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日蓮大聖人・池田大作

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疾風  

小説「人間革命」3-4巻 (池田大作全集第145巻)

前後
1  一九五〇年(昭和二十五年)元日――。
 この日の新聞は、冒頭に連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの年頭のメッセージを掲載した。これは例年のことであったが、人びとは、この年のメッセージを、読み過ごすことはできなかった。
 「日本国民諸君
 終戦後五度目の新年を迎えた今日、まぎれもなく一つの際立った事実が認められる。日本は技術的には今なお交戦状態にあるとはいえ、今日、日本よりも平和な国は、この地球上に全く数えるほどしかないという事実である」
 この文中の「際立った事実」とは、一人の兵士もなく、一つの武器も持たない、日本の正月を指して言ったものであろう。確かに、平和国家の姿ということもできる。戦争放棄を憲法にうたった国の、平和な正月を讃えたものにちがいない。しかし、それには占領下という条件が、厳然と付帯していた。占領下の借りものの平和にすぎなかったのである。
 占領政策のプログラムは、やがて近き将来の講和条約も予想していた。そしてまた、年々激化しつつある東西両陣営のわだかまりと、冷戦の谷間に位置する日本の様相の変化も、予想のなかに入っていた。
 アメリカの世界戦略の変更について、どうしても日本を防衛基地化する必要があった。そこでマツカーサーも、もはや手放しで日本占領政策を讃嘆してばかりもいられなかったのであろう。彼は、メッセージの後段に至って、憲法第九条に対する解釈を変更し始めたのである。
 「この憲法の規定は、たとえ、どのような理屈はならべようとも、相手側から仕掛けてきた攻撃にたいする自己防衛の冒しがたい権利を、全然否定したものとは絶対に解釈できない。それはまさに、銃剣のために身をほろぼした国民が、銃剣によらぬ国際道義と国際正義の終局の勝利を、固く信じていることを力強く示したものにほかならない。しかしながら、略奪をこととする国際的な盗賊団が、今日のように強欲と暴力で、人間の自由を破壊しようと地上をはいかいしているかぎり、諸君のかかげる、この高い理想も、全世界から受け入れられるまでには、なおかなりの時間がかかるものと考えなければならない」
 マッカーサーは、前年秋の中華人民共和国の成立から、日本の共産主義化を恐れたのであろう。憲法制定当時、戦争放棄に関して、あれほど賞讃したにもかかわらず、彼は、事ここに至って、憲法にうたった戦争放棄は、自衛権を否定するものにあらずと、新しい解釈を加えなければならなくなった。
 吉田首相は、これに呼応して、一月二十三日、第七通常国会の施政方針演説で、自衛権に触れ、苦しい説明をしなければならなかった。
 「わが国の将来の安全保障につき内外多大の関心を生じていることは当然のことでありますが、我が憲法において厳正に宣言せられたる戦争軍備の放棄の趣意に徹して、平和を愛好する世界の論を背景といたしまして、あくまでも世界の平和と文明と繁栄とに貢献せんとする国民の決意それ自身が、わが安全保障の中段をなすものであります。戦争放棄の趣意に徹することは、決して自衛権を放棄するということを意味するものではないのであります」
 ところで、この三年半前の四六年(同二十一年)六月二十八日の衆議院本会議で、憲法の戦争放棄の条項について、共産党の野坂参三議員が、侵略戦争は「不正の戦争」であり、防衛のための戦争は「正しい戦争」であると位置づけ、″戦争一般の放棄としないで、侵略戦争の放棄とすべきではないか″と質問している。これに対し、吉田首相は、平和の女神のごとく、次のように明確に答えていたのである。
