってくる。
 もっとも、宇宙には地球のような星がたくさんあるから、大聖人に、どこかの星で広宣流布せよ、と言われれば、そこに生まれることになるだろう。
 ともかく七日間は、私の遺骸は焼かずに、そのままにしておきなさい。みんな、私の死相をよく見ておくのだ。本当の成仏の相とはどういうものか、教えておきたいのだよ」
 泉田ためは、涙で赤らんだ目を、しばたたきながら頷いた。この言葉も、戸田の遺言となった。
 参道の枝垂桜の蕾も、ようやく膨らみ、日に日に春めいてきた。
 戸田は理境坊の二階で床に臥し、うつらうつらしながら時を過ごすことが多くなっていた。それでも目覚めている時には、もたらされる報告に耳を傾け、指示を与えながら、残り少なくなった総登山の日々を、一日、また一日と、過ごしていった。
 三月も末に迫った日のことであった。総登山の整理役員として登山していた青年が、早朝、六壺の廊下を通りかかると、一人の僧侶が、所化小僧たちを怒鳴り散らす光景に出くわした。彼らの多くは、小・中学生であり、見るからにあどけない少年もいた。
 「勤行のやり方がなってねえんだよ。いいか、だいたい、お前らはな……」
 青年は、いたいけな少年たちを怒鳴りつける僧侶を見て、あっけにとられて立ち止まった。
 この僧侶は、所化頭であった。酒を飲んでいると見え、顔は異様に赤かった。彼は仁王立ちになって、所化小僧を睨みすえている。少年たちは、怯えた表情で、哀願するような目をしながら、体を硬くして正座していた。
 所化頭は、さんざん罵声を浴びせると、一抱えほどもある大きな鈴を手にし、一人の所化小僧の頭に被せた。そして、その上から、鈴棒を力まかせに振り下ろし、打ちすえたのである。
 目を覆いたくなるような、凄惨な光景であった。所化頭は、口もとに笑いさえ浮かべていた。整理役員の青年は、呆然として立ち尽くしていた。
 やがて、所化頭は青年の姿に気づくと、戸を荒らげて言った。
 「お前は、なんだ!」
 「学会の青年部です」
 「なにっ、学会の青年部は生意気だ。さっさと行け!」
 青年は、驚いて立ち去り、理境坊の運営本部に行くと、山本伸一に、その模様を伝えた。
 伸一は報告を聞くと、顔を曇らせて言った。
 「また、そんなことがあったのか……」
 実は、その前にも、清掃作業などのために、総本山に雇われていた特別作業班の青年部員から、同じような報告が寄せられていたのである。
 作業班の青年たちは、大坊に宿泊していたが、この所化頭が酒を飲み、すごい剣幕で所化小僧たちを罵倒する現場を目にした。
 「お前たちなど、身延の山に行ってしまえ!」
 日興上人が離山した身延へ行けなどという言葉を、日蓮正宗の僧侶が口にするなど、およそ考えられないことであった。それは得度した所化小僧たちにとっても、最大の侮辱にほかならない。青年たちは、自分の耳を疑った。そして、その時も、鈴を頭に被せて、鈴棒で打つという狂態を演じたのである。
 作業班の青年は、憤りに燃えて、その様子を、伸一に報告した。それから、まだ、数日しかたっていない。
 大講堂落慶の記念行事の期間中は、警備に万全を期すために、飲酒などすることのないよう、宗門とも話し合いが行われていた。それだけに、毎日、酒を飲み、所化小僧を虐待する、この僧侶に対し、青年たちの誰もが義憤を感じた。
 役員の青年の一人が、山本伸一に言った。
 「室長、それだけじゃありません。あの所化頭は、登山者がお小僧さんのために持ってきた各地の銘菓や果物に対して、『こんな余り物を』と吐き捨てるように言っているんです。十六日に、戸田先生を車駕にお乗せしたことについても、『総本山では乗り物は禁止されているのに、いい気になって、なんだ』と声高に罵っていました。もう、黙っているわけにはいきません」
 青年たちにしてみれば、この所化頭の振る舞いは、とても許すことのできない所業であった。
 伸一は、所化頭に反省を求める必要があると考え、総本山の内事部を訪ねた。
