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日蓮大聖人・池田大作

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真実  

小説「人間革命」7-8巻 (池田大作全集第147巻)

前後
1  一九五四年(昭和二十九年)――戸田城聖は、人知れず新たな構想をいだいていた。
 彼は、五三年(同二十八年)の年間折伏が、五万一千九百九十六世帯の成果を示し、実に前年世帯数の約二倍半という満足すべき躍進的比率を示したことに注目していた。
 五三年の十一月二十二日、第九回総会の折、小西筆頭理事は、五四年度の折伏目標を十三万世帯と発表している。戸田は、この発表を、会員の熱意を汲んで一応は許可したものの、暴走の危険を恐れていた。果たして十二月二十一日の本部幹部会で、それぞれの支部長が立って、支部の年間目標を次々と発表したが、それを総合計すると、やはり十八万五千という数字になった。
 折伏目標の急増を、彼は、喜ばないわけではなかったが、現時点における学会の指導力の限界というものを、一人、苦慮しなければならなかった。
 彼は、この時の幹部会での話で、「仏法は勝負である」と説いたが、最後に、こう言って話を結んだ。
 「今日、支部長がほらを吹いたが、諸君も、それを真に受けてほらを吹くだろう。年間十八万というけれども、そんなにやらなくて結構です。八万でたくさんだ。来年中に十五万世帯達成できれば、広宣流布はできることを、私は知っています。いくらやっても、教学や人材の育成がともなわなかったら、なんにもできないんです。それでは創価学会はつぶれてしまうだろう。
 数が増えるだけでは、烏合の衆と同じになってしまう。来年二十五万世帯になったとしたら、とても手に負えない。会長の願いは、十八万やらなくてもよいから、八万だけは、やってもらいたいということです」
 戸田は、強い危機感を胸に秘めていたが、この時は、軽く注意を喚起したにすぎなかった。豊島公会堂を埋めた意気軒昂な幹部たちは、″会長は、妙なことを言う″と思っただけにちがいない。
 彼らは、ここ一年間を振り返り、やれば、この通り必ずできるという実践の確信から、明年の目標も簡単に達成できるという、上げ潮の熱意に、いたずらに酔っていたのである。寒い十二月の公会堂の空間には、熱気がたぎっていた。
 天を衝くかのごとき意気を、そこに認めたものの、会長である戸田は、あくまで沈着であった。妙法を求めてきた七万世帯の会員たちの一人ひとりが、戸田には、大切な宝のように思えた。
 ″彼らに無理な信心をさせてはならない。もし、これ以上調子に乗って号令をかけたとしたら、暴走に陥ることは明らかである。暴走する彼らは、生活を破壊し、信心をも破るにいたるだろう″
 戸田は、一種の危慎をもって、五四年(同二十九年)の正月を迎えた。
 折伏戦線が、見事に軌道に乗った今、彼にとってなすべきことは、この軌道を確固たるものにすることであった。戸田は、″今年の指揮は慎重に執らねばならぬ″と深く心に期したのである。
2  戸田城聖の周到極まる指導と指揮によって、五三年(同二十八年)、爆発的な広宣流布の大前進が開始された。全学会員が、かくも喜んで折伏を敢行するにいたったのは、彼らの、その実践によって、みなぎるばかりの大小の功徳が、全員に実証され始めたからであった。
 彼らは、信仰の実証によって、自らが奉持する仏法が、人生の最高の哲理であることを、いやでも悟らざるを得なかった。戸田の指導を、そのまま実践した時、彼らは、身をもって実証をつかんだ。どの家庭にも現れた大小の功徳という実証が、彼らの半信半疑の雲を払ったのである。
 日蓮大聖人の御書に、「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」とある。
 宗教というからには、まず、基本となる教典がなければならず、教典に説かれている教義は、道理に適ったものでなければならない。そして、その教えを実践した場合に、そこに説かれた通りの現証が現れるかどうかが、宗教の正邪を判断する何よりの基準となるというのである。
 信仰に励み、功徳の体験をつかんだ学会員たちは、「教」「行」「証」、すなわち「教え」と「実践」と「実証」とが、見事に一致している事実に気づいた。そして、これこそ、現代の、生きている唯一の仏法であることを体得した。その体得したところのものは、動かすことのできない事実の重さとなって、座談会で語られ、居並ぶ人びとを驚かせた。幾つもの体験が、事実として発表されるにつれて、それらを貫く真実の世界が、彼らの眼前に開かれたのである。
 灰色の人生に落ち込んでいた人びとにとって、思いもかけぬ世界であった。彼らは、輝く黎明の空を、はるかに望むかのように、いつも明るい表情をしていた。功徳の実証を得た生活は、たちまち歓喜の共鳴の連鎖を呼ぶ。その源泉は、彼らが等しく受持した一幅の本尊であったことは、言うまでもない。
 幾つもの事実が、ことごとく真実であるということへの驚きは、やがて、″仏法は、自身の人生に普遍妥当性をもっ真理を説いている″との確信に変わっていった。彼ら一人ひとりのつかんだ実証こそ、日蓮大聖人の仏法の偉大な力を物語るものである。彼らは、自ら体験したことを、ありのままに、大いなる歓喜をもって語った。彼らの熱意にあふれた饒舌が、日本の各地に広がり、それがそのまま折伏の実践となったのである。
3  当時の学会員の大部分は、信心年数は極めて短い。一九五二年(昭和二十七年)ごろの会員数は二万世帯で、五三年(同二十八年)の入会者が五万世帯であったのだが、真剣な実践活動は、初信の功徳ともいうべき現証を、人びとに等しく与えている。
 それらは、人びとの容貌と宿命がすべて異なるように、千差万別の現証であったが、入会前と入会後との一線を画すものであったことには変わりはない。
 さまざまな現証の集積は、個別的な「事実」を、普遍性をもつ「真実」に変えた。
 そして、一人ひとりの人生の蘇生のドラマは、確かな内面における変革から始まっていたことも間違いなかった。日蓮大聖人の「御義口伝」には、「功徳とは六根清浄の果報なり」「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」とある。功徳とは、わが生命を浄化することであり、悪の力を滅し、善の力を生み出していくことが、功徳の本質的なものとして示されている。
 日々、仏法を実践した結果、人間としての境涯の変革が起こり、それが実生活に向上をもたらし、自他共の幸福をめざす人生となっていく――功徳とは、日常の現実生活に現れる人間革命の結果にほかならない。
 そのころの入会間もない人びとに起きた現証を、今たどってみると、彼らがつかんだ妙法に対する確信が、どのようなものであったかを鮮明に知ることができる。

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