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日蓮大聖人・池田大作

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涼風  

小説「人間革命」11-12巻 (池田大作全集第149巻)

前後
1  大自然の力は、限り、なく強く、大きい。自然の猛威の前には、人間の力は、あまりにも小さく、はかない。
 しかし、人間の心は無限である。その人間の一念というものは、遍く大自然をつつみ、大宇宙を動かしてゆく不可思議な力用をもっている。
2  一九五七年(昭和三十二年)八月十三日、戸田城聖は、浅間山の鬼押出に立っていた。黒褐色の奇岩が連なるとの鬼押出は、一七八三年(天明三年)、浅間山の大噴火によって噴き出した溶岩の跡である。
 戸田城聖は、この夏、東京の盛夏の暑熱を避けて、軽井沢に滞在していた。
 彼は、自身の体調の異変に気づいていた。例年になく、東京の暑さが耐えがたいのであった。体力の衰弱を察知した彼は、八月上旬、夏季講習会を終えると、家族を伴い、軽井沢にやって来た。彼にとっては珍しいことであった。
 戸田は軽井沢に来て、数日ほどたったころ、東京へ電話をかけ、山本伸一に、こちらに来るように伝えた。彼は、大阪の事件での、伸一の労苦をねぎらってやりたかったのである。
 伸一は、八月八日から十四日までの一週間にわたって実施された夏季ブロック指導で、東京・荒川区の最高責任者として指揮を執っていた。その渦中ではあったが、戸田の電話を受けると、直ちに、軽井沢に向かった。伸一も、数日後に、戸田と訪問することになっていた北海道での諸行事などについて、決裁を受けたいことがあった。
 彼は、戸田の了解を得て、森川一正と一緒に、軽井沢にやって来たのだ。
 鬼押出の荒涼たる景観に見入る戸田の傍らには、伸一と森川がいた。二人は深く息をついて、無言のまま、地獄を思わせる奇岩を眺めていた。
 戸田は、二、三日前にも、ここに来ていたが、伸一たちにも、ぜひ、との景観を見せてやりたいと思い、ホテルから車を飛ばしてやってきたのだった。
 浅間山の頂には、淡い噴煙が立ち上っているのが見えた。その山頂から、黒々とした奇怪な溶岩が、幾重にも山腹を覆っている。
 「これは、自然界における地獄界の痕跡といえるだろう。この景観を見て、君たちはどう思うかね」
 戸田は、二人の青年に語りかけた。
 「すごいですね」
 森川は、こう言ったきり、次の言葉が続かなかった。
 「大自然の猛威を痛感します。私は、噴火のなかで、人びとがなす術もなく逃げ惑う姿を想像しながら、『立正安国論』を思い起こしておりました」
 伸一が答えた。
 「そうか。大自然の不可思議な現象も、仏法に照らしてみれば、すべて明らかになるものだ」
 戸田は、静かに言うと、奇岩の間を縫うように歩きだした。二人の青年は、彼を両側から支えるようにして、ついて行った。戸田の足取りは弱く、どことなく、おぼつかなかった。あの昔日の堂々とした彼の闊歩を見ることは、既にできなかった。
 空は晴れ、西に傾いた夏の太陽が照りつけていたが、山の中腹だけに大気は涼しく、風はさわやかであった。
 浅間山の大噴火が起こったのは、一七八三年(天明三年)のことであった。
 この年、旧暦の四月九日に噴火が始まり、その後、断続的に爆発を繰り返していたが、七月に入ると、噴火は激しさを増し、七日から八日にかけて大爆発を起こしたのである。大音響とともに火口は火煙を噴き上げ、灼熱の火砕流が流れ下り、瞬く間に上野国吾妻郡の鎌原村をのみ込んでいった。
 このため、高台に立つ観音堂の五十段の石段のうち、十五段を残して、村ごと火砕流に埋もれた。村人四百数十人が死亡し、生き残った者は、この観音堂に避難していた人など、わずか百人前後にすぎなかったといわれる。
