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日蓮大聖人・池田大作

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翼の下  

小説「人間革命」7-8巻 (池田大作全集第147巻)

前後
1  一九五三年(昭和二十八年)という年は、創価学会の発展の歴史にあって、最も折伏意欲のみなぎった年であった。なにしろ、年頭の二万世帯を、一年間で七万世帯に飛躍させることを目標に掲げ、月々の活動を油断なく進めていった年である。もし、この年につまずくならば、戸田城聖が会長就任の時に宣言した、生涯の願業である七十五万世帯の達成は、不可能になるにちがいない。
 たとえ一瞬の出来事であっても、それが重大なる歴史の転機となる場合があることを、戸田は強く自覚していた。彼にとって、この一年が絶大な価値を内包する時機であることは、明らかであった。そのために彼は、慎重な配慮を払いつつ、周到な指揮を執っていたのである。
 急速に拡大する世帯数に対して、戸田は、人材の活用が、今後の発展を決定づけるカギであることを予見した。
 たとえば、第一位の活力ある蒲田支部も、一月、二月、三月と、今までにない急激な増加をしたものの、支部の指導力が、それに比例して増大するものとは思われなかった。むしろ、指導力の希薄化が、さまざまな面で露呈し始めたのである。また、二月には最下位に転落した文京支部の、支部長交代後の活力についても、憂慮しなければならなかった。
 四月二十日、戸田は、最上位と最下位の両支部に対して、熟慮の末、それぞれ適切な人事を断行した。それまで他支部に派遣されていた青年部長の関久男、男子部長の山際洋ら青年幹部三人を、一挙に蒲田支部幹事兼任として、蒲田に投入した。そしてまた、文京支部に対しては、第一部隊長になったばかりの山本伸一を派遣して、支部長代理に任命したのである。
 このように戸田は、自らの翼の下で育成した青年部の首脳陣を、急遽、登用し、今後の世帯数の激増に備え、各支部の強化を図っていった。
 彼の頭脳は、このころから、組織について、目まぐるしく回転を始めたのである。その回転に応えたのは、彼の翼の下で、こと数年、手塩にかけてきた青年部の中枢の幹部たちであった。彼は、青年部を人材の宝庫としたのである。この有能な手駒を、着々と育て上げていた彼の意図に、当時、気づいていた人は少なかったにちがいない。
 学会の首脳幹部は、ただ、活発化した座談会と折伏に、その日、その日を追われるばかりで、急増しゆく新入会員を、どう指導していくかについて、頭を働かせる幹部は皆無といってよかった。まして、成果のかんばしくない支部のことなどに、頭を悩ます余裕はなかったのである。
 五二年(同二十七年)十二月、文京支部長であった原山幸一が地方統監部長に就任し、その後任として田岡治子が支部長となった。彼女は、最初は大任を受けて一人張り切ったものの、月ごとに悩みは深くなってしまった。笛吹けど踊らず――女性支部長として焦れば焦るほど、彼女は、深い泥沼に落ち込んだようで、どうにもならなくなった。
 田岡治子は、支部長になる時、婦人部常任委員をしていたが、半年前までは班長であった。また、夫の金一は、組長をしていた。
 どちらかといえば、夫は商売の方に忙しく、学会活動は、治子が主体とならざるを得なかった。そのころの折伏成果は目覚ましく、支部の成果の半数近くを、彼女一人で勝ち取った月もあった。彼女は、その当時が懐かしかったにちがいない。
 しかし、今の彼女は、支部長に任命した戸田を、恨めしく思う時さえあった。
2  十二月のある日、田岡治子が、戸田に呼ばれて市ヶ谷の分室に行くと、戸田は、いきなり、こう切りだした。
 「新しい文京支部の建設のために、支部長にならないか。どうだろう」
 「………………」
 即答のできることではない。
 彼女は、返答に窮して、黙っているより仕方がなかった。
 戸田は、重ねて、あっさりと言った。
 「やればできる。じゃあ、決めたよ」
 彼女は、呆然として戸田の顔を見上げた。戸田は、なんの屈託もないように、温かい眼差しで彼女を見ていた。事は、あまりにも簡単に決まってしまったが、彼女は、この時、戸田の信頼を裏切るまいと思った。
 文京支部の一月の折伏成果は六十九世帯、二月は七十世帯であったが、学会全支部の最下位クラスであった。田岡治子は、人知れず頑張って、三月には八十世帯となったものの、多くの支部が、ことごとく飛躍的な増加を示しているのに比べて、なんという不甲斐ないことかと、自らに責任を問うた。
 三月末の本部幹部会の壇上で、悄然として身の細る思いをしながら、一刻も早く幹部会が終了することを願った。
 幹部会が終了すると、次は支部長会である。
 しょんぼりしている女性支部長を見かねて、慰めの言葉をかける同僚の支部長もいた。しかし、彼女は、窮地に陥った文京支部を再興する、なんの方策も思いつかなかった。いつか悲壮感が深くなり、支部旗を抱いて死ぬより仕方ないとまで思い詰めてしまった。
 恵まれていたといってよい班長時代の経験から、彼女は、楽観的に考えていたにちがいない。
 ″組織は順調に動くであろうし、みんなも協力してくれるだろう。折伏も、たやすくできるだろう……″
 しかし、現実は、あまりにも厳しかった。ひとたび組織の頂点に立つと、下から見ているような簡単なものでは決してない。支部長という立場に就いて、初めて彼女は、その責任の重さを知った。日夜、彼女の一念には、苦悩が渦巻いて去来した。いうなれば、田岡治子は、完全に挫折しかかっていたのである。
