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日蓮大聖人・池田大作

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時流  

小説「人間革命」3-4巻 (池田大作全集第145巻)

前後
1  アメリカ軍の占領統治も、既に三年を過ぎていた。
 日本という軍国主義国家を根こそぎにし、平和的な民主主義国家につくり直そうという、当初の理想主義的な占領政策は、一九四九年(昭和二十四年)に入ると、いつの間にか影をひそめていた。それも当然のことであったかもしれない。内外の急激な事態の変化が、当初の対日政策の方向転換を余儀なくさせてきたからである。
 軍事施設や、軍需生産機構の徹底的破壊は、見事に成功はした。そして、確かに一人の現役軍人もいない、兵器も生産しない日本になっていた。
 しかし、アメリカの希望する、手ごろな民主国家・日本の国づくりには、さんざん手こずっていたようである。いや、そればかりではない。戦勝国アメリカ自身の悩みは、ようやく色濃くなってきたのである。それは、戦争末期に兆し始めていた、連合国間の冷戦の気配が、戦後三年も過ぎてみると、厳しい東西両陣営の対立となって表面化し、一触即発の危機を、世界の各所に、はらんでいたからである。
 ヨーロッパでは、ドイツを東西に二分割し、東側をソ連の占領地域、西側を米、英、仏の三カ国の占領地域としたことから、紛糾が続いていた。ソ連占領地区にあった首都ベルリンも、東西に分割され統治されていた。
 四八年(同二十三年)六月、ソ連は、航空路を除き、西ベルリンへのすべての交通路を遮断した。ベルリン封鎖である。欧米陣営は、孤立した西ベルリン地区への食糧や物資の大空輸作戦で、これに対抗した。
 翌年五月になって、米、英、仏、ソの四カ国の協定によって封鎖解除が決定し、同月十二日、ようやくベルリン封鎖は解除になった。この間も米、英、仏のドイツ西側占領地区では、着々と統合への動きが進んでおり、五月二十三日には、ドイツ連邦共和国基本法が公布された。この基本法のもとで、九月に連邦政府が成立した。事実上、西ドイツが誕生したのである。ドイツ東側のソ連占領地区でも、既に憲法草案ができており、十月七日に、ドイツ民主共和国憲法を公布した。東ドイツの誕生である。
 これによって、ドイツ統一国家の実現は、遠い未来への夢となってしまった。
 人びとの意志は踏みにじられ、ドイツは二分された。そして、米ソの対立を背景として、西ドイツと東ドイツは対抗することになるのである。
 ソ連は、東欧諸国を共産圏に組み入れ、勢力を拡大、誇示していた。それに対し、アメリカは、四月四日に、イギリス、フランスなど十一カ国とともに、ワシントンでNATO(北大西洋条約機構)を結成した。ソ連、東欧諸国を仮想敵国とする軍事同盟を結んで対抗していったのである。
 アジアでは、韓・朝鮮半島が、北緯三十八度線で南と北に分割占領されていたが、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)として、それぞれ独立を宣した。ソ連は、四八年(同二十三年)十二月に、北朝鮮から撤兵を完了した。アメリカも、翌四九年(同二十四年)六月に、約五百人の軍事顧問団だけを残して、韓国から撤兵していった。
 しかし、韓・朝鮮半島の統一の夢は無残にも破られ、深刻な対立が、癒やしがたい傷跡となって、そのまま残ったのである。
 中国大陸では、全土を覆った動乱の最終章を迎えようとしていた。
 四九年(同二十四年)四月二十一日には、毛沢東(マオ・ツォートン)が率いる人民解放軍(共産党軍)は、全軍が進撃を開始して長江(チャンチアン)を渡り、二十三日には南京(ナンチン)に入城、さらに華南一帯に進撃を続け、全土の掌握も時間の問題となっていた。
