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日蓮大聖人・池田大作

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怒濤  

小説「人間革命」3-4巻 (池田大作全集第145巻)

前後
1  一九五〇年(昭和二十五年)八月二十二日という日は、この夏の、いちばん暑い日であった。昼下がりの気温は、都内で三四・二度に上った。
 それでも、夕方、日がかげり、街々の屋根の彼方が夕焼けに染まると、さわやかな風が流れ始める。黄昏の風情は、秋の近いことを知らせていた。人びとが、ほっと息を抜いて、街角で風に吹かれるのを楽しんでいる姿も見られる。
 日本正学館の二階も、ようやく昼の暑熱が消え、開け放した窓から、涼しい風が吹き込んでいたが、明るい電灯の下に集まった社員たちの顔は、沈痛で暗かった。
 戸田城聖を囲んでの全体会議である。社員たちは今、奥村部長から、信用組合の業務は、明二十三日から停止となる旨の話を聞いたところだった。
 こうした事態も、予期しないことではなかった。しかし、それでも一纏の望みをいだいて、ここ数ヶ月、皆、奮闘してきたのである。だが、遂にここまで来てしまったのだ。
 誰もが、言いようのない絶望感に襲われていた。
 前年秋の出版事業の停止、今度の信用組合の業務停止と、たび重なる挫折は、社員たちに深刻な動揺を与えずにはおかなかった。
 彼らは、戸田の顔を、ちらっと見た。豪放な戸田にも、悲痛なまでに憔悴の様子が、ありありとうかがえた。いつもの微笑は頬から消えている。口は固く結ばれて、厚いメガネの奥の目は、心なしか寂しく光っていた。
 戸田は、顔を上げ、いささか、しわがれた声で、はっきりと言葉をかみしめるような調子で話し始めた。
 「今、報告のあった通り、東光建設信用組合は、明日から閉鎖するのやむなきに至った。まことに残念です。一生懸命、働いてくれた諸君も、さぞかし残念に思っていることと思う。責任は、諸君にはない。あくまで、この戸田にある。辛いところを、この戸田のためによく尽くしてくれた。あらためて感謝します」
 戸田は、軽く頭を下げた。女子事務員の一人は、急いでハンカチを目に当てている。万感迫るものが、一人ひとりの胸のなかで波打った。彼らは、それを、じっとこらえていたのである。
 もし、この時、誰かが、「わっ」と泣きだしでもしたら、まだ救われたかもしれない。だが、そうした余裕が許されないほど、緊迫した空気が、その場を支配していた。
 涙というものは、まだ心にゆとりのある時に湧くものらしい。今、この場にいる人びとは、そんなゆとりのある戦いをしてきたわけではなかった。
 去る者は去り、残った者は戸田を信じて、ぎりぎりの努力を傾け、事ここに至ったのである。戦いに悔いはなかったが、敗れた事実に、限りなく無念の思いが、込み上げてきた。沈痛な戸田から視線をそらし、一同は、ただ耳を澄ましていた。
 「今、ぼくは経済戦で敗れたが、断じて、この世で負けたのではない。信心では少しも敗れていない。この五尺の身を、広宣流布の大願に叩きつける覚悟は、今も、これからも、微動だにしないことを、信じてもらって差し支えない。大聖人様の仏法が敗れないかぎり、戸田は、信心では絶対に敗れることはないんです」
 事務所の柱時計は、午後八時三十分を指している。戸田の話は続いていた。
 「信心が敗れないならば、たとえ地獄の苦しみに落ちようが、大聖人様は、必ず救いの手を差し伸べてくださるに決まっている。
 今、ぼくは大聖人様のお叱りを受けているのだろう。仏法の世界に、意味のないことはあり得ない。君たちには、すまない思いだが、自分では、ありがたいことだと思っているんです」
 聞き入る社員たちのなかで、戸田の話を理解できる者は少なかった。ただ、心ある社員は、誰も気づかなかった戸田の苦衷の一端を垣間見る思いがして、かえって揺るぎない信心の灯火を燃え立たせたのである。
 それは、事業の挫折のなかにあっても、なお大聖人のお叱りを全身に受けて戦っている戸田の姿を、ひしひしと感じたからである。