 さらに、火砕流は吾妻川に流れ込み、川をせき止め、やがて、川が氾濫して大洪水を引き起こしていった。火の燃える泥流が煙を上げて流れ、空は黒煙に覆われ、降り注ぐ焼けた石と灰……。逃げ惑う人びとの姿は、この世の地獄絵さながらであったにちがいない。
 浅間山の噴火による死者は、幕府の正史である『徳川実紀』によれば、およそ二万人とされている。そして、この火砕流に続いて流れ出た溶岩流が固まってできたのが、鬼押出である。
 降灰は江戸にまで及び、農作物に甚大な被害を及ぼした。さらに噴き上げた火山灰は空を覆い、太陽の光をさえぎった。
 この年は、アイスランドの火山の大噴火なども起こっており、ヨーロッパや北アメリカで、異常気象が凶作をもたらしていた。
 日本でも、前年の八二年(同二年)から、冷害が各地を襲い、飢饉が広がった。天明の大飢饉と呼ばれるものである。浅間山の噴火は、その大飢饉に追い打ちをかけるものとなったのである。
 この大飢饉で、津軽藩では餓死者八万人余、南部藩でも四万人余を出した。冷害、長雨による凶作は、八八年(同八年)まで続き、全国の各藩で、一撲や、打ちこわしが、相次いで起こっている。
 ヨーロッパでも、異常気象が数年にわたって続き、農作物に深刻な影響をもたらした。蔓延する飢餓と貧困は、あの八九年のフランス革命の遠因にもなったといわれる。天明期は、異常気象や火山の大噴火など、自然界の異変が、地球的規模で人間社会を脅かしていた時代であった。
3  戸田城聖は、近くの岩石の上に腰を下ろした。鬼押出は、いつしか夏の夕焼けにつつまれていた。夕映えの空にそよぐ、涼風が心地よかった。
 戸田が言った。
 「何か、私に聞いておきたいことがあったら、遠慮しないで聞きなさい」
 森川一正が、口を聞いた。
 「先生、御書には『万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨つちくれを砕かず』と仰せですが、広宣流布の暁には、こうした噴火なども起こらなくなるのでしょうか」
 「山も、成・住・壊・空という変化を繰り返しているのだから、その過程で噴火を起こすことは、なくなりはしないだろう。しかし、たとえ、噴火を起こしたとしても、それによって、民衆が苦しむという事態を、避けることはできるはずだ」
 浅間の山肌は、薄紫に染まり、山頂から立ち上る淡い噴煙は、東になびいていた。
 噴煙の流れを見ながら、戸田がつぶやいた。軽井沢では、浅間の山頂に西風が吹き、煙が東に流れれば、翌日は晴れるといわれる。
 戸田は、二人の青年に言った。
 「ほかに、何か聞きたいことはないかね」
 伸一には、疲弊しながらも、愛する弟子のために、力を振り絞るようにして、仏法の法理を語り説こうとする戸田の慈愛が、痛いほど胸に染みた。
 伸一が尋ねた
 「先生、自然災害の脅威もさることながら、現代では、戦争などの人災の方が、はるかに大きな脅威になってきているのではないかと思います。
 なかでも最大の脅威は、原水爆ではないでしょうか。広島や長崎の原爆で命を失った人の数は、近年の火山の噴火や台風などの犠牲者の比ではありませし……」
 戸田の目が光った。
 「そうだ。そうなんだよ。私も、最近、この問題について、考え続けているんだよ。今や世界の大国は、核実験を繰り返し、熾烈な競争をしているだけに、このままいけば、原水爆は、人類を滅亡させ、地球を破滅させることにもなりかねないだろう。
 仏法は、人類のため、全世界の民衆の幸福のための大法だ。そうであるならば、人類のかかえる課題の一つ一つは、そのまま仏法者の避けがたいテーマとなるはずだ。なんとしても、原水爆の廃絶への道を開かねばならぬ。そこに創価学会の使命もあるんだよ。
 私は、この決意を、青年諸君に託しておかなくてはならないと思っている」
 その言葉には、底知れぬ深い決意が秘められていた。