 そのような彼女の様子に、気づかぬ戸田ではない。支部長会が終わると、戸田は、彼女にひとこと言葉をかけた。
 「私が任命した支部長だよ。私が後ろ盾についている。それを、決して忘れてはいけない」
 夜も、かなり遅くなっていた。戸田は、すぐさま会場から姿を消したが、彼女の胸から、戸田の一言は消えなかった。
 数日の後、四月初句である。彼女は、覚悟を決めて、戸田を市ヶ谷の分室に訪ねた。
 ″一切をぶちまけて、叱られるものなら叱られよう。また、支部長を辞任せよ、と言われるなら辞任もしよう。広宣流布のお役に立ちたい念願は強いが、ことによると、自分が支部長などをしていることが、文京の邪魔になっているのかもしれない″
 芯の強い女性である。深い反省の果てに、彼女は、戸田に一切の判断を請う勇気をもった。
 戸田は、彼女の長い話を静かに聴いていた。そして、なんの叱正も批判も、指導さえしなかった。
 「わかった。もう泣かなくてよい」
 戸田は、大きく頷き、彼女を翼の下にかき抱くように言った。
 「文京を応援してやりたいが、ぼくが、文京ばかりを応援するわけにもいかない。その代わりに、ぼくの懐刀の伸一を行かせることにしよう。それで、どうだ。ほんとに、やってもいいか?」
 「ぜひ、お願いいたします」
 反射的に、治子は、こう言わざるを得なかった。
 山本伸一という新進の部隊長については、まだ、ほとんど知らなかった。機関紙にも、他の幹部のように華々しい活躍は、一切、報道されていない。
 彼女の不安を、戸田は、察したかのように、にっこり笑いながら言うのであった。
 「伸一は、若いが、恐ろしいほど、すごい男だぞ。信心でついていきなさい。
 あなたが、今まで知っている男とは、桁はずれに違う人物だ。ぼくの胸の、ここいらにいる男だからな」
 戸田は、胸の心臓の上あたりに手を置いて、真顔になって言った。
 「……ところで、主人はどうしている? 商売の方は、うまくいっているかね」
 「はい、元気で頑張っております」
 彼女は、小さい声で答えたものの、いちばん痛いところを突かれた思いであった。
 夫の田岡金一は、まだ″三遍題目″の、学会活動の嫌いな、そして、商売熱心な組長であった。
3  二十五歳の新進部隊長・山本伸一が、文京支部長代理を兼任して、初めて田岡の家を訪れたのは、四月二十五日の夜であった。その日は、支部の班長会である。誰の胸も、一種の敗北感に支配された会合であった。一同は、新任の支部長代理を迎えようと、定刻には顔をそろえていたが、七時を過ぎても、伸一は姿を見せなかった。
 当時の支部員たちは、初めて来る伸一を迎えに行く才覚も、路傍まで出迎える機転もなかったようだ。二十四人の班長は、ただ、おとなしく待っていたのである。
 そのうち玄関が開いた。
 山本伸一の元気な声が響いてくる。
 「こんばんは、おじやまします」
 彼は、こう明快にあいさつしながら座敷に上がった。
 「いや、探した、探した、大きな家ばかり探しちゃいました。田岡さんの家は、こんな小さい奥の方にある家だもの、なかなか見つからないわけだよ」
 ずいぶんと道に迷ったらしい。一同は、どっと笑いだした。
 彼は、まず御本尊に向かって正座し、張りのある通った声で題目をあげた。一同も唱和する。だが、その三遍の題目がそろわない。彼は、鈴を町いてやり直したが、まだそろわなかった。三度、四度と繰り返しているうちに、みな懸命になってきた。やっとそろった。
 彼は、くるりと向き直ると、居ずまいを正して言った。
 「あらゆる戦いの要諦は、全員の呼吸が合うかどうかにかかっています。唱題ひとつにも、勝敗のカギがあるんです」
 初めて聞く、厳しい信心の言葉だった。幹部一同は、さりげない短い指導のなかに、なぜか胸に突き刺さるものを感じたにちがいない。支部の薄弱な団結の姿は、既に、伸一が唱題を繰り返させたところに、縮図となって現れていた。
 伸一は、まず信心の姿勢を正すことから始めたのである。
 いかなる理論、方策よりも、一念の連帯が根本であることを、彼は、知り尽くしていたからである。彼は、言葉で指摘するよりも、事実を身をもって示すことによって、誰をも納得させたのである。
 「全員の呼吸が、ぴったりと合ったら、皆さんの力は、ただ合計しただけの力では終わりません。予想もしなかったような、大きな力が発揮できるのです。文京も、まず二百世帯の折伏をしてみようではありませんか」
 一同は驚いた。″無理な数字である″と思った。
 二百世帯と聞いて、居並ぶ班長たちは、無言であった。彼らにとっては、夢の数字である。いったい誰が折伏するのであろうと、他人事のように考えた。
 伸一は、目を丸くして仰天している一同の心を察したかのように、確信を込めて言った。
 「私の言う通りにやれば、必ずできます。楽しみながら、朗らかにやってください。それにはまず、支部全員の呼吸を合わせるところから始めなければなりません」
 彼の言った通り、最下位の文京支部は、その後、徐々に上昇していった。
 九月には待望の二百世帯をはるかに超え、二百七十五世帯の折伏を達成して、堂々と中堅支部に入っていく。さらに、この年の十二月には、誰も想像もしなかった四百三十一世帯という成果を出し、中堅支部の上位に進出していくことになるのである。

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