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日蓮大聖人・池田大作

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険路  

小説「人間革命」9-10巻 (池田大作全集第148巻)

前後
1  一九五六年(昭和三十一年)五月十五日の早朝。
 大阪の八百八橋の街々は、まだ寝静まっていた。
 午前六時というのに、ある青年部幹部のアパートのドアを、激しく叩く者があった。青年は、熟睡していたが、物音に目を覚ました。
 ″いったい誰やろ、こんな早う……″
 彼は、不服そうにつぶやきながら、起き上がった。
 「誰や?」
 戸を開けると、数人の見知らぬ男たちが、廊下に立っている。
 「南警察署から来たんですが、蓮華寺の事件のことで、ちょっと、お尋ねしたいことがありまして……」
 「そりゃまた、なんでんね。眠とうて、あかんのや、後にしてくれまへんか」
 青年は、無愛想にこう言って、ドアをパタンと閉めた。彼は、ただもう眠かった。
 彼は、十三日の、総本山の「水道まつり」に参加し、その夜の夜行で十四日朝、大阪に着き、その日は仕事をして、夜は、戸田の法華経方便品・寿量品の講義に出席し、遅く帰宅したのである。疲れてもいたし、眠気は、彼の思考を朦朧とさせていた。
 「今すぐ、署まで同行願いたいんですわ」
 甲高い声が、ドアの外でした。
 また、ドアが、けたたましく叩かれた。瞬間、眠気は、ふっ飛んだ。″何事だろう″と、とっさに思いめぐらしたが、思い当たる節もない。彼は、再びドアを開けた。身構えた五、六人の私服警察官が、どっと入ってきた。
 「しばらく待ってください。顔も洗わんならんし……」
 青年は、流しで顔を洗い始めた。″洛ち着け、落ち着け″と、わが心に言い聞かせ、″よし、勤行だけは、ぜひ、していかなければならぬ″と腹を決めた。
 「ちょっと待ってもらえませんか。朝のお勤めをせにゃならんさかい」
 彼は、さっさと仏壇の前に端座し、音吐朗々と勤行を始めた。
 彼は、心の動揺が、見る見る平静になっていくのがわかった。
 ″それにしても、蓮華寺事件というのは、一年余りも前のことで、解決ずみのはずだ。おかしな話だが、いよいよ難が来たとでもいうのであろうか。よし、何が起きようと、しっかりしなければならぬ″と覚悟した。
 青年は、″しっかりしろ!″と、われとわが心を励まし、最後に深い祈念をして、仏壇の扉を閉じた。
 勤行が終わった時、刑事の一人が、さも感心したように言った。
 「あんた、えらい、お経が上手でんな。お坊さんみたいやな。ほんまに、うまいもんや……」
 部屋を出た途端、手回しよく狙っていた新聞社のカメラマンが二人、シャッターを切った。
 南署に着くと、玄関前に、やはり数人のカメラマンが構えていて、パチパチと撮った。まるで重大事件の犯人である。
 取り調べが始まった。蓮華寺事件にからむ事情ということから始まったものの、それは、ただ形式にすぎない観があった。取り調べの焦点は、創価学会の組織や、大阪支部の運営と命令系統など、多岐にわたるものである。彼の逮捕理由とは、全く程遠い事柄であった。
 青年は、唖然として考えた。
 ″当局は、創価学会の内情を探索している。事は重大である。陰謀的な権力が働いているようだ。学会を弾圧する手がかりをつかもうと焦っている。これもまた、学会弾圧の歴史に加わる一ページとならないとも限らない″
 彼は、何があっても戦い抜こうと、覚悟を決めた。心は、豊かに平静になった。
 取り調べは夕刻まで続き、そのまま留置され、所持品をすべて取り上げられた。御守り御本尊を取り上げられた時、彼は頑強に抗議した。
 「信仰は自由ではないですか。まだ、罪人ではない、一容疑者にすぎません。大切な信仰の対象である本尊を取り上げるとは、信仰を弾圧するものではないですか!」
 刑事は、「そんなことではない、それに付いている紐が困る」と言った。
 そこで、紐だけ外して、御守り御本尊そのものは、彼のワイシャツの胸ポケットに収まった。
 青年は、地下の留置場に入れられた。
 同室の六人の目が異様に光って、彼をじろじろと見た。彼は、地獄へ来たと思ったが、ここで負けてはならぬと考えた。夜になると、彼は勤行を始めた。下腹に力を込め、力強い声で、朗々と方便品・寿量品を読み、唱題した。留置場の看守が飛んで来て、制止しようとしたが、彼は意に介さず続けた。
 退屈していた留置場の住人たちは、牢獄で聞くお経に、好奇の耳を一斉にそばだてた。
 翌朝も、洗面と朝食が終わると、青年は、端座して、また朝の勤行をした。彼の声は、全留置場に響き渡った。
 同室の住人たちは、よほど好奇心に駆られたのであろう、彼に話しかけてきた。
 「あんた、なんで、そうお経ばっかりあげはるのや。なんか、ええことでもおますのかいな」
 留置場の、いちばんの古手で、皆から″監房長″と呼ばれている男の質問である。
 「ええこと、おますとも。誰でも、みんな幸せになれる信心は、世界中で、これしかおまへんのや」
 「そりゃ、ほんまかいな」
 留置場は、いつの間にか座談会場となった。
 彼は、大聖人の仏法が、いかに偉大であるかを力説していった。皆、初めて耳にする話である。彼らは、いつか好奇心に燃えた目を見張って、青年の言葉に耳を傾け、疑いながらも、彼の顔を、じっと見つめるのであった。
2  青年は、この日の午前の取り調べで、事件は意外な発展をしていることを知った。十五日に逮捕された学会員は、この青年を含めて全部で六人であった。男子部員四人に、壮年二人である。そして、警察当局は、南署に大がかりな捜査本部まで設置しての追及態勢を敷いていた。