 蒋介石(チアン・チェシー)の率いる国民党軍は、広東(コワントン)へと退却していった。多年にわたる、アメリカの近代兵器と軍事顧問団による膨大な軍事援助も、水泡に帰したというほかはなかった。
 勝敗の帰趨を決したのは、兵力や作戦ではなかった。人民解放軍への民衆の支持が、勝敗を決したといってよい。人心の動向を知り、時代の潮流に乗らなければ、どんなに優れた近代兵器を持ち、卓絶した知謀を発揮したとしても、最後には敗れ去っていくという教訓を示したようなものであった。
 国際情勢は、新たな段階を迎えていた。第二次大戦後、ヨーロッパは疲弊し、イギリスやフランスも、もはや大国としての経済基盤を失っていた。不安定な政情のヨーロッパの東には、強力な陸軍を擁したソ連があった。軍事力を背景にしたソ連の勢力は、東欧を影響下に置き、勢力圏をさらに拡大しようとしていた。
 当時、こうしたヨーロッパの状況を打開できる経済力、軍事力を持っていたのは、アメリカだけであった。そして実際に、アメリカは経済援助に踏み切った。そのきっかけとなったのは、イギリスの窮状だった。
 ナチスを駆逐したギリシャを支援していたイギリスは、ギリシャ駐留の軍隊を引き揚げざるを得ないほどの、経済危機に陥っていたのである。駐留している英軍が引き揚げれば、共産主義勢力が浸透することが危慎された。隣国のトルコも、同じような状況にあった。
 アメリカのトルーマン大統領は、援助を決意した。四七年(同二十二年)三月、彼は、「私は、武装せる少数者や国外からの圧迫に反抗しつつある自由な国民を支援することこそ米の政策でなければならぬと確信する」と宣言したのである。いわゆる「トルーマン・ドクトリン」である。アメリカは、共産主義勢力の拡大を阻止する姿勢を明確にした。これは、それまでの中立的外交政策からの大きな転換であった。対決は決定的になり、この後、東西冷戦構造が世界を支配することになった。
 共産主義の浸透を阻止するという政策は、アジアにおいても緊急の課題になりつつあった。中国大陸における共産主義国家の誕生が、目前に迫っていたからだ。
 それにともない、GHQ(連合国軍総司令部)日本占領政策も大きく転換していった。マッカーサーは、四九年(同二十四年)七月四日の声明で、日本国民は「共産主義運動の始まらんとする脅威を十分に理解」しており、日本は、「共産主義の東進を食い止め、躍進を阻止する有力な防壁」であると述べた。日本を反共の防壁とする方針を、あらためて明確にしたのである。
 占領政策の転換は、既に前年から始まっていた。韓・朝鮮半島は、三十八度線を境界に南北の対立が確定していた。日本を反共の防波堤とする方針は進行していた。アメリカは日本の経済再建を急ぎ、経済的目立を図るための施策を具体的に指示してきていた。四九年(同二十四年)二月に、GHQ経済顧問として来日した、アメリカ金融界の実力者ジョセフ・ドッジは、その方針にしたがって、インフレ収束への施策を強行した。「ドッジ・ライン」と呼ばれる「経済安定九原則」の実施である。
 これによってインフレは急速に収束したが、デフレによる不況が始まった。企業倒産、解雇が相次ぎ、敗戦国の国民には、新たな重圧がのしかかったのである。
2  このような内外の状況のなかにあって、戸田城聖の活動は、一喜一憂することなく、沈着に、着実に続けられていった。
 東京都区内はもちろんのこと、三多摩方面、隣接する神奈川、千葉、埼玉など各県の小都市へも出かけていった。土曜、日曜にかけての地方指導も、活発に始まった。戸田が中心者にならなければ、学会の会合は開催できないといった状態から、ようやく脱皮し始めたのである。
 一九四九年(昭和二十四年)当時、戸田の育てた幹部が中心者となって、どしどし座談会に臨むようになったのは、かつてない飛躍であった。座談会を担当した幹部たちは、いかにも楽しそうに、新時代の開拓者としての自負と希望にあふれでいた。
