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日蓮大聖人・池田大作

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随喜  

小説「人間革命」5-6巻 (池田大作全集第146巻)

前後
1  戸田城聖は、熟慮した。
 ″新時代の革命には、それにふさわしい、新しい組織が必要である。その組織が、一つの躍動する生命体として発展するために、いちばん大切な、不可欠の条件とは、いったい何であろうか″
 この問題が、五月三日の会長就任の日から、戸田の頭を離れなかった。それは、広宣流布という、想像を絶する壮大な展望に臨んだ時、執拗なまでに彼の心をとらえて離さない課題であった。誰かに相談できるような問題でもない。また、衆知を集めて解決できる問題でもなかった。
 その未来への偉大なる展望は、彼一人の己心のなかにしか存在しなかったからであろう。
 仮に、それを彼が語ったとしても、弟子たちが正しく理解するには、現状は未熟というより仕方がなかった。
 今、会長となって、険難な未来を望む時、彼は、重い、未聞の責任感から、いやでも心に孤独の濃い影を宿さずにはいられなかった。
 熱誠あふれる歓喜の推戴をした三千余の人びとも、彼の、この苦悩を微塵も知らなかった。
 彼は、会長として新出発するにあたり、これまでの弱体化した組織を一新させていった。新たに全部門の組織を再編成し、その新組織を躍動させるには、どうすべきかを、わが心に問うたのである。
 ″確かに俺は、出獄のその日から今日まで、師子奮迅の活動を敢行したことは事実である。だが、敗戦後、わずか数年の間に、多くの新教団が急速に勢力を伸ばしてきた。この現実を目にすると、全力で戦ってきたとはいえ、実は空転していたとさえ思えてならない″
2  彼の反省は、深かった。
 ″組織は、ことごとく生きていなければならぬ。人が集まれば、それで組織ができるという安易な考えから、今こそ脱却すべき時だ。組織の各部門が、それぞれ磨き上げられた強靭な歯車となって、互いに、ぴたりとかみ合って、回転し始めた時、初めて生き生きとした組織が、幸福と平和とのために動き始める。そして、うなりを生じて、巨大な生命体となることができよう。そのためには、何かが欠けている。いったい不可欠なのか……
 戸田は、いつまでも思いあぐねていた。
 会長という立場から、つぶさに支部、講義部、婦人部、青年部、男子部、女子部、機関紙と、幾つもの広布の歯車を、一つ一つ丹念に点検した。
 彼の未来にとって、これらの歯車は、いずれも等しく掌中の珠と思われた。だが、それらの珠は、今は粗雑な石ころのようにしか見えない。これらの石を、光彩陸離たる珠とするには、彼自らの懸命な努力によって、その一つ一つを、急速に磨き上げねばならない。
 ″しかし、そうした努力は、今さらのことではない。ここ六年、日々、続けてきたはずだ。だが、何かが欠けている。その欠けているものは、なんであろうか″
 彼は、反省の果はてに、一切の方法論を、ひとまず捨てた。そして、鋭い洞察のもとに、こう結論していった。
 ″人びとの心は、いつか形式面にとらわれ、現象面を追って右往左往してしまう。われわれの組織は、妙法のそれである。妙法流布の組織である以上、組織の中心軸は、言うまでもなく純粋無垢な信心しかない″
 そう思い至ると、彼は、これまでの学会に欠けていたものこそ、その信心の根本たる御本尊にほかならぬと悟ったのである。創価学会に、金剛不壊の大車軸としての御本尊なくして、妙法の組織としての生命をもつはずがない。
 そこで彼は、就任式の席上、既に提案していた学会常住の御本尊の請願書の作成を、心を込めて急いだ。
3  請願書
 顧みますれば、初代会長牧口常三郎、創価学会建設以来、大御本尊の慈悲をこうむる身となりました。私共同志は只々広宣流布を念願して参りまして、牧口会長、大御本尊に身を奉るの日には会いましたが、未だ広宣流布の大願は程遠く、思いをこがして七年になりました。
 ″大聖人宗旨御建立七百年を明年にひかえまして、去る五月三日に戸田城聖が第二代の会長の任をとり、不思議の因縁をもちまして、集う同志は五千を数うるに至りました。
 時は東洋をあげて大動乱の現実に当面し、つらつら私共愚かな心にて、宗祖日蓮大聖人の御予言を立正安国論等にて拝し奉るに、遂に一国大折伏の時機到来せりと考えざるを得ないので御座居ます。
 この時に当たり、私共謹んで仏勅を奉じ、広宣流布実現に身命を賭せんと深く期する処であります。
 御法主上人猊下におかれましては、右の真情を嘉せられ、大折伏大願成就の為の大御本尊を賜りまするよう、創価学会の総意を以て請願申し上げます。
           創価学会
             会長 戸田城聖
  日蓮正宗総本山
    法主上人猊下
      昭和二十六年五月十二日

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