 この青年が逮捕されるきっかけとなった蓮華寺事件というのは、一年三カ月前の、一九五五年(昭和三十年)二月に起こった出来事である。
 当時、この寺の住職が、「これまで学会員に下付した御本尊の、すべてを返却せよ」と、要求して問題になっていた。総本山も、その非なることを諭した。しかし住職は、聞く耳をもたなかったばかりか、「御本尊が欲しかったら学会をやめろ」と脱会を迫っていたのである。
 心ある青年たちは、S住職との対話が必要と考え、ある日、大阪郊外の路上で住職に出会い、話し合いを求めた。しかしS住職は、言を左右にして、話し合いに応じようとせず、折から止まったバスに乗り込もうとした。青年たちは、「話は終わっていない」と制止しようとした。住職は、それを振りほどいてバスに乗り込んだ。これだけのことの事件であったが、住職は、傷害罪として曾根崎署に告訴したのである。
 その時、関係した青年の一人が取り調べを受けたが、その後一年余りも何事もないままに過ぎたのである。それを、警察当局は、今ごろになって蒸し返してきた。不自然極まりない話である。
 また、別の男子部員の逮捕理由も、一年前の五月の事件であった。ある地区の婦人が退転し、他宗の人の言うままになり、御本尊を持ち去られたことがあった。青年は、その教団の本部へ交渉に行き、返却を迫ったが、埒が明かなかった。そこで壮年の支部幹事がかけ合い、やっと御本尊を返すということになった。
 ところが、その後も、この教団の幹部が御本尊を返却しなかったことから、青年と口論になった。相手は、数人がかりで青年の胸倉をつかみ、家の中に連れ込み、木剣や包丁で脅したのだ。
 交番の巡査が駆けつけ、本署で夜明けまで取り調べた結果、感情のもつれが原因ということで、供述書も始末書も取ることなく終わった。以来、なんの音沙汰もなかったのに、これも一年たっての蒸し返しであった。
 また、暴行と傷害の容疑で逮捕された壮年部の班長は、この年一月六日、彼の家で開かれた新年会でのことが理由である。その席に、退転した会員二人が泥酔して飛び込んできた。食膳をひっくり返し、ガラス戸を破って暴れたので、皆で追い返そうとした。その時、泥酔した一人が、玄関で転んでコブをつくったという出来事であった。五カ月も過ぎて、今さらの取り調べであった。
 このような、個々別々には既に解決していたはずの事柄を蒸し返し、創価学会による組織的な暴力があったかのように、警察当局は、一斉逮捕に踏み切ったのである
3  十五日夕刊には、大阪の新聞という新聞がそろって、学会が「暴力宗教」であるかのように、大々的に逮捕を報じたのである。
 事の真相を知る人にとっては、警察の意図が、かなり陰謀的な術策を弄しているように映ったのも当然である。
 この事件の報道に、ある地方有力紙は、一面の全面を費やしたり、ある新聞は、三面トップで大々的に扱った。この逮捕事件を、大なり小なり掲載しない新聞は、大阪にはなかった。ある新聞の十五日付夕刊には、逮捕者の顔写真が載り、さらに、大阪府警の警備部長の談話まで載っていた。
 「いまのところ学会員の個人的な暴力行為または傷害事件と思われるが、件数が意外に多いことと暴行の動機がいずれも宗教団体を背景にした理由であるところから学会の指導方針と疑えるフシがある。調べによっては命令系統である上部組織に波及するかもしれない」
 あわよくば、創価学会弾圧の手がかりをつかもうとする意図が、ちらちらと見え隠れしていた。
 この権力の動きの背後には、多分、他宗の画策もあったにちがいない。
 四月の、大阪支部の九千世帯の本尊流布を知って、慌てたのは大阪の他宗であった。ある首脳の一人が、このころ、相手が学会員とは知らずに漏らした言葉がある。
 「寺というものは、檀家が三百軒もあれば、なんとか立ちゆくものだ。ところで、創価学会が大阪方面で一カ月に九千世帯も入会させたそうだが、こうなると、一カ月で三十カ寺が、おかしなことになる計算だ。これでは大変だ。われわれも生活防衛を考えなくてはならなくなった」
 このころ、他宗が連合して、創価学会対策の委員会なるものを結成したという噂もあった。
 一方、警察へのためにする投書や、他宗からの二、三の告訴もあった。そこで、既に春木征一郎の参議院議員選挙への立候補を知っていた当局が、にわかに警察権を発動し、大がかりな捜査障を敷いたと見られなくもなかった。
 いずれにせよ、五月三日の総会での、山本伸一の警告が、意気衝天の大阪なるがゆえに、真っ先に的中したといわなければならない。まことに、「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」である。この魔の蠢動に対しては「随う可らず畏る可らず」である。
 山本伸一は、この五月十五日の朝、関西本部で学会員逮捕の知らせを聞いた。彼は、時を移さず、大阪の全会員を守るために、敏捷に立ち上がった。
 魔の出現に際しては、「之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」との戒めを深く心に刻まねばならない。
 喜々とした座談会に次ぐ座談会で、連日連夜、数百人の新入会者を迎えている今、この事件が魔の蠢動であることは明らかであった。断固として、権力の仮面を被ったこの魔を粉砕しなければならなかった。

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