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日蓮大聖人・池田大作

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学徒  

小説「人間革命」7-8巻 (池田大作全集第147巻)

前後
1  六月のうっとうしい入梅のころである。
 本部の第一応接室では、数人の東京大学の学生が、戸田城聖を囲んで、法華経の講義に耳を澄ましていた。じめじめした天候のなかで、この部屋ばかりは、からりと乾いた雰囲気で、好奇心の強い学生たちは、数々の疑問を無遠慮に投げかけている。そのぎりぎりの疑問に対する戸田の回答が、彼らの思考をはるかに超えたところから明快に返ってくることに、ただただ感嘆して、陶然となっているようであった。
 戸田は、実に楽しそうである。
 彼は、ゆったりとイスに腰を埋め、微笑を浮かべつつ、学生たちの質問に答えていた。彼らの、がむしゃらともいうべき若者らしい性急な質問に、手応えのある求道心を見ていたからである。多忙を極める戸田であったが、わずか数人のために、このように時間を割くことを、気にかけていなかった。
 今、譬喩品の一節が問題になっている。
 「無智の人の中にして此の経を説くこと莫れ若し利根にして智慧明了みょうりょうに多聞強識ごうしきにして仏道を求むる者有らば是の如きの人に乃ち為めに説く可し」(法華経二〇四ページ)
 「先生、法華経は無智の者には縁がないんですか。知識階級にだけしか通用しないものなんですか。そうだとすると、広宣流布などということは、全く遠い遠い未来のことになってしまい、容易なことではなくなってきますが……」
 大きな目をむいて、渡吾郎が面白がって聞いている。
 ――この経文をそのまま解釈すると、利口者の学識者がそろう世の中にならないことには、広宣流布は成就しそうもないということになる。すると、現在の創価学会の広範な民衆に対する折伏活動は、この譬喩品の一節から考えるならば、はなはだ理屈に合わないことになる。そもそも彼ら学生にしてからが、「利根にして智慧明了に」とは言いがたい。
 しかも、「多聞強識にして」などには、遠く及びもつかない。かろうじて、「仏道を求むる者」の部類に入るだけである。
 学生たちの疑問は尽きなかった。
 戸田は、笑いながら、彼らに言わせるだけのことを言わせると、逆に質問した。
 「法華経は誰が説いた経典かな」
 「釈尊です」
 「われわれは、どういう時代に生きているのかな」
 「末法です」
 学生たちは、よどみなく答えていった。
 戸田は、重ねて尋ねた。
 「現代における、最高の智慧はなんだろう?」
 学生たちは、顔を見合わせて、瞬間、黙ってしまった。それを求めて、こうして今日も戸田の講義を聞いているのだが、とっさに答えは出てこなかった。
 そのうちに、藤原明がしぼり出すように、おずおずと答えた。
 「南無妙法蓮華経だと思いますが……」
 「そうだ、その通りだ。これでわかったろう」
 戸田は、ニコニコと笑っている。
 わかったろう――と言われた学生たちは、また譬喩品の一節を読みながら、怪訝な顔をしていた。
2  「つまり、こういうことだ。われわれは、釈尊の時代にも、正法、像法の時代にも生きているのではない。ありがたいことに、末法に生まれて、人類最高の智慧である日蓮大聖人の仏法に巡り合えた。この認識から、一切は、始まらなければならない。
 釈尊の法華経と、大聖人様の法華経とを、明確に区別しなければ、仏法の真髄というものを、現代に生かすことはできない。今の譬喩品のところでも、これを読み切るには、大聖人様の立場に還って読む必要がある。すると、法華経が、すらすらとわかるようになる。
 末法における『無智の人』というのは、最高の智慧である南無妙法蓮華経を知らない者をいう。南無妙法蓮華経の御本尊を信ずる人、仮にも信じようと志す人は、『利根にして 智慧明了に 多聞強識にして 仏道を求める者』になる。この南無妙法蓮華経を知り、信ずる人のみが、『此の経』つまり法華経を正しく学ぶことができるんです。君たちも卑下することはない。御本尊を受持したからには、決して『無智の人』ではなく、既に立派在学者といってよい。
