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日蓮大聖人・池田大作

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小説「人間革命」5-6巻 (池田大作全集第146巻)

前後
1  戸田城聖は、何かを凝視して静かであった。一九五一年(昭和二十六年)七月、朝鮮戦争(韓国戦争)の休戦会談が始まり、九月には、サンフランシスコの講和会議があった。
 このころ、このように幾重にも重なった出来事に、戸田は、思いをいたさないわけではなかったが、周囲の人びとには、ほとんど無関心のように見えた。日本の国の本質的なものは、結局、何一つ変化をきたしていないからである。
 韓・朝鮮半島での戦争は、相変わらず続いていたし、日本は、講和条約で、いずれ独立国になることは決まったが、アメリカに、何から何まで依存しなければならない独立であった。本質的な変化は、何も認めることはできなかった。
 彼は、皮相的な現象の数々の変化には、生涯、ほとんど心を動かすことはなかった。彼が、あくまでも本質的と見たのは、日本そのものの宿命の問題であったからである。そして、この問題に関連する民衆の幸・不幸が問題であった。
 彼の言う本質的な変革とは、言うまでもなく、まず一国の広宣流布である。この未聞の難事業からするならば、戦争の後始末などは、はるかに楽な仕事に思えた。すなわち、彼の志向する次元が、人びとと違っていたのだ。
 彼は、この激動の時代にあって、着々と広宣流布の基盤づくりに、精魂を注いでいたのである。
 夏には、第六回夏季講習会に全力を傾けていた。その意中は、第二期の広宣流布の第一歩を踏み出すにあたり、宗教改革の骨組みとなるべき人材を養成することにあった。
 五月の会長就任以来の躍進は、ここにも見られ、八月三日から七日までの五日間、総本山で、前期、後期に分かれ、合計九百十四人に上る参加者をみた。戦後六年にして、過去の記録を飛躍的に破ったのである。
 戸田は、まことに元気であった。行事日程は、ぎっしり詰まり、寸暇も残さないほどの内容である。勤行、座談会、講義……と、次々と続いていった。戸田を中心とした、これらの行事は、一切、円滑に運営されて、総本山は、時ならぬ活気を呈した。誰もが求道心にあふれでいた。
 この夏季講習会の期間中、戸田は、多くの学会員を前にして、親しく話しかけ、指導した。さらに、質問に答え、彼の胸中に広がる広宣流布の構想と、その実践とを、全精魂を傾けて訴えたのである。
 「広宣流布の推進こそが、あくまでも、われわれの目的なのであります。日蓮大聖人の御化導の次第を考えますと、まず立宗宣言において題目を唱えられ、念仏の充満した社会に題目を流布する戦いを開始されました。次に竜の口の法難で発迹顕本されてからは、末法の御本仏としての御境界から、一切衆生の幸福の根源である御本尊を御図顕されたのであります。
 他宗でも題目を唱えており、題目の流布は、もはや日本国中にできております。残念ながら、彼らは、拝む対象を間違っている。本尊雑乱の時代です。だから今は、正しい本尊の流布に励む時なんです。目的は広宣流布です。御金言の通り、この正法は、必ず東洋に、全世界に広まっていくんです。もし、そうならなければ、大聖人は大嘘つきになってしまう。必ず、必ず、広まっていくことを自覚しなさい。
 ここに、われわれの使命があるんです。われわれには、本尊流布以外には何ものもないのであります」
 さらに彼は、夜の客殿の座談会で語った。
 「歓喜に満ちて、総本山に登山した人もあるでしよう。また、悩みをもって登山した人もあるでしょう。いずれにせよ、今日を出発点として、二、三年たった時、振り返ってみなさい。必ず、木が自然に伸びゆくように、幸福になっている。これは、絶対の確信をもって申し上げる。だから、安心して折伏しなさい。誰がなんと言おうと、大聖人の仰せには間違いはない。今、折伏しなかったら、後悔するでありましょう。この実践以外に、宿命の打開も、真の幸福も実証はできない。
 昔と違って、今の時代は、折伏は、実にしやすくなっている。条件がそろっているんです。時が来ているんです。大聖人様の最高の法理によって、年間研鑽してきた創価学会は、もはや理論の面でも、絶対に敗れないものをもっております。
 共に勇敢に戦おう。もし、広宣流布の途上で君たちが倒れることがあったならば、骨は私が必ず拾おう」
 このあと、学会歌が、客殿の中で、ひときわ力強く響き渡り、夏の夜空に広がっていった。
