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余燼  

小説「人間革命」5-6巻 (池田大作全集第146巻)

前後
1  一九五二年(昭和二十七年)の六月二十六日から二十九日まで、四日間を費やして、総本山大石寺では、臨時宗会が開かれた。宗制・宗規および寺院規則に関する案件と、笠原事件への対応について審議されたが、議題が極めて重大であったことから、最初二日間の予定が、四日間に延びたのである。
 宗会議員十六人のうち、病気欠席の一人を除く十五人の僧侶が参集した。臨時宗会の議場は、総本山の富士学林の教室であった。
 教室の教壇が、そのまま議長席である。議員の席は、教室の左右に分かれて机を並べ、一番から十六番までの三角柱の番号標が、机の一端に置かれている。
 各議員の席順は抽選で決定し、開会中は番号をもって議員の氏名に替えることになっていた。議長席の右手に、宗務総監をはじめ、庶務、教学、財務の三部長が並ぶ。左手には書記を兼ねている主事の席があった。宗務当局の職員も番号を付し、番外一番、番外二番と呼ぶ習慣であった。
 第一日の二十六日は、午前九時過ぎに開会された。
 午前中から午後にかけて、宗制・宗規などについての審議が行われた。
 夕刻、本会議は議員会に移行し、笠原事件について協議された。議員会は傍聴禁止であり、議長の権限によって、宗務当局の役職員、および傍聴人は、議場から退場を命じられた。
 この日、傍聴人の、なかには、創価学会の清原かつら三人がいた。彼らは、前日、戸田から登山するよう言われ、かねて宗務院から提出を求められていた笠原事件の始末書と、宗会議長宛ての請願書を持参していたのである。
 三人は、宗会の行方が気がかりでならなかった。しかし、退場を余儀なくされたのである。出発時の少なからざる不安は、現実問題として、彼ら三人の肩に、重くのしかかってくるように思われた。
 二日目の二十七日、本会議は定刻十時から始まった。
 この日は、冒頭から笠原事件が議題となった。まず議長は、宗務当局がこの事件に対して、どのような方針をもっているかが不明であるので、宗務院の役職者の出席を求める提案を行った。
 この提案を受け、やがて当局の役職者が出席した。最初に、庶務部長の細井精道が手をあげた。議長は指名した。
 「番外二番」
 番外二番の細井は、緊張した面持ちで、メガネを光らせながら、口を開いた。
 「今回の不祥事件が、全国に多大な反響を与えていることは、周知のところであります。しかし、この問題を早急に解決しようとすることは、まことに困難で、実に複雑な要素を多分に含んでいることを認識せざるを得ません。
 そこで、まず当局としては、双方に事件の顛末に関する始末書の提出を求めたのであります。
 ところが創価学会からは、戸田城聖会長の名において、二十五日夜、陳謝の意を含んだ始末書が提出されておりますが、笠原氏からは、いまだ提出がありません。ただ『顛末記』なるパンフレットのみを配布してきただけであります」
 細井は、こう報告をすると、いささか沈痛な声で、自らを励ますように言った。
 「この事件の結末には、当局として、ただ今、心を砕いております。議員諸氏の率直な意見を、お聞かせ願いたい。また、昨日の議員会の決議事項や地方の世論など、差し支えあるならば秘密会議でお聞かせ願えれば幸甚です。ともかく、明朗宗門建設のために、最善の処置を取りたいと、心から念願するものであります」
2  この時、十一番の議員が発言した。
 「創価学会提出の始末書を、発表していただきたい」
 「では、主事をして朗読いたさせます」
 議長の指名で、主事は立ち上がった。議場は、一緊迫した空気につつまれ、粛然となった。
 「始末書
   昭和二十七年六月二十五日
         創価学会会長 戸田城聖
  日蓮正宗宗務院 御中
 宗旨建立七百年慶祝記念法要中に、当学会青年部員と笠原慈行氏との間に於て行われた神本仏迹論の決定的な法論について、始末書提出の御命を受けましたので、左の通り始末書を提出致します」
 戸田城聖が、総本山に提出した始末書は、冷静な書きだしで綴られていた。
 笠原事件は、宗門の浄化のために、ぜひとも経なければならぬ問題である。しかし、戸田は、そのことで総本山に、少しでも迷惑をかけた事実については、どこまでも謙虚に陳謝の意を表したのである。
 しわぶき一つない議場で、主事は、始末書の朗読を続けた。
 「私始め学会員一同は、当日まで、笠原慈行氏は僧侶に非ずと信じて居りました。それは昨年五月三日、常泉寺に於ける会長推戴式に於て、愚生の講演の中に『戦時中、神本仏迹論を主張して時の法主上人を悩まし奉り、また学会弾圧の因をなした笠原慈行という悪僧が、今以って僧籍にあり云々』とありましたところ、臨席されて居りました細井尊師より『現在、宗門にはかかる僧侶は絶対に居りません』と断言され、その発言の裏付けは、五月十六日付『大日蓮』誌第六十三号を以って、『お断り』として宗務院の庶務部より発表されました。
 笠原氏の悪行は……」
 始末書は、最近の笠原の挙動から、四月二十七日の事件に及び、戸田が寂日坊を去るまでの概略を述べて、次のように続いていた。
