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日蓮大聖人・池田大作

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転機  

小説「人間革命」11-12巻 (池田大作全集第149巻)

前後
1  妙法という法則は、永遠であり、不滅である。その法を信受し、流布する創価学会もまた、永遠であり、不滅である。
 烈風をも恐れず、豪雨にもたじろがず、吹雪に胸張り、われらは敢然と進む。尊き仏子の使命を果たしゆくために、民衆の凱歌のために――。
2  一九五六年(昭和三十一年)九月五日は、残暑の厳しいさなかにあった。東京・信濃町の、創価学会本部の窓という窓は、開け放たれていた。午後には、気温は三十一度を超え、蒸し蒸しとした昼下がりであった。
 戸田城聖は、二階の隅にある会長室の窓を背にして、扇子を激しく動かしながら、クレープシャツ一枚の磊落な姿で、思いをめぐらしていた。
 机の上には、一枚の日本地図が置かれていた。各県ごとに、数字が書き込まれている。戸田は、朝から、県別の会員世帯数を見ながら、彼の誓願である七十五万世帯の折伏を成就し、日本の広宣流布の基盤を築くために、何をなすべきかを、真剣に考えていた。長い思索の末に、考えは、ほぼ、まとまりはしたが、学会を取り巻く諸情勢を考えると、今、得体の知れない黒い影が、彼の背後に迫りつつあることを、ひしひしと感じざるを得なかった。
 その影というのは、この五六年(同三十一年)七月の参議院議員選挙で、戸別訪問容疑で検挙された学会員に対する追及が、執拗を極めていることであった。単なる形式犯として処理されるべき事件を糸口にして、創価学会そのものを、全国的な規模で内偵し始めたという情報が、各所から集まってきていたのである。
 その影は、彼の心につきまとい、日がたつにつれて、薄れるどころか、ますます濃くなっていくのである。
 ″この裏に、いったい何が潜んでいるのだろうか……″
 戸田は、いつの間にか、広宣流布の舞台に、容易ならざる影が忍び寄って来たことを直感していた。
 国家権力のどこかの一角が、全国に指示を与えているにちがいないと察しはついたが、それを操れる者は誰なのか、なんの目的があって操るのかは、測りかねた。
 ″学会が、社会のなかで力をもち、その影響力が大きくなればなるほど、その前進を阻もうとする、さまざまな画策がなされることは、御書に照らしてやむを得ぬことといえよう。それらが、広宣流布をとどめようとする、魔の働きであることは間違いない。ともかく、これと対峠して戦うためには、戦うべき十分な態勢の樹立を、急がねばならないことは確かだ″
 そのために、戸田は、創価学会の組織を、隅々にいたるまで堅塁にしなければならないと考え、多くの幹部が戸惑った組座談会をあえて提唱し、強力に実践に踏み切ったばかりであった。しかし、″これだけでよいのか″という反省が、彼を、なお悩まし続けていたのである。
 考えてみると、彼が、今、予感したことは、既に、あの七月九日の丑の刻――すなわち参議院議員選挙の東京・大阪、二つの地方区の開票が始まる日の未明、孤独のなかで思いがけず覚えた感慨のなかに、兆していたのである。
 戸田は、その思いを歌に託し、こう詠んだ。
  いやまして
    険しき山に
      かかりけり
    広布の旅に
      心してゆけ
 それが二カ月たって、いよいよ抜きがたい現実となってきた。
 「広布の旅に心してゆけ」と警告したことに、まず、彼自身が、真っ先に心しなければならないことに気づいた。
 そのために、彼は、煩わしい雑事から、今後、一切身を引き、いよいよ広布の道ただ一筋に、限られた時間を走らねばならないと思った。
 捜査当局は、個々の戸別訪問容疑に対し、創価学会の組織や、幹部の動静を、執拗に詰問し、その総合データを作成しつつあることだけは、判然としている。やがて、秋の深まるにつれて、当局のこの追及も激しくなり、学会上層部へと、的を絞ってくるであろうことが予測された。
 ――この時の戸田の憂慮は、この五六年(同三十一年)十二月十九日に、日本の国連加盟に際しての恩赦が、突如、発令され、ひとまず霧散したかに思えた。
 しかし、問題は、それほど単純なものではなかった。翌五七年(同三十二年)に至って、四月の参議院大阪地方区補欠選挙を契機として、創価学会に迫った不気味な暗雲は、再び広がり、彼のこの時の予感は、まさに的中するにいたるのである。
 戸田城聖は、今、心して難しい操縦桿を握り、一切の煩わしさを捨てて、一心に針路を探していた。
 この時、扉が叩かれた。入って来たのは、山本伸一である。開襟シャツの白さが新鮮であった。