 「戦争放棄に関する、憲法草案の条項におきまして、国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私はかくのごときことを認むることが、有害であると思うのであります。近年の戦争は多くは、国家防衛権の名において行われたることは顕著なる事実であります。
 (中略)故に正当防衛、国家の防衛権による戦争を認むるということは、たまたま、戦争を誘発する有害な考えであるのみならず、もし平和団体が、国際団体が樹立された場合におきましては、正当防衛権を認むるということそれ自身が有害であると思うのであります。ご意見のごときは有害無益の議論と私は考えます」
 防衛権否定の回答は、明確すぎるほど明確であった。また野坂参三の質問は、結果として自衛のための戦争を認めたことになる。
 ともあれ吉田首相は、五〇年(同二十五年)には、自ら「有害無益の議論」をしなければならなくなった。
 この年の一月三十一日には、アメリカのブラッドレー統合参謀本部議長、コリンズ陸軍参謀総長、シャーマン海軍作戦部長、ヴァンデンバーグ空軍参謀総長など、軍最高首脳陣がそろって東京に集まった。そして、マッカーサーと会談し、各地を視察するなど、二月六日まで協議を続けている。北海道から九州にかけての八カ所の航空基地と、横須賀その他の海軍基地の整備が主題であったことは、想像に難くない。
2  当時、防衛権をめぐって、再軍備が大きな問題として、浮かび上がりつつあった。しかし、憲法第九条は、再軍備を許さない。万一、他国の侵略に対して、いかに対処すべきかとなると、防衛問題は軍備の問題となる。それなら、いかなる程度の軍備かとなると、今や時代は核戦争の時代になってしまっている。
 こうした時代に、自国の防衛について、絶対の確信をもつ国は、世界に一国としてないであろう。それは、核兵器の保有国であるなしにかかわらない。日本だけが、防衛問題に悩んでいるわけではないのである。
 自国の安全保障に、いくら汲々としたところで、どうにも思案がつかぬというのは、第二次大戦をはさんで、防衛力の質そのものが、全く違ってしまったからだ。自国防衛の至難さは、言うまでもなく核戦力の出現が、その質を一変させてしまったからである。想像もつかぬ、天文学的ともいえる数値の破壊エネルギーをもった地球上の核戦力、これが極めて、やっかい至極なものになってしまったからである。
 防衛問題を、国際間の緊張度や、核抑止力、あるいは、いずれの核の傘に属すべきであるかとか、核戦力の均衡度とか、そうした視点で、いくら知恵を絞ったところで、平面的な技術論を出ないであろう。考えるべき次元は、従来とは、全く違ってしまっているのである。核戦力が出現したという、恐るべき現実を直視したうえにこそ、新たな思考の次元を置くべきだと、私は思うのである。
 この地球上で、唯一の被爆国民である日本の私たちは、広島、長崎への原爆投下の悲惨と残酷を、どこよりも深く、強く、実感として知っている。
 しかし、地球上に核兵器が登場して以来、世界には、幾度となく、廃棄、廃絶の声が上がったが、その願いも空しく、核は、その姿を消すことはなかった。いな、むしろ核戦力の拡大と拡散が続くという、恐るべき時代に入ってしまったのである。
 あの広島、長崎に原爆が投下されてから、十年とたたない一九五四年(昭和二十九年)三月一日には、太平洋で操業していた日本のマグロ漁船・第五福竜丸が、放射能の″死の灰″を被るという大事件が、日本中を震憾させた。マーシャル群島ビキニ環礁での、水爆実験によるものであった。その爆発力は、TNT火薬に換算すると十五メガトンといわれる。広島に落とされた原爆の威力を十五キロトンとして、実に、広島型の千倍もの巨大な破壊力をもつ核爆弾が、登場したのである。