 「事ここに至るまで、いったい、どうしたことか、ずいぶん考えもした。反省もした。初めは、わからなかったが、このごろになって、いよいよはっきり、わかってきたんです。今、それを諸君に話す時期ではないから、言わないが、ありがたいことに、仏法というものは本当に厳しいものだよ。この厳しさがあればこそ、この世のどんな不幸も救われるのだ。
 結局、ぼくは信心では、絶対に敗れてはいないことを、やっと教えていただいたようなものだ。
 そりゃ、今の、ぼくは辛いよ。こんな目にあって平気だと言ったら嘘になる。ここまで苦労を共にしてくれた諸君のことを考えるだけでも、胸が張り裂けるような思いだ。大勢の預金者や出資者に、迷惑をかけなければなら、なくなってしまったことを思うと、実に辛いことだ。
 しかし、それらの一切を、ぼくは一身に受けて立とうと決心しているんです。今までよりも、さらに一層、苦しい、辛い戦いになるだろうが、ぼくは決して卑怯なまねはしたくない。何年かかるかわからないが、必ず完済しようと思っている」
 戸田は、自身の心情を語ると、皆に視線を注いだ。
 社員たちは、真剣な表情で、戸田の顔を見つめていた。
 「これから清算事務に入るわけだが、ぼくの決意を了承してもらいたい。そう簡単に清算できることでもないだろう。今まで以上の努力と誠意で戦うだけだ。また諸君に苦労をかけると思うと、なんとも心苦しく思う。だが、この時こそ、ひとつ頑張ってもらいたい。
 清算ということは、労多くして功少ない仕事だ。債権者の一人ひとりに了解してもらわなければならないが、これが容易な仕事ではないことは、みんな、よく知っての通りだ。しかし、踏み倒すというのでは絶対にない。ただ、しばらく待ってもらわなければ、今はどうにもならんのです。根本の精神は、これだけしかない。こうなっても、なおかつ戸田を信用してくれるか、どうかにかかっているわけだ。
 人間の誠実が、どこまで通じるか、それが戦いのすべてであり、また要諦だ。当面、清算という戦いをやり抜いて、第二段としての再起の工夫もしようと考えている。今の苦労が、やがては大きな実りとなると思う。
 変毒為薬と口では簡単に言うが、よほどの信心と勇気と誠実がなければ、できないことだ。中傷だの、面罵だのが、雲が湧くように起きてこよう。誤解のうえに、曲解が重なるだろう。それを恐れていたら、こちらが自滅するだけだ。
 共に、本当の戦いはこれからだと立ち上がり、敢然と突き進もうではないか」
 戸田の話は、気迫に満ちていた。並々ならぬ決意の告白でもある。この、いささかも衰えていない彼の生命力を見て、心ある社員は一層、喜びを増したのである。
 沈黙した空気が、しばし辺りに張りつめていった。粛然として、誰一人、言葉をはさむ人もいない。
 この時、戸田の硬い表情が消えたと思うと、彼は、戸棚から一升瓶を運ばせた。
 「さあ、みんなで飲もうじゃないか。覚悟が決まれば、それでいいことだ。さあ、遠慮なく飲んでくれ」
 みんなの前に、冷や酒がつがれた。それは、最後の盃とも見えたが、また同時に、苦難に立ち向かう決死の盃とも思えた。さらにまた、幾人かの社員が、生活のために去っていく、別離の盃とも考えられた。
2  東光建設信用組合が、わずかの間に、このような事態に至るまでには、五月ごろから、連日の悪戦苦闘が続いていた。経済界の不況による中小企業へのしわ寄せが、一九五〇年(昭和二十五年)の上半期に極点に達したことが、致命的な原因ではあった。日に日に預金と支払いのバランスが崩れ始めてきたのである。もはや、どうすることもできなかった。
 預金高を増加させるために奔走したり、焦げ付き債権の回収にも努力してみた。さらに、日掛け月掛けの預金面の拡張を図ったりして、ある程度の効果を上げたものの、六月中旬から、預金の払い戻しが急激に増加していった。七月に入ると、取り付け騒ぎも起こりかねない形勢さえ予感されるまでになってしまった。
 戸田城聖は考えた。役員会を招集し、預金高の増大を図る方途を検討もした。しかし、誰一人、戸田と苦衷を分かつ者はなかった。逆に役員たちは、組合が危殆に瀕している現状を知るに及んで、にわかに警戒するだけであった。
 そして、自分たちの預金さえ、それぞれ勝手な理由をつけ、引き出そうとし始める者さえあったのである。