 いつも言うように、法華経は、こう読まなければならんのです。要するに、法華経の骨髄は、御本尊の御姿を示したところにある。これが、法華経の究極の理解になるでしょう。だから、この一点を踏まえないと、法華経をいくら読んでも、とんでもない誤りを犯すことになる。法華経の文字を一生懸命に解釈しても、さっぱりわからないでいるのが、今の仏教学者なのです。
 大聖人様の立場から法華経を読めば、非常にはっきりしてくる。また、法華経から逆の順序で諸経を読んでいくと、わかりやすいものだよ。
 それを、阿含部から始めて、方等部、般若部という順序で読んでいくと、ちょうど流れに逆らって舟を漕ぐようなもので、一切経を読んでも、結局、何がなんだか、わからなくなってしまうにちがいない。
 ともかく、われわれは、末法に生まれているのは事実だ。ゆえに理解の根底は、いやでも、ここにあるんです。末法の法華経は、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経です。これが末法における最高の智慧だが、同時に、末法の苦悩の衆生を救う民衆救済の原理である。
 そこで、大聖人様は、鎌倉時代は封建社会であったので、鎌倉幕府に、この最高の智慧をなんとしても教えたかった。これが国主諫暁となって、流罪などの弾圧を受けられる原因となった。大聖人様の御一生のなかで、この国主諌暁は、前後三回にわたっておられる」
 戸田は、ここで、ひと息ついた。
3  一人の学生が、首をかしげて言った。
 「三回も国主諌暁をなさって、御本仏であられるのに、遂に成功しなかったわけですね。大聖人様は、さぞかし無念に思ったことと思いますが、どんなものでしょう」
 渡吾郎は、これを聞くと奮然として否定した。
 「無念などというような問題ではないはずだ。大聖人様は、最初から成功しないことを、既にご存じであったにちがいない」
 「では、なぜ三回もなさったのかな」
 「南無妙法蓮華経を、当時の民衆に教えるには、たとえ、それが、すぐに成功しなくとも、いちばん効果的な手段だと、お考えになったにちがいない」
 「果たして、そうだろうか」
 二人の学生は、むきになって言い張っている。
 そして、戸田の判断を求めるように、一斉に目を向けた。
 「はっきりしたことは、大聖人様に伺わないことにはわからんが、私は、こう思っている。成功する、しないという問題は別として、やれるだけ精いっぱいやってみようとの、御志はあったでしょう。大聖人様としては、一生をかけられた重大問題です。
 そして、大聖人様が三回目の国主諌暁の時、つまり佐渡からお帰りになって平左衛門尉に会われた時、幕府は折れてきた。
 大聖人様の仏法は認めましょう。お寺も造って差し上げます。ただし、他宗を排撃することをやめ、蒙古降伏の祈祷を修してもらいたい――と条件をつけた。しかし、大聖人様は、あくまで妥協なんかなさらなかった。さっさと、身延の山にお入りになってしまった。
 そして、身命にも及ぶ大弾圧にも屈しなかった弟子たちがいる以上、大聖人様の仏法は、もう滅びることはない。永遠に残るであろう、という御確信に立たれた。
 『報思抄』に『日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ』という御文があります。大聖人様は、御自分の仏法が、未来永劫にわたって、脈々と生きていくという御確信を、身延の沢にお入りになられても、ちゃんと、もっておられた。
 国主諌暁が成功しようが、しまいが、大聖人様の仏法が、未来永遠に伝わらないことには、どうしようもない。むしろ、令法久住ということの方に、大きく、深く、重点を置かれたと、私は思っている」
 戸田は、いつか情熱を込めて語っていた。
 学生たちも、何か、ため息をつき、感嘆しながら聞いていた。それは、理論で納得しようとする彼らの習性が、戸田の話を聞くと、いつも刃がこぼれたように、砕け散ってしまうのであった。彼らは、理論のその奥に、きらきら光る戸田の智慧を仰ぐ思いであった。

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