Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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原点  

小説「人間革命」7-8巻 (池田大作全集第147巻)

前後
1  戸田城聖の全生涯を、つぶさに展望する時、彼の原点ともいうべきものを、いったい、どこに求めたらよいかとなると、にわかに判定は下しがたい。
 彼は、教育者でもあったが、いわゆる世間並みな教育者ではなかった。事業家でもあったが、単なる事業家ではなかった。宗教家でもあったが、通例の宗教家からは遠いところにいた。また、民衆指導者でもあったが、それは、破格な民衆指導者であった。
 彼の存在は、これらの世間並みな範疇を破ったところに、その独創性を深く持していたのである。こうした独創性が、どこから生まれたかとなると、人は天与の才能や、性格に帰したがる。
 しかし、その天賦の資質を思う存分に発揮させたものは、いったい何であったかに思いをいたす時、戸田城聖という一個の人間における原点に近づくことができるように、私には思える。
 独創性とは、人まねを許さぬところのものである。そして、未聞のあるものを生むところの力である。特徴などという安易な解釈が、色を失うところにあるものだ。特徴のある人間は、なるほど無数にいるが、真に独創的な人間は、まことにまれである。また、その独創的な人間が、一事を成し遂げるかどうかとなると、さらにまれであるといってよい。
 戸田城聖は、人まねの及ばない完壁な独創性をもっていた。この独創性が、いつ、どこで、力となって確立されたか、それを果てまで追究していくと、どうしても、あの獄中の、崇高にして峻厳な一瞬を見逃すことはできない。
 その一瞬とは、彼の前半生と後半生を、くっきりと分かつところの、法華経の精読、熟読を縁として生じた開眼の瞬間である。
 この折の体験は、生前の彼が、繰り返し、繰り返し、語って尽きなかったことであるが、まことに人に伝えがたい、不可思議な天命を知りたる境地であった。
2  しかし、ここで注意しなくてはならないことは、この折の釈尊の法華経二十八品の熟読は、あくまでも、彼にとって助縁にすぎなかったということである。確かに、重大な助縁ではあった。だが、彼が、そこで悟達したところのものは、まさに、「南無妙法蓮華経」の極理そのものであった。ゆえに彼は、日蓮大聖人の「御義口伝」に肉薄し、やすやすと、その難解な法門に踏み入ることができた、と私は信じる。
 これは、彼の苦渋に満ちた前半生の総決算ともいうべき不動の開眼であった。その生々とした、はつらつたる眼には、後半生の自覚と使命が、くっきりと鋭く映った。彼の、「われ地涌の菩薩なり」との自覚は大歓喜を生み、全く斬新な進路と展望をもたらしたのである。
 それは、人類未聞の広宣流布ということである。しかも、彼の体得したものは、現代の救世の最高原理となって現れたといえるのだ。
 出獄後の第一歩は、獄中の辛酸のなかで得た彼の地涌の自覚を、なんとかして人びとに分かち与える努力から始まった。創価学会再建の活動が、わずか四人を相手としての法華経講義から始まったのも、偶然ではないと、私は思っている。
 戸田城聖は、その伝えがたい秘奥を、人びとに分かち与えるためには、どうしても法華経を媒体としなければ不可能であると考えていたのである。
 この迫真の法華経講義は、第一期、第二期と繰り返されて、やがて彼の事業上の挫折から、一時、中断のやむなきにいたったことは、既に書いた通りである。
 彼は、法華経を媒体として、彼の悟達の原点を伝えようとした。しかし、未熟な受講者の理解を促そうとするあまり、天台宗学の解釈を借り、いつか、その臭味を帯びていった。そのため、わずかながらも、日蓮仏法への誤解を生じさせる結果になってしまったのである。そして、彼の事業も、破綻の苦しみを味わわねばならなかったのである。
 しかし、この破綻をバネとして、彼の法華経講義は、さらに透徹していった。そして、受講者に語る内容も、一段と平明純粋となり、光彩と確信に満ち満ちたものになったことは、一九五一年(昭和二十六年)の、会長就任後の彼の講義が示している。
 彼は、常に原点に戻って、熱烈渾身の新たな決意で臨んだ。法華経二十八品の講義は廃したが、一級講義として、法華経の「方便品第二」と「如来寿量品第十六」に限って講義した。