 戦前、牧口時代にあっても、ほとんどの座談会は、牧口が中心者であった。敗戦後、戸田城聖もまた、廃墟と化した広野で、学会再建のための会合という会合は、すべて彼が中心者として第一線に立つところから始めたのである。しかし、戦前と戦後の様相は、がらりと変わっていた。
 戦後、教義もでたらめな多数の新宗教が、苦もなく教勢を拡大した事実は、藁にもすがろうとする不幸な民衆が、いかに多かったかを物語るものである。
 戸田は、こうした社会情勢の激変と、広宣流布の機が熟しつつあることを十分に知つてはいた。だが、戦時中の弾圧による創価教育学会の壊滅は、瞬時も彼の頭から離れなかったのである。
 ″今度は、絶対に失敗はせぬぞ″と、彼は腹の底で深く決意しながら、活動していた。
 彼は、他教団の急速な拡大には目もくれなかった。遠大な未来の展望を胸に秘めつつ、まず一騎当千の有能な人材の育成に、すべてをかけていたのである。
 戸田は、座談会で、不幸に沈んだ多くの庶民を折伏していった。彼の傍らには、いつも大勢の幹部が、手に汗を握って控えていた。彼は、この座談会場を、幹部に対する実践訓練の場としたのであろう。そして、法華経講義をはじめとする教学の厳しい研鎖に加え、一人ひとりを磨き上げるような個人指導を重ねた。彼は、信・行・学にわたって、厳しく、また温かく彼らを育て、盤石の基礎を、辛抱強く築くことに心魂を傾けたのである。
 このころになると、座談会場は、にわかに増設されるにいたった。戸田に育まれた幹部たちは、次第に会合の中心者に指名され始めた。
 毎日、夕方になると、戸田の事務所には、派遣の担当幹部がやって来た。小学校の教員もいる。大学の英語の教師もいる。会社員も、商店主も、学生もいた。
 戸田は、一人ひとりに、その夜の座談会の運営について、細かい指示を与えるのだった。
 「調子に乗って、威張るんじゃないぞ。この前のように、一人でべらべらしゃべって、独演会になってはいかんな」
 「はい、気をつけます!」
 彼の机の前には、戦前からの青年部の幹部が、直立の姿勢で硬くなっていた。
 「そんな、怖い顔をするなよ。みんな、怖くなって逃げ出してしまうぞ。座談会は、青年だけの会合じゃないんだ。学会の会合が初めての人も、若い娘さんも来るんだ。大聖人様の仏法の座談会だもの、慈愛に満ちあふれた、この世でいちばん楽しい会合であるべきだ。
 社会が、いくら暗く、殺伐としていても、ぼくらの会合だけは、本来、絶対に明るい、自信と勇気に満ち満ちた会合でなければならないんだよ。
 座談会といっても、信心があれば、信心が確かなら、仏界を、菩薩界を、現ずるはずだ。そんな鬼のような顔で話しに行ったら、仏界を、わざわざぶち壊しに行くようなものじゃないか」
 青年は、微笑んだ。
 「はい、よくわかりました」
 青年らしい率直さと、澄んだ瞳を見て、戸田は、心で嬉しく感じたのであろう。
 「しっかり頼むよ。真心込めてやっていらっしゃい」
 青年は一礼すると、引き下がっていった。
 そのあとに、壮年の幹部が、戸田の前へ出た。見るからに頑強な体格をしている。
 「君にも困ったものだな」と言いかけて、戸田は微笑した。
 「座談会で酔っぱらいと喧嘩する者がいるか!」
 「申し訳ありません」
 彼は、頭をかき、うつむきながら言った。
 「初めは相手にしなかったんです。そのうち、あんまり無法なことを、わめきちらすものですから、こりゃ、法を下げてはいかんと思って……つい、喧嘩になってしまいました」
 「あきれた男だ。君こそ、法を下げているよ。悪いといえば、座談会に酔っぱらって来て、暴れるやつは悪いに決まっている。だからといって、こちらも取っ組み合いの喧嘩まで付き合わなくてもいいじゃないか。君も飲んでいたのか」
 「いいえ、絶対に飲んでいません。ただ、あんまり、しゃくに障って……」
 親指に巻いた、包帯に目をつけた戸田は、笑いながら聞いた。
 「その名誉の負傷は大丈夫かい」
 壮年は、その親指に片手をやりながら答えた。
 「もう、なんともありません。ガラス戸を壊した時、ちょっとガラスの破片が、刺さっただけです」
