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日蓮大聖人・池田大作

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水滸の誓い  

小説「人間革命」7-8巻 (池田大作全集第147巻)

前後
1   宣誓
 一、我等水滸会々員ハ宗教革命ニ此身ヲ捧ゲ、異体同心ニシテ東洋ノ広宣流布ノ大偉業ヲ完遂センコトヲ、大御本尊様ニ御誓イ致シマス。
 一、我等水滸会々員ハ、戸田城聖先生ノ大目的タル、人類救済ノ御意志ヲ受ケ継ギ、其ノ達成ニハ身命ヲ捧ゲテ戦イ抜ク事ヲ、堅ク誓イマス。
 一、我等水滸会々員ハ、学会ノ先駆デアルト共ニ、戸田先生ノ無二ノ手駒デアリ使者デアル事ヲ自覚シ、如何ナル時代ニナロウトモ、且又、如何ナル戦野ニ進モウトモ、絶対ニ同志ヲ裏切ルコトナク、水滸会ノ使命ヲ全ウセンコトヲ誓イマス。
 昭和二十八年七月二十一日
2  この三箇条の宣誓書には、青年部長の関久男以下、四十三人の署名と栂印ぼいんが連なっている。一種の血判状の趣をなしていた。
 どうして、このような宣誓が必要となったか――その背景を語ることは、水滸会の歴史を知るうえで、かなり重大な意味をもっと、いわなくてはならない。
 七月二十一日の夜、男子部から選抜された四十三人が、西神田の学会本部に定刻に集められた。彼らは、本部への集合の通知を受けたが、宣誓については、全くといっていいほど、知らされていなかった。
 「大法弘通慈折広宣流布」の御本尊の前に机が置かれている。その机の上に、隅で認められた宣誓書が広げられていた。そして、机の傍らに、戸田城聖が、藤イスに座って、無言で一同を見ていた。
 一人の青年部員によって、宣誓の三箇条が読み上げられると、青年たちは、さっと緊迫した表情になった。目の前に御本尊があり、その傍らに戸田城聖がいる。しかも、三箇条の誓いは、彼らの生涯を決するにも等しい条文である。
 しかし、選抜された四十三人の男子部員だけあって、さすがに誰一人、逡巡する人はいなかった。
 日々の戸田の指導が文章となって、目の前に突きつけられたにすぎないという自覚が、一同の胸の底に湧いていた。一瞬の戸惑いを、彼らは、簡単に、さっと乗り越えることができたといってよい。
 そして、その後に、覚悟を新たにしなければならぬという極度の緊張感が、彼らの表情を、こわばらせていた。体を小刻みに震わせている人もいた。戸田の顔に、視線をじっと注いでいる人もいる。硬くなった気持ちを紛らすためか、天井を仰いでいる人もいた。
 初めに、青年部長の関が立ち、机の前に端座して筆を取った。その筆先に、全員の視線は、さっと集まっていく。関の署名が終わると、男子部長の山際洋が続き、山本伸一、十条潔、森川一正の順で、次々と署名し、このあと、三十八人の署名と栂印が続いたのである。
 まさに厳粛な儀式であった。一人ひとりの署名のたびに、戸田をはじめ、集った青年たちの目が、一斉に注がれていた。一人ひとりの誓いは、四十三人の連帯の誓いとなっていった。
 全員の署名が終わった。どのくらいの時間が流れたのか、誰もわからない。ただ、異様に緊迫した室内に、一種のさわやかな涼風が流れたように思えたことだけは事実である。
 今、あらためてした決意ではない。久遠の、その昔の誓いを、そのまま末法の現代において、互いに確かめ合ったといえるかもしれない。戸田を前にして、その誓いが四十三人の心に、さわやかに蘇ったといってよい。今、広宣流布の中核、水滸会は蘇ったのである。
3  水滸会の結成は、前年の一九五二年(昭和二十七年)十二月十六日であった。
 結成当時、三十八人で発足し、月二回の会合を重ねてきたが、半年が過ぎた六月ごろには、新顔の新会員も数を増していた。発足当時の、意気盛んな雰囲気は、数が増すにつれて、いつとはなく薄らいでいった。
 多くの人は、真剣そのものであった。しかし、幾人かの安易な姿勢の者がいたために、戸田の話を、ただ面白、おかしく聴いてさえいればよいという惰性が、忍び寄っていたのである。
 六月の会合の折に、それが、あらわになった。
 教材の『水滸伝』は、巻を重ねて、かなり読み進んでいた。