 しかも、新入会者を対象として、最初から彼の原点を惜しみ、なく与えようとしたのである。一見、経典の講義は難解であり、初信者には無謀とさえ思われるが、彼は、あえて、これを行ったのである。
 彼は、獄中で体得した原点を、つまり南無妙法蓮華経を根本にして法華経を身で読んだ原点を、一瞬も忘れることはできなかった。
 彼の独創性は、この原点の独創性にあったといってよい。それがまた、そのまま救世の原理となっていたのである。
 現代においてこのような確固たる救世の原理を、己が生涯の原点とした者は、まことにまれである。戸田城聖という一人物の存在が、今日にあって千鈎の重みをもっていることの秘密は、ここにあるといえよう。
 彼の一級講義は、会長就任後、毎週一回、西神田の学会本部で行われていた。やがて、受講者の激増から、二階の八畳と続きの二間の会場は、たちまち狭くなってしまった。
 階段にまで、はみ出すようになると、西神田の本部から程近い教育会館に移った。しかし、そこも間もなく受講者であふれ、五三年(同二十八年)秋には、千数百人を収容できる池袋の豊島公会堂に移して講義が行われることになるのである。
3  戸田城聖は、講義会場に入り、演壇のイスに座ると、軽い咳払いをした。卓上にはマイクと水差しが置かれであったが、ノートや本らしいものは、何一つなかった。秀でた額にライトが当たり、血色のよい彼の顔は、多くの聴衆に微笑んでいるようであった。
 彼は、いかにも楽しそうに、伝えがたいものを伝える喜びに浸っているように見えた。そして、いきなり、この日蓮仏法の要諦から説き始めたのである。
 「日蓮大聖人の仏法と、釈尊の仏法との相違は、厳然たるものであります」
 仏法といえば、釈尊が説いたものとしか考えていなかった新入会者に対して、彼は熱烈に、末法の仏法の存在を明らかにしたのである。
 現代の知識人が陥る最大の弱点は、仏法を求めたとしても、釈尊の仏法の範疇を出ないことである。釈尊の仏法は、末法の衆生の救済には全く無力である。
 ところが、彼らは、それを知らず、日蓮大聖人の仏法の、真正厳然たる存在すら疑っているのである。戸田は、まず、それを破折したのだ。
 「その要は、どこに示されているかと申しますれば、『御義口伝』が、いちばん明らかであり、肝要であると思います。
 御書の七百五十二ページを開いてください」
 御書を持っている人は、まだ少ない。たとえ持っていても、指定されたページを開けるのに手間取っていた。
 戸田は、それを見ていた。
 「御書も高いから、なかなか買えないであろうと思いますけれども、買ってしまえば一生涯のものです。これは法律の本と違いまして、内容は変わりませんから、たとえ貧之しても、一冊くらい買う決心で求めておきなさい。教学をやろうという人が、御書も持たないなんて、ずいぶん厚かましすぎるでしような。武士が刀を持っていないのと同じだね!」
 会場に、どっと大きな笑い声が広がった。和気あいあいの風が、さっと流れた。
 演壇の傍らに立っている泉田ためが、よく通る声で御書を読んでいった。戸田は、じっと耳を傾けているだけである。
 「 第一 南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の
 文句の九に云く如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり別しては本地三仏の別号なり、寿量とは詮量なり、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量す故に寿量品と云うと
 御義口伝に云く此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり神力品の付属是なり、如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり……」
 聴講者は、キツネにつままれたような顔をして困惑していた。いきなり日蓮大聖人の極説中の極説を耳にして、何がなんだか、わからなかったのである。
 戸田は、それを察したかのように、平然として言った
 「これは、実に不思議なのです」
 わからないのが当然だといった口調である。聴講者の困惑は消えた。そして、戸田に、じっと視線を注ぎ、耳を研ぎ澄ました。

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