 核の脅威は、加速度的に増大の一途をたどっていった。軍事的に対立する東西両陣営は、熾烈な核開発競争で優位に立つため、核実験を繰り返し、より安価で、より巨大な破壊力をもっ核爆弾を生み出していった。
 そればかりではない。これらの核爆弾を運搬する兵器として、爆撃機やミサイル、潜水艦などの性能と装備が、急速に発達していった。世界の空には、核爆弾を搭載した爆撃機が、常時、哨戒し、海には核ミサイルをもっ潜水艦が潜航し、そして地上には核弾頭をつけたミサイルが、相手陣営の破壊目標に向けられていったのである。
 まさに、二十世紀後半から、地球上は核爆弾に覆い尽くされる恐怖の時代に入っていたといってよい。
 たとえば、米ソが一触即発の核戦争の瀬戸際に立った、あの六二年(同三十七年)十月のキューバ危機の当時、両核大国は、どれくらいの核兵器を保有していたのであろうか。
 ここに、アメリカ空軍や、イギリスの戦略研究所が発表した、データがある。
 それによると、六二年当時で、核弾頭を搭載できる(大陸問弾道ミサイル)は、アメリカが二百基、ソ連が七十五基となっている。
 ところが、キューバ危機のあとも、米ソの核開発競争は、互いに優位に立つべく、エスカレートしていった。五年余り後の六八年(同四十三年)初頭には、アメリカのが千五十四基、ソ連が五百二十基、潜水艦搭載弾道ミサイルが、それぞれ六百五十四基(米)と百三十基(ソてさらにソ連は、中距離・準中距離弾道ミサイルを七百二十五基保有していた。そして、核爆弾を運搬できる長距離重爆撃機は、五百二十機(米)と百五十機(ソ)、中型爆撃機が七十五機(米)と千百機(ソ)などとなっている。
 これらの核戦力などから、総合的に割り出される米ソの核保有量は、アメリカの核兵器が、およそ三万個(爆発力二万五千メガトン)、ソ連の核兵器が一万五千個(爆発力一万二千メガトン)と、推定されていた。米ソ合わせると、三万七千メガトンという恐るべき数字となる。
 ちなみに、この三万七千メガトンという量は、十五キロトンの広島型原子爆弾に換算すれば、およそ二百五十万発分となる。実に、地球上には想像を絶する膨大な量の核爆弾が、発射、投下できる態勢にあるわけである。
 過去の戦争の常識というものは、核戦争を考える時には、もはや最大の障害とさえなっているのだ。
 早い話、第二次世界大戦で連合国が使用した火薬、爆弾の総量は火薬に換算して、五百万トンともいわれているが、これはメガトン級の水爆一発分の爆発力にしか相当しない。つまり、戦後二十余年の地球には、第二次大戦で使用された火薬の、およそ七千四百倍もの爆発力に相当する核爆弾が存在していた。これは、人類を何十回、いな何百回と殺傷し尽くせるほどの、恐るべき量になる。
 ここで、さらに不吉な想像力を働かせて、いざ核戦争が、何かの拍子に突発したとしよう。まず、米ソ両国の核爆弾を運搬する全爆撃機が飛び出していく。そして、大陸間弾道ミサイル、あるいは中距離弾道ミサイルが発射されるであろう。さらに、海中における潜水艦の核ミサイルが火を噴く……。こうした核兵器が、一斉に出動したとしたら、この地球は数時間にして、どこもかしこもキノコ雲に覆われてしまうだろう。そうならぬという保証は、どこにもないのである。
 現実を直視して、ここまでたどってみれば、今日の防衛論議などは、かなり色あせたものに映らざるを得ない。
 自国の防衛を正視するならば、いやでも世界という観点に立たざるを得ない。
 しかし、人類がその未来にかかえ込んだ、この核による破滅的な災害は、不可避な天災ではない。その実体は、幸いにして、全くの人災であるということだ。人災であるからには、それを避けるための手段や方法も、人間の掌中にあることは確かである。
 現代の政治家がなすべき最大の課題は、この問題の根本的な解決にあるといわなければならない。この解決をめざすことなくして、現代のもろもろの政治問題の処理は、無意味にさえ思われる。