 ――梁山泊の豪傑たちは、何かというと、すぐ羊や牛を何頭も屠り、山海の珍味を並べて盛大な酒宴を張ったりする。これは中国の一般の風習か、どうかということが、一人の会員の質問から話題になった。終戦直後からの食糧難は切り抜けたものの、まだ食生活は豊かとはいえないころである。食糧豊富な梁山泊が、青年たちには気になっていたにちがいない。
 戸田は、笑いながら一同に言った。
 「実に、すごいご馳走だな。日本の水滸会の諸君は、みんな不景気な顔をしているが、これも、こんなど馳走がないからやむを得ないな。いずれ、みんなも育って、それぞれの分野で第一人者となる時が、必ず来るだろう。その時は、梁山泊のような殺伐としたご馳走ではなく、はるかに文化的な、おいしい料理を食べながら、世界人類の平和のことを論ずる存在になるだろう。梁山泊のご馳走がうらやましかったら、今、この水滸会で、一生涯、信心をやりきる決意を定めることだね。
 しかし、梁山泊の豪傑たちの胃袋は、それにしても、よく食い、よく飲むな。私も、酒は彼らに負けんつもりだが、こんなには食えない。
 日本の酒は米だから、それなりに栄養はちゃんとあるんです。
 中国の酒に老酒ラオチュウというのがある。これの原料は、もち米などで、貯蔵がきいて、長く保存すればするほど逸品とされている。そのために、酒に『老』の字がついているわけだ。日本の米でつくった酒は、一年もたつと味はぐんと落ちて、うまい酒とはいえなくなる。製法が違うんです……」
 酒の好きな戸田は、酒については詳しかった。
 この時、一人の新しい会員が口をはさんだ。彼は、戦前、中国にいたという上海育ちの大学生である。
 「先生、中国には高梁酒コーリヤンしゅというのもありますが、それは老酒とは違うんですよ」
 「うん、違うだろうね。高梁酒というのは、非常に強い酒だね」
 彼は、こう言って、青年をまじまじと見た。
 青年は、平然とした面持ちで続けた。
 「私は中国育ちなので、中国の酒のことも聞きかじっているのですが、高梁酒というのは、蒸留してつくったものだそうです……」
 大学生の彼は、得意になって、中国の酒談議を、なおも続けるのであった。調子に乗ったといおうか、呑気だといおうか、彼の話は、わずかばかりの知識をひけらかし、実に嫌味のある響きを帯びていた。
 戸田は黙して、硬い表情になっていた。青年たちのなかでも敏感な者は、大学生の話が早く終わることを望んでいた。しかし、ここまでは、どうやら無事であったが、次の瞬間、彼は調子に乗って、さらに口走ったのである。
 「先生、林檎酒りんごしゅというのもありますが、あれは、どうしてつくるのか知ってますか」
 戸田は、見る見る顔色を変えた。
 「君は、酒のつくり方を聞きに、ここに来ているのか。この会合を、いったい、なんだと思っているのだ! 私は不愉快だ。君は出て行きなさい!」
 怒りは激烈を極めていた。戸田は、幾たびも大学生に退去を命じた。大学生は、自分の非を悟るでもなく、呆然として立っている。それがさらに、戸田の怒りを激発させたのである。
 その場にいた青年たちは、いつしか、だらけてしまっていたこの会合に、深い自責の念から反省に沈んで、なす術もなかった。やがて大学生は、うなだれながら部屋を出て行った。
 それでも、戸田の怒りは収まらなかった。
 「誰が、水滸会をこんなにしてしまったのだ。君たち自身ではないか。あの青年だけの責任ではないはずだ。一人だけが出ていく。かわいそうに……。
 君たちは、同志愛まで裏切ってしまったのか。これでは情けない。私は帰る!」
 彼は、部屋を出ょうとした。慌てたのは、関久男をはじめとする首脳部である。彼らは、戸田の前に進み出て、膝をついて謝った。
 「申し訳ありません。本当に申し訳ありません」
 もはや、彼らの謝罪を聞くような戸田ではなかった。彼は、そのまま、すっと部屋を出て行ってしまった。
 この思いがけない激変に、青年たちは狼狽し、心は乱れたまま、じっと座っていた。関は、深い苦悩の色を浮かべて、一同に向かって、彼自身の反省を述べるとともに、水滸会全員の責任を糾明した。
 しかし、それは、なんの救いにもならなかった。
 温厚な山際洋も、いつになく激した調子でしゃべったが、すべては後の祭りであった。沈痛な空気は、刻々と深くなるばかりである。

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