 「君、まず座談会に酔っぱらいなど、決して入れないことだ。まあ、君の場合でも、まだ方法はあったはずだよ。酔っぱらいなんていうものは、喉が渇いてぶつぶつ言っているだけだ。水でも飲ませて、『しばらくお休みに、なったらどうです』と言って、片隅にでも寝かせておけばいいんだよ。そのうち起き上がって、きょろきょろしたら、そこで、こちらは悠然として、諄々と折伏をすればいいじゃないか。君は、余計なことばかりして、困った男だなあ」
 「すみません……。気をつけます」
 「今度また、そんなことをしたら、二度と会合の派遣者とはしないから、よく覚えておきたまえ」
 戸田は、厳しい口調に戻っていた。そして、座談会場になった家へ詫びに行くよう、指示することを忘れなかった。
 「はい、よくわかりました。二度とは、いたしません」
 「そうだ、同じ失敗を二度する人間を愚か者というんだ。君も、やっとここまで立派になってきたところではないか。勇敢と乱暴とは、全然、違うんだよ」
 壮年は、恐縮して、打ちしおれてしまった。
 「今度はまた、やけに不景気な格好になってしまったな。お通夜に行くんじゃない。責任者として座談会に行くんだ。胸を張って、勇気凛々として行きたまえ」
 壮年は、頭を上げ、にっこりと笑った。そして子どものように、急に胸を張ってみせた。どっと笑いが弾けた。戸田も、笑いだしてしまった。
 庶民とは、最も人間らしいものの代名調であろうか。幹部たちは、戸田に何を言われでも、ただ喜々として集まっては、四方に散っていった。
 彼らは、実に楽しそうであった。一つの座談会を運営するという、重い使命の一端を果たす実践に、それまで、どんな境遇でも感じることのなかった誇りと責任感をもち、生きがいに燃えて勇み立っていた。
 こうして、地涌の闘将たちは、動きに動いた。その姿は、まことに尊く、真剣そのものであった。
3  それは、一九四九年(昭和二十四年)七月十二日の、小岩方面の、ある座談会でのことであった。
 ――その直前の六月三十日には、福島県平市で、共産党員など数百人が、岡市の警察署を占拠した事件が起きていた。
 また七月六日午前零時二十五分ごろ、国鉄の下山定則総裁が、常磐線の綾瀬駅付近で死体となって発見された。
 七月十五日夜には、三鷹駅で入庫中の無人電車が暴走し、駅前の交番などを全壊させ民家に突入。二十数人の死傷者を出すという、悲惨で不可解な事故が突発している。
 これら一連の、騒然たる、不気味な事件は、暴力横行の時勢を思わせるものであった。人心は、不可解な暴力の暗雲に怯えていたのである。闇市や盛り場での刃傷沙汰は、日常茶飯事で、時に警察力の無力化を思わせるほどであった。
 民衆は、敗戦後の混乱のなかで、いつ、何が起こるかわからないという恐怖を味わわなければならなかった。暗い地獄のような季節であった。
 十二日の小岩の会合も、このような社会不安のさなかに開かれたのである。会員たちは、それでも元気に集まった。ある人は、大樹の陰を求めるようにして座り、またある人は、不安の克服を願ってやって来た。なかには、政治の貧困に悲憤懐慨の面持ちで、肩を怒らせている人もいた。
 この夜の座談会の担当者は、泉田弘であった。彼は、定刻に少し遅れて着いた。戸田の事務所で手間取ったためである。
 戸田の指導は、幹部になればなるほど厳しかった。
 「泉田君、小岩方面も、このところ非常に伸びてはきたが、人材がなかなか出ないな。そりゃ、御本尊様の御力は無量無辺に偉大だから、いくらでも伸びることは間違いない。だが、それを君の力だと思っていると、数は増えても、人材は出そうで絶対に出てこない。ここが、今の小岩の問題なんだ」
 泉田弘は、全く戸田の言う通りだと思った。
 ″出そうで出ない人材、いったいどうしたらよいのか。先生は、「君は自分の力だと思い込んでいるからだ」と叱った。してみると、俺は、いつの間にか調子に乗って、いい気でいたということになるのか。心外にも思えるし、ことによると、先生の言う通りかもしれない″