 私は、今、正体不明の魔の力に蹂躙されている、現在の地球の防衛について、いかにすべきかに思いを致しているのである。切迫しつつある未曾有の人災を、あたかも天災のごとく錯覚している、現代精神の衰弱とそ、指摘せざるを得ないのである。
 核戦力を保有する各国の指導者たちは、核攻撃の決定権を委ねられて、深い困惑を感じているはずだ。時には、彼らの熱い額は、冷たい汗に濡れることもあるだろう。移ろいゆく時の経過が、人間の正常な感覚を、いつ麻揮させるか、それは誰人にもわからない。世界は、恐ろしい時代に入っている。
3  このような未曾有の危機にあたって、地球の防衛について、真剣に考えた数少ない政治家の一人に、ジョン・F・ケネディがいる。
 彼の政見が、一種の新鮮さをもち、多くの人びとに期待と希望をいだかせたのは、彼のブレーンの優秀さにあったのではない。彼は、現代政治家として、核戦争についての最大の課題を直視し、容易ならぬ事態について、深く心を砕き、そこに一切の政治行動の規準を置こうとしていたからではないだろうか。それは、彼の手にあまり、思案に暮れる仕事であったにちがいない。
 彼は、アメリカ大統領に就任して、しばらく過ぎた一九六一年(昭和三十六年)九月二十五日に、第十六回国連総会で演説した。
 「すべての男、女、子供は、ダモクレスの核の剣が、きわめて細い糸でぶら下がり、偶発事故や誤算や狂気で、いつ何時切り落とされるかも知れない状態の下に生きている」
 ケネディは、ホワイトハウスの大統領のイスに座った時、恐るべき核戦争を開始する権限が、自分にあるという事実から、目をそらすことはできなかった。
 アメリカで、その決定を下す者は、ほかならぬ彼自身であることを自覚した時、初めてダモクレスの剣が、頭上に危うくぶら下がっている実感を、いやでも味わわなければならなかった。
 ケネディは、歴代大統領のなかで、そのイスを最も悲劇的に考えたにちがいない。
 ギリシャ伝説の登場人物であるダモクレスにとっては、頭上にぶら下がった剣が、彼一人を殺す恐怖だけで足りたのである。だが、ケネディの頭上の核の剣は、彼一人だけではなく、全地球の破滅へと、確実に通じていくことを、知らねばならなかった。
 彼の恐怖は、人類の歴史が始まって以来、最大の恐怖を意味していたわけだ。彼は、二十世紀のダモクレスの宿命を、まざまざと見たことであろう。大統領の栄光は色あせた。
 ダモクレスの主君・ディオニュシオスは、国王という栄光のイスが、見た目ほど座り心地のよいものではないことを、側近が信じないのを知って、いら立った。追従と羨望と虚飾に覆われた宮廷のなかで、王の幸福を讃嘆してやまないダモクレスに、我慢がならなくなった。
 ディオニュシオスは、華やかな宴の宵、ダモクレスを王座に座らせ、その頭上に、馬の毛一本で結んだ白刃の剣を吊したのである。剣の重さは、いずれ、その毛を、プツンと切るであろう。栄光の座は、常にこのような危険にさらされていることを、ダモクレスは、いやでも悟らなければならなかった。
 核保有国の指導者の一人――二十世紀のダモクレスともいうべきアメリカ大統領は、身震いするような最後の決断を下す義務が、いつ何時、必要になるかと、極度の不安な生活を余儀なくされていたにちがいない。
 核攻撃の決定権を握るアメリカ大統領が、どれほどの緊張を強いられているか――。
 大統領選では、ケネディのブレーンを務め、核戦争の危機を警告していた、アメリカの物理学者であるラルフ・E・ラップ博士はこう述べている。
 「発射センターから米大統領への連絡は、ものの数秒とかからない。監視所や指揮所との直通通信連絡は、大統領が、飛行機上でも、自動車に乗っているときでも、また会議中であっても、ゴルフのコースを回っている最中でも、それこそどこに行こうがついてまわるのである。もし警報が鳴ったとすれば、それは北米防空司令部(NORAD)からきたものである。ここは昼夜の別なく、レーダーで空を捜査している大陸レーダー網が送ってくる情報を絶え間なく受信し、分析しているところだ。直ちに行動をとれるように、大統領は、戦略空軍(SAC)や、移動ポラリス潜水艦の司令部との直通電話をもっている。行動に移るか、移らないかの大統領の決定は、一五分以内かそれより以下で行わなければならない。なぜなら、これがミサイル攻撃をうけるまでのギリギリいっぱいの警告時間だからである」