 しばらく日をおいて、戸田は、さらに考えた。
 ″役員首脳の支援が当てにならないとなると、どこか他の優良組合との合併策しかない。これが成功するならば、私も組合も、かなりの不利益を被ったとしても、少なくとも預金者へは迷惑をかけずにすますことができる……″
 彼は、役員会を招集して、合併案を提案した。無能な役員たちは、直接、自分たちに迷惑のかからないことだと知ると、大いに賛成したが、誰一人、その実現に奔走しようとする者はなかった。
 「さすがは戸田さんだ。私は、異存はない。よろしく頼むよ」
 「戸田さんに全権を委任しようじゃないか。万事、お任せしますよ」
 彼らは、内心、ほっとしたのであろう。そして、一切を戸田に一任して、自分たちに危険が及ぶのを、早くも逃れようとした。
 しかし、事は機密を要し、急を要することであった。日一日と形勢は悪化していく。おいそれと合併を承諾してくれるような、余裕のある信用組合もない。堅実な組合であればあるほど、話には乗らなかった。
 事態は火急を要するまでになった。戸田は、さらに考えに考えた。そして、最後の一策で勝負を決するよりほかに、対策はないことに気づいた。
 ″このままで、日一日と過ぎていくならば、監督官庁の大蔵省から業務停止処分を受けることは、目に見えている。それならば、組合として、こちらから他の組合との合併の斡旋を、当局に依頼するしかない″
 時は、既に八月になっていた。だが、人は坂道を転がり始めた時には、なかなかその進路を変えることができないものである。
 東光建設信用組合は、直接、監督官庁である大蔵省へ、組合合併の斡旋を正式に申請したのである。当局からは、さっそく、営業状態を調査に来た。
 戸田は、すべての帳簿や書類を一切、調査員に提出した。二人の調査員は、うず高く積まれた書類に目を通しながら、メモを取っていった。
 二日目の夕方、一通りの調査が完了した時、年輩の一人の調査員は、心痛に耐えぬ面持ちで、戸田に向かって言うのであった。
 「戸田さん、この組合を、いったい、どうなさいます?」
 「どうするといったって、名案もないので、合併をお願いしているんですよ」
 戸田は、無愛想に言った。
 「その合併ですが、難問題ですね。このバランスシートでは……」
 調査員は、首をかしげながら、戸田に同情するような調子で言った。
 「ご苦労なさるだけですね。組合自体に相当な不動産でもあるといいのですが」
 「そんなものはありません。役員の資産提供も考えてみたのですが、まあ、無理なようです。私の責任において、どこかと合併するよりほかに手はないのですよ」
 戸田は、断定的に言った。
 「上司に報告して、私からも、よく頼んでみますが、まず、当てになりますまい。戸田さん、ほかの手段もお考えになってはいかがですか」
 「ほかの手段というと?」
 「………………」
 「組合の解散ですか?」
 「まあ、最後の手段としてですね……」
 調査員は、あくまで冷静であった。戸田は、この時、もし彼自身が調査員であったら、同じことを言ったろうと思った。彼も沈着であったのである。
 役員会は、何度も同じ議題を練った。元高級官僚であった組合理事長も、関係官庁へ幾たびも老躯を運んで、説明と嘆願を繰り返したが、埒が明かなかった。
 このような内情を、世間は既に気づいてでもいるように、相変わらず預金の払い戻しは、急速に増加していた。そして、いくら奔走して資金をかき集めても、もはや支払い停止でもしなければ、どうしようもない窮地に陥ってしまった。
 ちょうどこのとろ、そのような窮状と符合したように、八月二十三日をもって業務を停止せよ、との大蔵大臣命令が届いたのである。
 業務停止処分は、「協同組合による金融事業に関する法律」の第六条に基づいている。その第六条を見ると、「銀行法及び貯蓄銀行法を準用」するとある。銀行法の該当する条文は、次のようになっている。
 「第二十二条主務大臣は銀行の業務又は財産の状況に依り必要と認むるときは業務の停止又は財産の供託を命じ其の他必要なる命令を為すことを得」
 この条文のなかの「銀行」を「信用組合」と置き換えれば、それでよい。国権の発動であった。当然、罰則もある。