 ともかく泉田は、戸田の一言が、胸にグサリと刺さった思いだった。彼は、道々、思い悩みつつ、小岩へと急いだのである。
 座談会場になっている、青年部の松村鉄之の家の玄関の前に来ると、風体のよくない二人の男が立っていた。ちょっと気にはなったが、彼は、玄関の戸を開けた。
 その途端――″ほう、今夜はすごいな、盛会だな″と思わず喜んだ。玄関の土聞には、革靴や、ズック靴や、下駄が、ぎっしり並んでいた。
 道々、思い詰めた人材不足の悩みは、瞬間、消し飛んでしまったようである。
 開襟シャツを着た、大柄の彼は、唱題してから、小机を前に向き直った。
 「みんな元気ですか。今日は暑かったね」
 彼は、目をぱちぱちさせながら、広い額の汗をハンカチでくるりと拭き、それから首筋を拭った。だが、彼は、その時、何か硬い空気を感じ取った。いつもの小岩とは違っていた。
 泉田弘の前には、初めて見る三人の男が並んでいた。
 彼は、″新しい参加者が三人もいる。よし、見事な、立派な座談会をやってみせるぞ″と、決意を新たにした。
 そして、意気込んだ調子で話し始めようとした時、千谷ハツという五十年配の女性が、彼に声をかけたのである。
 「この方は、金木さんのご主人です」
 金木といわれた男は、目礼しただけで、泉田を睨んで黙っていた。金木の後ろには、先月、入会した妻の金木ユリ子が、青ざめてうつむいていた。
 泉田は、ユリ子に尋ねた。
 「奥さん、どうかなさったんですか」
 ユリ子は、千谷の紹介で入会していた。その千谷ユリ子の家庭のことは、泉田も、あらましは聞いていた。
 彼女は、在日朝鮮人と結婚し、二人の聞には病気の子どもがいるという。
 彼女は、子どもの病気に悩み、早くから、ある新宗教の信者になっていた。
 ユリ子は、この宗教の講習会などにも熱心に通った。隣家の千谷にも、たびたび勧誘に来たりした。
 その千谷が、一年半ほど前、山川芳人の紹介で創価学会に入会した。今度は、千谷がユリ子を折伏して入会させたのである。ユリ子は、千谷の親切な指導で、不幸の根本原因が、何に由来するかを知った。
 そして、わが宿命を自覚し、千谷と共に信心に励んだ。折伏にも邁進するようになった。
 ユリ子の夫は、懸命に学会活動に励む妻を見て、猛烈に信心に反対し始めたのである。しかも、激しき暴力を振るうのであった。
 ユリ子は、信心をやめなければならないぐらいなら、いっそのこと離婚をしようと真剣に考えた。小児まひの子どももいる。彼女は迷ったが、その子を一生、抱き締めて苦労したとしても、夫と別れた方が、はるかに幸せだと思い詰めた。そして、ある夜、彼女は、夫に離婚を迫ったのである。彼女の固い決心を知って、金木は、初めて愕然とした。
 これまで、従順すぎるぐらいであった妻が、一変してしまったのである。金木には、妻が、このように強く反抗するにいたった理由がわからなかった。激怒して殴りつけようとした時、仏壇にある御本尊が目に入ったのである。彼は、やにわに仏壇に向かった。ユリ子は、その気配を察し、素早く御本尊を懐にしまった。
 金木は、ユリ子が離婚を迫った理由がわかった、と思った。
 ″今度の信心が、ユリ子を別人のような女にしてしまったらしい。隣の千谷のばあさんが、そそのかしたのかもしれぬ″
 彼は、腹を立てた。夜半であったが、千谷の家へ怒鳴り込んだ。
 人のよい千谷は、慌ててしまった。金木をなだめることは困難であった。離婚を勧めたなどとは、とんでもない言いがかりだと、いくら主張してもわかつてもらえない。彼女は、悔しくなって、隣近所として、これほどお宅の奥さんと親しくしてきているではないかと、涙をこらえて言うのであった。
 それでも金木は、「けしからん宗教だ。責任者に会わせろ!」と言ってきかない。千谷は、とうとう、近く幹部が来る会合があるから、その人に話したらよかろうと、突っぱねてしまった。

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