 戸田は、待たせてあった車の方に向かって歩きだした。真っ赤な夕日が、辺りをつつんでいた。吹き抜ける風は、肌寒さを感じさせた。
 三人は、車に乗ると、戸田が滞在しているホテルに向かった。
 戸田は、二人の青年と共に、ホテルの食堂で食事をしようと思った。しかし、ホテルに着いてみると、夕食時だけに、食堂は人で賑わっていた。
 戸田は、部屋に食事を取り寄せることにした。体力の衰えを感じていた彼にとって、食堂の混雑は耐えがたかったからである。
 伸一は、食事をしながら、当面する地方指導について、戸田の指示を仰いだ。
 やがて話題は、発刊されて間もない、戸田が妙悟空のペンネームで書いた小説『人間革命』に及んだ。
 戸田は、興味深そうに尋ねた。
 「君たちの感想はどうかね」
 森川が即座に答えた。
 「はい、面白く読ませていただきました。巌さんの生き方に感動いたしました」
 伸一は、なぜか黙ったままだった。戸田は、伸一に顔を向け、答えを促すように口をつぐんでいた。
 伸一は、戸田の書いた小説『人間革命』を心の糧としながら、獄中生活を送った直後だけに、その感動を、どうまとめ、表現したらよいのかに手間取っていた。しかし、胸の思いを紡ぎ出すように、語り始めた。
 「聖教新聞に連載中も読ませていただきましたが、本になって初めて目を通したのは、あの大阪に向かう飛行機の中でした。時が時なので、身につまされながら夢中で読みました。その時の思いは、感動などと簡単に言えるものではありません。一通り読み終わった時には、使命に殉ずる勇気が、体から、ふつふっと、たぎり立ったのを覚えております」
 あの飛行機の中で読んだ『人間革命』が、二週間にわたる伸一の勾留中、どんなに彼を鼓舞したか、計り知れなかった。伸一は、戸田自身の体験である主人公の巌さんの獄中生活を思い起こし、戸田を身近に感じながら、勇気を奮い起こしてきたのだった。
 「前半の巌さんは、先生そのものではなく、愉快な小説上の人物像として読ませていただきましたが、後半になると、巌さんは、先生そのものとなって胸に迫ってまいりました。特に、あの獄中の強烈な体験は、読んでいて、身動きができなくなるような思いでした。そして、どこまでも師を思う巌さんの姿から、牧口先生と戸田先生の、生命と生命の結合ともいうべき、師弟の関係に深く感銘しました」
 「そうか……」
 戸田は笑いながら、注文したウイスキーを、うまそうに飲んだ。
 伸一は嬉しかった。戸田が、うまそうにウイスキーを飲んでいるのは、健康が回復しつつあることの証明であったからだ。
 開け放たれたホテルの窓から入る、風がさわやかだった。
 戸田は、愉快そうに話を続けた。
 「私は、自分が体験し、会得したことの真実を、皆に伝えたかっただけだよ。小説という形をとったのは、真実を描くには、その方がむしろよいと思ったからだ。これは難しい問題だが、事実と真実というのは違うからな」
 森川一正が、怪訝そうな顔をした。戸田は、すかさず森川の方を見ながら言った。
 「森川君、人間の網膜に映った事実が、必ずしも真実であるとは限らないものだよ。たとえば、貧しい人に大金を恵んだ男がいたとしよう。彼が施しをしたということは、まぎれもない事実だ。ある人は、その事実から、この男は情け深い奇特な人であると考えるだろう。
 しかし、必ずしも、そうとは限らない。将来に、なんらかの見返りを期待しての、計算ずくの行為であったのかもしれないし、あるいは、誰かの歓心を買うために行ったことかもしれないではないか。
 つまり、事実から、真実をどう読み取るかだよ。事実だけに目を奪われてしまうと、かえって、真実が見えなくなってしまう場合もある。
 私は、この小説で、人間の究極的な真実は、広宣流布の尊い使命をもった仏子であることを、描こうとしたんだ。巌さんは架空の存在だが、巌さんが獄中で会得した境地は、私の心そのままだよ。