 先の法律の第八条には次のようになっている。
 「第八条左の各号に該当する場合には、その違反行為をした信用協同組合の代表者、代理人、使用人その他の従業者を一年以下の懲役又は千円以下の罰金に処する。
 一 第四条の規定に違反したとき。
 二 第六条に、おいて準用する銀行法第十条の規定による業務報告書文は銀行法第十二条の規定による監査書の不実の記載その他の方法により官庁又は公衆をもうしたとき。
 三 銀行法第二十一条の規定による検査に際し、帳簿書類の隠ぺい、不実の申立その他の方法により検査を妨げたとき」
 このように信用組合は、単なる会社ではなかったわけである。一般の会社の閉鎖なら、債権者との交渉の妥結によって、いくらでも穏便にすませることもできよう。だが、信用組合は法律によって、銀行と同等の責住を負わされていた。清算するとしても、監督官庁の許可を、いちいち得なければならない。
 戸田城聖は、困難を極めるであろう清算事務のほかに、心ならずも国法との戦いに入らなければならなくなったのである。
3  ところが、思いもかけなかった事態が、真っ先にやってきた。
 業務を停止した一日目の二十三日――戸田は、山本伸一と連れ立って外出し、昼食を終わって事務所へ戻るところであった。大通りから日本正学館に入る角に来た時、まだ少年である社員の山川が、ただならぬ様子で二人を待っていた。事務所の前に、社旗を立てた車が止まっている。
 「先生、T新聞の記者が、先生に面会したいと言って待っております。留守だと言っても、なかなか帰りません」
 「いいじゃないか。会おう」
 戸田は、無造作に答えて歩きだした。少年は、戸田を引き止めた。
 「先生、だめです。業務停止を知って来たのです。さっき、本社に電話をしていました。″紙面を開けて待っていろ、降版ぎりぎりまで待ってくれ、もう一時間もしたら、必ず記事にまとめて持って行くから″ということなんです」
 戸田は、立ち止まって、伸一の顔を見た。
 「また、やけに早いじゃないか。うるさくなってきたな」
 その日、午後一時半からは、役員会を開くことになっていた。戸田は、懐中時計をズボンのポケットから出して見た。
 伸一は、戸田に話しかけた。
 「先生、私が先に、会うだけ会ってみたいと思います。先生は留守ということで、お待ちになっていてください」
 伸一は、とっさに提案した。
 「では、そうしてくれ。どの程度のことをつかんでやって来たものかわからんが、それが問題だ。こっちばかりしゃべらないで、向こうの話を、よく聞いておいてもらいたい」
 伸一は、山川の先に立って事務所に入った。
 事務所の片隅のテーブルで、三十代と思われる、ベレー帽を被った一人の男が、ザラ紙の原稿用紙に、何やら、せかせかと書き込んでいる。伸一が近寄っていくと、男は顔を上げて、「やぁ」と弾んだ声で、軽く手をあげた。伸一が自己紹介すると、男は名刺を出しながら、組合の責任者に、至急、面会したいというのである。
 伸一は、いよいよ来るべきものが来たと思った。彼は、真剣な眼差しで言った。
 「理事長は、今日は来ません。専務理事も、今、外出中で、帰るのは、相当遅くなると思います。私だけ、今、戻って来たところです。
 山本伸一は、傍らのイスに座って、記者の名刺を見た。T新聞の社会部記者とある。すらっとした体に、目鼻立ちは整っているが、いささか疲れ気味の顔色である。
 「ご用件は?」
 「いや、ちょっと、お宅の組合が業務停止になったことを聞いたものですから、正確な実情を知りたいと思って来たのです。大変ですな、ご同情しますよ。
 ところで、預金者は何人ぐらいですか。被害総額といっては変ですが、お宅の債務はどのくらいの額になりますか」
 伸一は、記者として要を得た質問であると感心してしまった。指導や人との話の在り方の「要」「略」「広」の方程式を、わきまえていると思ったのである。よく戸田が、対話にあって、至急のときは要点を、時間が許されるのであれば概略を、説明の必要があれば広く詳細に、と言っていた指導を思い出したのである。
 ともあれ、記者は焦っている。締め切りの時間に間に合わせようと、やきもきしている。