 「慶祝記念日を御騒がせする心は毛頭ありませんでしたが、青年は血気に逸るものであります。とうとうあの事態になりました。今尚私の胸を痛めている事は、御法主上人猊下の御目を汚し、登山の各位を驚かせ申した事であります。只々申し訳ないとお詫び申し上げて居ります。
 尚、笠原慈行氏は、事件直後に聞きましたところでは、慶祝記念に当り、特赦され僧籍に復帰を許されたとの事でありますので、宗務院よりの発令の有無と理由の示達を糾して居りましたところ、四月三十日付印刷発行になる『大日蓮』誌第七十四号に発表されたものが、五月中旬に配布されましたが、今尚かかる主張をなす僧侶として本山に居る事は、了解に苦しむのであります。
 その故に、私共と笠原慈行氏との関係は、未だ『まつ』は決して居りませんので、全体の始末書とは申しかねますが、当日の始末を、あらあら御命によって、始末書にしたためました」
 始末書の朗読が終わると、秘密会議に入り、傍聴人は退席しなければならなかった。その秘密会議は、丸一日、続いたのである。
 清原ら三人は、理境坊の一室で、じっと待機していた。審議が、いかにして行われているものか見当もつかないままに、不安と焦慮のなかで、東京にいる戸田城聖のことを、しきりに思い浮かべていた。
 戸田は、彼らの出発の時、始末書と請願書を渡しながら、子どもに対するように、こまごまとした注意を与えていた。
 「喧嘩をしに行くのではない。決して言い争いをしではなりません。冷静な傍聴人として行って、宗会の動静や、議員たちの言動を、よく見極めてくればいい。不愉快なことばかりだろうが、あくまでも冷静に身を処することを忘れてはいけない。ご苦労だが、忍耐強くやってほしい」
 戸田は、重要なポイントだけは、いつも外さなかった。ここに、彼の、生きた教育があった。基礎、基本を教えて、あとは一人ひとりの責任に委ねたのである。
 若い彼ら三人は、まさに戸田の予見した通り、辛抱に辛抱を重ねなければならなかった。
3  翌三日目の二十八日も、朝から宗規を審議する委員会や、秘密会議が続き、やっと本会議が始まったのは、夜の七時三十分ごろであった。ガランとした議場の、天井からぶら下がっている二個の裸電球が、議員たちの姿を浮かび上がらせていた。
 最初に、委員付託となっていた宗制、寺院規則に関する議案が一括上程され、委員長の報告、説明のあと、それぞれ審議、可決された。
 次いで、宗規に関する議案を可決。そのあと七百年慶祝記念局の収支決算の中間報告があり、議案は慌ただしく通過して、終わった。
 この直後、突然、四番議員が席を立ち、黙々として議長席に歩み寄り、議長に一礼すると、一書をテーブルに置き、自席に戻ったのである。
 この一書は、笠原事件に関する宗会の決議文であった。丸二日の秘密会議で、作成したものであった。
 場内は、夜気のなかに、しんと静まり返った。
 「ただ今、宗会議員全員の署名、捺印による決議文が提出されました。よって、主事をして朗読せしめます」
 議長の発言に応えて、主事が演台に歩み寄り、決議文を広げた。
 傍聴席には、総本山内の僧侶が大勢いた。もちろん創価学会の三人もいた。
 場内には、いささか震えを帯びた主事の声だけが響いていた。
 「決議文
 昭和二十七年四月二十七日、総本山に於ける立宗七百年大法会執行中、惹起せる事件は、開山上人以来、未曾有の不祥事にして、霊域を汚し参拝の僧侶にすくなからざる不安を与えたるは、まことに遺憾とする処である。よって左の如く決議する。
 一、笠原慈行師は、本宗の教義に背反する異説を放棄し、特赦復帰になっていたにも拘らず、不祥事件以来調査の結果、宗門を欺瞞し、言を左右にして該説を放棄せるものと認められず、依って宗制宗規に照し適切な処置を望む。
 一、大講頭戸田城聖氏は、本宗宗制第三十条を無視し、本年四月二十七日、本宗僧侶笠原慈行師に対し、計画的と見做みなされる加害暴行をし、記念法要中の法主上人を悩まし奉るのみならず、全国より登山せる檀信徒に信仰的動揺を与えたる事件は、開山以来、未曾有の不祥事である。依って今後、集団、個人を問わず、かかる事件を絶対に起さざる事を条件とし、左の如き処分を望む。
 一、所属寺院住職を経て謝罪文を出すこと
 一、大講頭を罷免す
 一、戸田城聖氏の登山を停止す」
 決議文は、笠原慈行に対しては「適切な処置」と述べるにとどまり、戸田城聖に対してのみ、三項目にわたる厳しい処分を定めていた。
 決議文の朗読を終わると、四番議員が、趣旨説明の演説を行った。それは、笠原慈行については厳重なる調査をして、そのうえで宗制・宗規に照らし、断固たる処置を取ることを要求したにとどまったが、戸田城聖に対しては、激越な言辞を弄して攻撃したものであった。
 「……一方、戸田城聖氏は、宗制第三十条に、『管長ハ教義ニ関スル正否ヲ裁定ス』とある条文に訴えずして、計画的と推理される暴行をもってし、開山以来七百年のこの霊域を汚し、あまつさえ大法要の儀式執行を妨害したことは、天人ともに許さざる行為である」

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