 私が、巌さんという平凡な一庶民を主人公にしたのは、その方が、誰もが等しく広宣流布の使命を分かちもった仏子であることが、よくわかると思ったからだ」
 伸一は、感慨無量であった。
 ″人間や社会の、真実の一断面を描いた小説は多い。しかし、仏法で説く究極の真実に迫った小説は、『人間革命』のみであろう″
 戸田は、深い感慨を込めるように、言葉をついだ。
 「誰もが等しく仏子であり、また宝塔であるというのが、日蓮大聖人の大精神なんだよ。それゆえに、万人を救い得る真の世界宗教といえるのだ。
 そして、大聖人は、全人類を救済するために、大慈大悲をもって、御本尊を御図顕あそばされた。目的は、民衆の幸福だ。この点を見失えば、日蓮正宗も権威のための宗教になってしまうだろう。
 あの七百年祭で、笠原慈行に、『神本仏迹』の誤りを認めさせ、謝罪状を書かせた時、宗会は、私の大講頭職を罷免し、登山を禁じた。邪義を唱えた悪侶をただしたことによってだ。謗法厳誠の精神を貫こうと、僧侶の過ちを、信徒が問いただしたことが、罪であるとしたのだ。
 しかも、登山停止という、信仰心を逆手にとって屈服を迫る、最も卑劣な手段に出た。日蓮大聖人の大御本尊御建立の御精神を踏みにじり、権威主義に毒された行為という以外にない」
 戸田の話を聞きながら、伸一は、二年半ほど前に大阪で起こった蓮華寺事件のことを思った。蓮華寺の住職が、学会への嫉妬からか、学会員が受けた御本尊を返納せよと言いだした事件である。
 「あの蓮華寺事件も、それに通じますね」
 伸一が言うと、戸田は頷きながら語った。
 「そうだ。大聖人は『第六天の魔王が智者の身に入つて善人をたぼらかすなり』と仰せだが、高僧のなかに蓮華寺の住職のような心根の者が増え、宗内を動かすようになれば、広宣流布は大きな危機に陥ることになる。
 私が、『人間革命』を書いたもう一つの目的は、もしも、大聖人の御精神が踏みにじられるような事態になった時、まことの信仰者として、どう生きるかを、ただ一人、宗門に国家諌暁を主張された恩師の姿を通して、皆に教えておきたかったことだよ」
 戸田のメガネの奥の目が、キラリと光った。彼の声は、熱気を帯びていった。
 「牧口先生は、宗門から、『神札を受けるようにしてはどうか』と言われた時、決然と拒否されたことは、君たちも知っているだろう。それは、大聖人の御精神が滅びるのを恐れたからだ。『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事』との御精神のゆえに戦われたのだ。
 戦わずして、仏法が滅びるのを、指をくわえて見ていてなるものか。牧口先生は、御本仏の大精神に殉ぜよということを、お教えくださったんだよ。先生の死の意味を、決して忘れてはならない」
 戸田は、それから照れたように言った。
 「ところで、私が『人間革命』を書いていて感じたことは、牧口先生のことは書けても、自分のことを一から十まで書き表すことなど、恥ずかしさが先に立って、できないということだよ」
 戸田は、グラスに注いだウイスキーを飲み干した。
 「伸一君、私は、『人間革命』を書いていて思ったんだが、信仰という人間の内面世界を語るためには、どうしても、小説という手法をとらざるを得ない面があるな。
 私の獄中の体験も、以前、『創価学会の歴史と確信』に書きはしたが、小説でないと、細かい内面の描写はできないものだ。
 これは創造だが、もし、日蓮大聖人が、今日、生きておられたなら、小説の手法を用いられた御書も、残されていたのではないだろうか」
 伸一は、機嫌よく小説談義を交わす戸田を目の当たりにして、安堵していた。北海道に似た軽井沢の涼風が、戸田の健康のためには、よかったのであろう。

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