 伸一は、喜色を浮かべて、机の前に端座し、あいさつをしてから報告を始めた。報告というのは、戸田が顧問をしていた大東商工の決算概況であった。数字は、すべて著しい好転を示している。伸一は、この大東商工の営業部長であった。
 戸田は、伸一の報告を聞くと、意を決したように言った。
 「もう心配ないな。やっと独り歩きできることになったか。後は、一切、皆に任せる。みんなで、しっかりやっていきなさい」
 瞬間、伸一は、戸田の唐突な話に驚きの色を隠せなかった。長いこと苦労してきた会社の基盤が盤石となり、業績が飛躍した途端、戸田は身を引くというのである。しかし、何か意味があることを、伸一は察知した。
 「はい、わかりました。よく伝えます」
 そもそも、大東商工は、五〇年(同二十五年)の晩秋のころ、戸田の出版事業、そして信用組合の経営が窮地に陥ったことから、新たな活路を開くために設立したものである。
 戸田が、一身に負わなければならなかった、あの莫大な負債の整理のために、必要に迫られてつくられただけに、最初から苦しい経営を強いられていた。
 しかし、世間の幾倍もの努力の甲斐があって、ここわずか五年の間に、その負債を、ほとんど返済し終わったところであった。経営常識からすれば、考えられぬことであった。いよいよ、会社の今後の業績が期待されるまでになってきたところである。
 それを、今、戸田は身を引くという。天性の事業家・戸田城聖は、いったい何を考え始めたのか、伸一は戸惑った。
 「この機会に、私は大東商工に限らず、一切の営利事業から引退しようと思う。そういつまでも、みんなと付き合ってもおれないからな。そういう潮時が、ぼくの人生にも訪れたようだ。私には、広宣流布のために、未来のために、まだまだ、なすべきことが山ほどある。潮時を見失ってはならないだろう。まだ、誰にも言っていないが、これは、私のどうしょうもない決意だ」
 しみじみとした、戸田の述懐である。
 伸一は、戸田の決意の容易ならざることを、すぐさま悟らざるを得なかった。彼は、無言のまま、戸田の顔を、じっと見るよりほかはなかった。
 戸田は、優しい口調で語った。
 「君たちは、まだ若い。若いうちに、さまざまな苦労を買ってでもやっておくことだ。それがいつか、必ず生きる時が来るものだ。苦労しない男に、いったい何ができるか。なんでもやっておくことだよ。
 しかし、ぼくぐらいの年齢になると、自分の人生が、いやでも見えてくる。ぜひとも果たさねばならないことが、はっきりと見えてくるものだよ。時間が、もはや限られていることも、いやになるほど見えてしまう。
 それで、限られた時間に、果たすべきことを、果たさねばならぬということになったら、どうしても、自分の仕事を選択し、整理しなければならないことになる。果たすべきことが、重大であればあるほど、気ままな選択は許されなくなってくる。
 広宣流布に、わが身の一切を捧げた私だ。その道は、万年の先を志向しているが、今、やっと第一歩を踏み出したばかりにすぎない。そして、私には、あまり時間がない。確固とした軌道は、誰がなんといっても、この、ぼくしか、敷くことはできないだろう。
 そう考えると、私は、自分の限られた時間の一日一日を、大切にしなければならなくなった。そこで、どうでもよいこと、誰でも間に合うことからは、この際、一切、身を引こうと決心したんだよ」
 「先生、お話は、よくわかりました。先生の、これからの広宣流布の総仕上げのために、お体を大切にしていただきながら、自由にご活躍をお願いします」
 伸一は、これだけのことを言うのが、精いっぱいであった。
 「困ることが起きたら、指導はいつでもしよう。しかし、私が経営の指揮を執ることは、これからはやらない。これからの私の仕事には、そんな暇が許されなくなったんだよ」
 これからの仕事、それは、いったい何だろうと、伸一は、いぶかった。創価学会の発展を仕事というなら、戸田は出獄以来、今日まで、それこそ不惜身命の活動を続けてきたし、これからも、この仕事は変わらず続けられていくはずである。
 不審げな伸一を前にして、戸田は、しばらく考えているようであったが、ぽつりと言った。
 「転機だな。人の一生には、幾たびも転機があるように、創価学会にも転機がある。この転機を正確にとらえるかどうかに、未来の一切がかかることになる。時機を逸すると、未来をもつぶしてしまうことになりかねない。今、その転機が来たようだ。ぼくの人生にも、学会にも」
 戸田城聖は、こう言うと、汗を拭き拭き、しきりに麦茶を飲んだ。
 そして、机の上の日本地図に視線を落とした。地図に、各県ごとに書かれた数字は、八月末の会員世帯であった。