 このような状態に置かれている指導者は、少なくとも核保有国の数だけいることは確かだ。危機に際し、議会を招集して、宣戦の決議などしていたら、その間に自分の国は、とっくに吹っ飛んでいることだろう。
 核戦争という破滅的人災の決定権は、人類のなかで、わずか数人の掌中にあるといってよい。しかも、彼らは、核戦争を決断する恐怖を、身をもって知っているダモクレスたちである。この数人が一堂に会したら、話は早いにちがいない。
 皆、等しく人間であり、理性をもっている。生命の大切さも知った指導者であり、妻もあり、子もあり、その家庭を平和に、幸せにしようと念願していることには、なんの変わりもないであろう。その延長として、他の家庭も、他国の国民も、全人類も、同じ思いであることを、深く理解するにちがいない。
 核戦力廃棄の処置について全会一致の議決に達するのに、なんの困難があるだろうか。全会一致を見るまで、何回でも何日でも、語り合えばよいのである。
 現代政治の、この最大の課題に対して、世界の指導者は、真剣に、勇敢に取り組んでいくべきではなかろうか。一国の代表であると同時に、人類の代表として――。
 結局、問題は簡単ともいえよう。核戦争の恐怖を取り除くには、有害無益な核兵器を、互いに全廃することを話し合い、決議すればよい。
 人間の良心と、英知を信じるなら、これに異議を唱える指導者など、あろうはずがない。もし、あったとしたら、それは魔ものにちがいない。ヒトラーより幾千倍の悪党だ。世界の世論は、その指導者を絶対に許さぬであろう。
 その指導者こそ、地球上から抹殺さるべき第一の人間である。それでもなお、核戦力に異常な執着があるのなら、その人間こそ原子炉の中へ飛び込めと、人びとは叫ぶであろう。
 私は、白日夢を語っているのではない。最も単純な、現実的にして、実践的な問題の解決の方法について語っているのである
 多くの指導者は、これを夢としか思わぬであろう。そして、奇怪極まる複雑な思考に陥り、国際外交の舞台で、時を稼ぎながら、何をするかといえば、核の貯蔵と軍備にせっせと没頭しているのである。彼らこそ、悪夢に酔うサタンではないか。いくら警鐘は乱打されても、悪夢から覚めることはない。
 地球を包む魔のベールは厚い。人類を幾度も殺せるほどの核爆弾をため込んで、「偉大なる社会」などと自讃して他国を見下している姿は、権力の魔性に操られている姿といえよう。
 そうした尊大な国も、少しばかり金が不足すると、大慌てで各国に呼びかけて、″大蔵大臣″を召集しようとする。金のために、そのようなことが可能ならば、最も人類が渇仰している平和のために、生命の安全のために、核戦力全廃のための世界最高首脳者会議を提唱し、徹底して対話を交わす勇気をこそ、発揮してもらいたいものである。魔のベールを引き裂くことができるのは、勇気ある対話以外にはあり得ないからだ。
 世界のしかるべき指導者の一人が、ある日、正気に目覚めて、平和のために、このような会議の開催を決意し、それを強く世界に向かって主張したとしたら、全世界の世論は、こぞって、絶対の支持を与えるであろう。
 待望すべき、二十世紀の真の英雄がいるとするならば、このような指導者こそ、まさしく英雄の名に値するのである。ここに初めて、全人類がその始末に困ってしまっている、核戦力の地獄の問題は、確実に解決の端緒をつかむにいたるだろう。

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