 伸一は、ここは時間を稼ぎ、よく話し合う必要があると思った。なにしろ問題が問題である。
 「そうですね。相当な額になるとは思いますが、なにしろ、昨日の今日なので、正確なところはさっぱりわかりません」
 「そりゃ、そうでしょう」
 記者は、いかにも、ものわかりのよさそうな振りを見せて、一人で頷きながら、話を続けた。
 「正確なところを知りたいのですが、まあ、概算でも結構です。おおよその見当でも教えてくださいよ」
 「見当は、つかぬことはありませんが、正確なことは、専務理事でなければわかりません」
 「いずれ、正確な数字は、後日、伺うことにして、今のところは、当たらずとも遠からずといったところで結構です」
 「でも、新聞の報道は、正確さが生命ではありませんか」
 真剣な伸一の言葉に、記者は、目をぱちぱちさせて、また時計を見ながら言った。
 「そりゃ、そうです。正確な報道が生命です。しかし、今が今、それが間に合わないとすると、一通りの見当だけでもつけなければなりません。なにしろ、時間に追われている仕事ですからね。どうでしよう、悪いようには書きませんよ」
 「そう願いたいです。お宅は、ずいぶん早かったですね。ほかの社の方は、まだ誰一人、お見えにならないのに……」
 「そこは、蛇の道は蛇ですよ。ある偶然から、わかったんです。他社の連中は、全然、気がついていないでしょう」
 「お宅だけの特ダネですね」
 二人の対話は、こんな調子で進み、時間は刻々と過ぎていった。記者は得意になって、早耳の顛末を語りだしたりした。伸一は、相づちを打ちながら、話を聞いていた。記者は、これまでの幾つものスクープを、かつて新聞記者志望であった伸一に、熱っぽく語っていった。そして、はっと時計を見た時、降版の時間は、もうぎりぎりになっていることを知った。
 「あっ、今日は駄目だな。……ちょっと電話を貸してください」
 記者は、電話で、本社へ記事の間に合わないことを知らせると、がっかりした様子で席に戻って来た。
 伸一は、内心ほっとして、さて、このあとどうしたらよいかと思いをめぐらしていた。
 「山本さん、明日はどうでしょう。私も、いいかげんな記事は書きたくないし、それには専務理事さんから、正確なところをお聞きしたいんですがね」
 それは、威嚇とも、要求とも取れるような調子を含んで聞こえた。伸一は、この時、ともかく誠意をもって当たるべきであると決心した。いや、この姿勢が彼のすべてであったかもしれない。
 「私の方も、いいかげんに書かれては困ります。組合の関係者には、絶対に迷惑はかけぬという自信もあるんです。それで今、真剣に対策を講じている最中です。そこへ新聞記事の影響で、めちゃくちゃにされることが、いちばん心配です。正確な実態をつかんだうえで、書かれるのは致し方ありません。私どもの誠心誠意を、逆に曲げられては困るんです。それを、あなたがわかってくださるなら、正確な資料と、正しい実態を、お話しいたしましょう。そうすれば、間違った世間の噂も封じることになると思いますから」
 「そうです、そうです。しかし、他社には黙っていてくださいよ」
 「承知しました。その代わり、正確な資料に基づいた報道を約束してください」
 「それはもう、安心してください。私も、社会正義に生きる記者と自負しているつもりです。信義を破るようなことはしないつもりです」
 記者は、かなり打ち解けてきたようである。特ダネは、これで手に入ったと、内心ほくそ笑んでいたのかもしれない。伸一は、これでやっと、無茶な報道だけは防ぐことができたと思った。この事務所では、人目につくというので、翌日の午前十一時に、虎ノ門の、ある喫茶店で、戸田を交えて会見することを約束した。
 記者は、それでもなお、なかなか腰を上げず、執拗であった。出入りの人たちの動静や電話に聞き耳を立てたり、職業意識から、何食わぬ顔で神経をとがらせていることが、伸一には、よく感じられた。
 伸一は、信用組合の、そもそもの成立過程などから、戸田城聖という敬愛すべき人物について、真剣に一語ったのである。記者は、非常な好奇心をいだいて帰っていった。

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