2  夏季講習会を成功裏に終わって、八月三十一日に支部長会を開いてみると、本尊流布は、六百四十六世帯という数字が出た。六月の四百四十より多かったものの、七月の成果、七百三十五に比べると少ない。戸田は、ここで手綱を引き締めて言った。
 「新入会者の数から見た場合、われわれの目的地は、あまりにも遠すぎる感がある。二十年、三十年後をめざす大業であってみれば、短期間の成績によって、うんぬんはできないことであるが、世界の情勢とにらみ合わせた時、これではならない。来月は、しっかり頑張ってもらいたい。
 各支部の報告からみて、支部長の熱と確信が、いかに支部活動の成績に響くかが、明瞭であります」
 広宣流布の指揮官たちは、張り出された成果をじっと見た。そして、各支部の同志が、夏季休暇などを利用して、それぞれ縁故のある地方へ、熱意をもって進出したことを知った。
 ちなみに、当時の懐かしい弘教の状況を、ここに記載しておく。
  支 部  入会世帯数   縁故のある地方
  蒲 田     八四    栃木、神奈川
  鶴 見     八八   
  小 岩     八五    群馬、栃木
  杉 並    一〇九    伊豆大島
  足 立     三九    千葉、栃木、群馬
  本 郷     五四    秩父、軽井沢、上田
  志 木     二五
  文 京     四六    保土ヶ谷
  中 野     三二    甲府
  築 地     四〇    静岡、高崎
  向 島     二六    福島
  城 東     一八
3  戸田は、地方への進出を心で喜んだが、口には出さなかった。
 彼は、厳しい表情で、毎月の目標を、A級支部は百五十、B級支部は百に置くことを支部長たちにはかり、奮起を促した。
 「広宣流布は、全東洋へ、全世界へなさねばならぬ大事業です。その盤石な基礎の建設を、今、日本において行っているのが、われわれなんです。それは地道な作業であり、派手に報道されている売名の戦いや、遊戯のような運動とは、全然、違う大偉業なんだ。
 大聖人は『日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし』と仰せです。この御聖訓を、諸君は、がっちり腹にすえて立つべきです。必ず将来、人びとは、この法戦の偉大さに驚くだろう。また、必ず成る大業なんです。これは、戸田の主観ではない」
 彼は、現在は、いかなる教えが人びとを幸福にするのか、宗教を峻別していくことが大切なゆえんを説いた。そして、「御本尊に対しての確信なくしては信仰なく、信力、行力なくしては、功徳は現れない」と、信心の要諦を述べた。
 続いて、自分に信心を教えてくれた人に対して、「教化親」などという他宗の言葉が使われていることに触れ、厳しく警告した。
 「学会は組織体であるから、支部長などの役職があり、その指導や指示に従って行動することは当然であるが、他宗教でいう教化親とは、全然、違ったものです。断じて混同することの、ないようにしてもらいたい。自分を折伏してくれた恩人は、『教化親』ではなく、御書に説く『善知識』というのであって、『一向・師にもあらず一向・弟子にもあらず』という立場です。真実の仏法の世界は、あくまで納得のいく合理性で貴かれているんです。
 学会において、『教化親』などという言葉を、もし使い、折伏した人を、あたかも自分の意思通りに動かしてよいのだ、という誤った考えをもっ者は、断固として処分する。このことを、この際、はっきり認識しておいていただきたい」
 彼は、学会の純粋な組織が、誤った考え方によって汚されるのを、厳しく戒めたのである。
 「『教化親』と呼ぼうが、『善知識』と言おうが、それは小さな問題であると思うかもしれない。しかし、学会が、広宣流布の大目的を敢行するための未聞の組織である以上、細かな配慮も必要なんです。
 諸君の腕にある時計を見たらいい。一個の時計にも、短針と、長針と、秒針とがあるではないか。三つの針が一体となって、時を刻んでいるんです。どんなに小さな動きでも、決してゆるがせにはできないことを、知るべきです。
 支部長のなかには、なんでも他人に任せて、いかにも大物ぶって、超然としている者もいる。それでは、動かない針と一緒です。細かな問題にも気がつくようでなければ、本物の指導者とはいえません。
 諸君は、広宣流布の伸展に遅れをとってはなりませんぞ」

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