 内事部にいた宗門の理事は、事情を聞くと、「それでは、彼を呼んで反省を促し、謝罪させましょう」と約束してくれた。
 しかし、所化頭は、自分の言動が問題にされていることを知ると、姿を隠してしまった。だが、近くの旅館の押し入れに隠れているところを、探しに行った僧侶に見つけられ、やむなく六壷にやって来た。そこには、学会の青年部の幹部も、二、三十人ほど出向いていた。
 所化頭は、酒の臭いをぷんぷんさせながら、ふてくされた表情をしていた。学会の青年たちは、日ごろの所化頭の言動をあげて、その真意を尋ねるとともに、反省を求めようとした。
 「あなたは、お小僧さんに、『身延の山へ行ってしまえ』と言ったり、暴力を振るったりしていますが、なぜ、あんなに酷いことを言ったり、したりするんですか」
 所化頭は、押し黙って青年たちを睨みつけるばかりで、全く反省している様子はなかった。同席していた僧侶も、困惑していた。
 間もなく、法主の日淳が、ここを通る時間であった。立ち会っていた僧侶は、心配をかけてはならないとの思いから、近くの河原に、場所を移して話し合おうと提案した。
 立ち会いの二人の僧侶と所化頭と共に、青年たちは、潤井川へ向かった。河原に下りると、青年たちは、また、さっきと同じ質問を発したが、所化頭は傲然として脱みつけ、そして、そっぽを向いた。その態度に腹を立て、厳しい口調で問う者もいた。
 「あなたは僧侶として、大事な記念行事のさなかに、毎日、酒など飲んで恥ずかしいとは思わないんですか。……ちゃんと、質問に答えなさい」
 伸一は、青年たちが怒りのあまり、口調が詰問調になるたびに、「まあ、待ちなさい」と、制止した。
 所化頭は、よほど酒を飲んでいたとみえ、青年部員の言うことさえ、理解できないでいるようだった。伸一は、僧侶の醜態を前にして、憤りを通り越して、むしろ、悲しさを覚えていた。
 戸田が宗門の興隆のために、外護の赤誠を貫いてきたことを嘲笑うかのように、僧侶の腐敗、堕落は、限りなく進行していたのである。
 青年の一人が言った。
 「酔っているのなら、顔を洗ってきたらどうですか」
 立ち会いの二人の僧侶は、所化頭を川まで連れて行き、顔を洗わせた。所化頭が戻って来るのを待って、伸一は、諄々と諭すように語り始めた。
 「いいですか、このたびの大講堂の落成は、日蓮正宗の七百年の歴史に輝く、晴れの壮挙なのです。その慶祝登山のさなかに、僧侶が、朝から酒を飲んでいるようなことがあって、いいんですか。
 しかも、あなたはお小僧さんを不当にいじめている。鈴を被せて打つなどということは、修行でも、訓練でも、決してないはずです。暴力、暴言は、私どもとしても、見過ごすわけにはいきません。ぜひ、おやめください。
 学会員は、僧侶の皆さんを尊敬しようとしているし、お小僧さんも心から大切にしています。それだから、登山のたびに、お小僧さんたちに、ひもじい思いをさせてはならないと、苦しい生活費のなかから菓子や果物を買い、お届けしてきたんです。
 しかし、あなたは、それを『余り物』と言い、学会員を悪く言う。それでは、あまりにも、学会員を愚弄しているではありませんか。みんなの真心を踏みにじらないでいただきたいんです。
 また、あなたは日ごろから、戸田先生や学会の青年部員に反感をいだき、悪口を言っていると聞きましたが、そういうことも、おやめいただきたい。もし、ご意見や批判があるならば、お伺いしますので、私に言ってください……」
 伸一は忍耐強く、かんで含めるように所化頭の非をただした。真心を尽くしての説得であった。
 所化頭は、意固地になっていると見え、ふてくされた態度を取り続けていたが、次第にうなだれていった。
 最後に伸一は、「あなたのことは宗門に、お任せしますが、私たちの思いをわかってください」と言って、立ち上がった。その時、それまで押し黙っていた所化頭の、「すいません……」という声が、かすかに聞こえた。
 伸一をはじめ、青年たちは引き揚げていった。

1
1