 「これをご覧。広宣流布の伸展も、地方によって、大変なバラツキが、いつかできてしまった。このまま構わず前進するとしたら、今、世帯数の多い地方は、ますます膨張し、世帯のほんのわずかな地方は、いつまでたっても弱体のままだろう。放っておけば、このアンバランスは、ますます広がるばかりだ。
 どうも、今のうちに、至急、手を打つ必要がある。やがて来るであろう総進軍の時代に備えて、今のうちに、このアンバランスを、修正しなければならんと思うが、どうだろう。まず、これをご覧」
 戸田は、伸一に話をもちかけるように言って、あちこちの弱体の県を指さした。中国や九州にある弱体の県は、一、二にとどまらない。
 戸田の指は、山口県でとまった。伸一は数字を読んだ。
 「四百三十世帯。こんなものだったんですか。これはひどい。山口県の人口をちょっと調べてみましよう」
 伸一は、会長室を出ていった。会員世帯は、東京都は十万を優に超え、関西も六万を超え、長野県では七千世帯に迫っている。山口県がこのままでは、中国方面の広宣流布は、大きく遅れをとってしまうことになりかねない。
 「先生、山口県の人口は約百六十万です」
 伸一は、部屋に戻って報告しながら、統監部から借りてきた書類をめくった。
 「山口県の世帯数四百三十の内訳を見ますと、だいたい二十八支部に所属しております。いちばん固まっているのは、下関市ですが、これも各支部に所属しているので、おそらく指導の手は届いていないと思われます」
 わずかな時間に、伸一は、素早くこれだけのことを調べあげていた。要するに、全県下に四百三十世帯が散在していて、各世帯は、ほとんど所属支部からの連絡もなく、それぞれ孤立しており、互いに会員であることすら知らないでいるらしい。
 戸田は、伸一の報告に応じながら、すぐさま一つの腹案を語った。
 「これまでは、地方については自然に任せて、夏季指導などで刺激を与え、後から組織をつくってきた。しかし、もう学会もこれまでになると、未開拓の弱体地方は、学会の組織を動員して育成するということも、考えなければならぬ時代に入ったようだ。これも転機だよ。
 伸一君、君も、この転機の先駆けとして、ひとつ山口県で、指導・折伏の旋風を起こしてみないか」
 「はい、やらせていただきます。まず全国の支部のなかで、山口県に縁故のある人たちに応援してもらいましょう。さっそく企画いたします」
 戸田と伸一との会話からは、たちまち、このように何ものかが生まれるのである。
 「やるからには、思い切ってやってもらいたい。理事室には、私から話しておこう。なにしろ山口県は、明治維新の揺籃の地だよ。広宣流布の人材も、今は、まだ影をひそめているにちがいない。
 では、決定としよう。企画は、じっくり立てなさい。今月いっぱいかけて、準備は万全を期して、来月出陣となればよいだろう」
 戸田は、ごろりと横になって、汗の流れる伸一の横顔を見つめていた。
 後に、「山口闘争」「山口開拓指導」として語り伝えられることになる大いなる戦いも、こうして、あっという間に二人の間で決定をみたのであった。
3  九月は、新設の十六支部の結成大会が、全国で、それぞれ開催された。戸田も、二十日の大宮支部など、能う限り結成式に臨んで、激励を惜しまなかった。二十六、二十七日には、大阪の四支部の結成大会に出席した。
 慌ただしい流れのなかで、二十三日には、青年部の総力をあげて、第三団体育大会「若人の祭典」が、武蔵野の一角、東京・世田谷区にある日大グラウンドを借りて、挙行された。
 秋空のもと、午前九時に入場行進が始まり、競走は、百メートルから一万メートルまで、各種目に分かれていた。また、「学会魂」と銘打たれた棒倒し、グラウンドいっぱいに華咲く女子のリズムダンス、秀逸な仮装行列から、コース上に障害物を置いた「三障四魔」競走など、盛りだくさんの種目が、工夫を凝らされていた。
 戸田は、開襟シャツの軽装で、時に双眼鏡に目を当てたり、大変な上機嫌で微笑をたたえ、愛すべき男女青年部の、はつらったる生命の躍動に、終始、目を輝かせていた。
 優勝した男子第十部隊と女子第四部隊に、優勝旗と優勝カップが、それぞれ授与され、個人競技の優者には、会長賞、理事長賞、青年部長賞などが贈られた。
 戸田は、閉会に先立ち、嬉しそうな顔で語り始めた。
 「本日は、学会魂を思うまま発揮できて、満足であったと思います。私は、この躍動する諸君のなかに、次の時代を背負う青年の姿を、ありありと見たことを満足に思っています。ここにおいて、皆さんの将来の成功を、祝福するものであります」
 時に午後四時二十分、祭典は七時間の長きにわたっていた。青年たちは、一日で、すっかり日焼けした顔に微笑を浮かべ、充実した爽快な疲労を覚えながら家路をたどった。

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