Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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生命の庭  

小説「人間革命」3-4巻 (池田大作全集第145巻)

前後
1  深夜――戸田城聖は、東京・港区の自宅の二階で、机に向かったまま動かなかった。
 机の上には、原稿用紙が広げられている。その上に、「生命論 戸田城聖」と第一行が書かれただけで、第二行は続かず、何時間も、そのまま白く光っていた。
 こんなことは、彼にとって、めったにないことである。彼は、執筆前には、人一倍、熟慮を重ねたが、いったん筆を執れば、一気に書き上げるのが常であった。それが、今夜ばかりは、そうはいかなかった。一九四九年(昭和二十四年)五月のことである。
 熟慮は、終わっていたはずである。あふれんばかりの思念が、彼の胸中には怒濡のように逆巻いていた。
 書くべき主題も、論述の順序も決まっている。まず、法華経の譬喩品、化城喩品、如来寿量品の一節を、それぞれ引用し、日蓮大聖人の御書から、「開目抄」や「撰時抄」の一節をあげ、「三世の生命観」を明らかにすることであった。次に、如来寿量品の肝要を記し、大聖人の「当体義抄」や、「三世諸仏総勘文教相廃立」から、あるいはまた、「御義口伝」「十法界事」などの御文の助けを借りて、生命の永遠性を論じ、最後に結論として、生命が連続する実相を、具体的に、かつ明晰に解明する――それは、彼にとっては、さほど難事とは思えなかった。論理的に整然と論ずることも、やろうと思えばできることであった。
 今、彼が、万年筆を手に取っては、また置き、思索に思索を重ねていたのは、果たして、そうした論理を追っていくだけで、「生命の実在そのもの」に迫ることができるかどうか、という疑念が立ちふさがっていたからである。
 彼には、わかっていた。彼が、生命をかけて覚知したものは、彼の胸に、しっかり収まっていた。だが、それが、いかに伝えがたいものかを知って、大いに困惑したのである。
 彼は、メガネを外した。そしてまた、それをかけ直したりしていた。腕組みをしては天井を仰ぎ、一行も書けぬまま、時は刻々と過ぎていった。
 彼は、仁丹を口に放り込むと、立ち上がって窓を開けた。五月の夜である。青葉の匂いが流れてきた。窓外の景色は、黒々と静まり返り、犬の遠吠えが、深夜にわびしく聞こえてくる。
 彼は、立ったまま、しばらくその闇を見ていた。やがて、着物の帯に両手を差し込んで、室内を、右に左に、ゆっくりと歩きだした。彼は、あふれる胸中の思念を、もてあましていたのである。
 戸田は、行きつ戻りつしながら、ふと、われに返った。
 ″あの時も俺は、こんなふうに狭い部屋の中を、檻に入った動物のように歩き続けていたのだ……″
 あの時というのは、五年前のことである。彼が、戦時中、巣鴨の東京拘置所の独房に、思想犯として拘禁されていた折のことである。
 その部屋は、今、彼が自由に歩いている二階の部屋よりは、はるかに狭く、陰気であった。独房と廊下とは、幅一メートルばかりの、頑丈な鉄の扉で隔てられていた。鍵を開けて、独房の重い扉を開くと、古ぼけた畳が二枚敷いてあり、その先に一畳ばかりの板の間があった。正面の壁には、縦に細長い窓が、東に向かって開いていて、鉄格子が外界との間をさえぎっていた。
 板の間の隅に、窓を右手にして、物入れが備え付けられ、その上が棚代わりになっていた。この物入れの途中から、机とおぼしい板が突き出していた。
 この板を上げると、洗面台が現れる。机は洗面台のフタでもあった。この机に向かうための腰掛け板があったが、この板を上げると、水洗の便器が現れる。腰掛けは、便器のフタでもあった。
 この簡便至極な独房で、彼は、ぐるぐる歩きながら、深い思索を、あの時、続けたのである。
2  一九四四年(昭和十九年)元旦を期して、彼は、毎日、『日蓮宗聖典』を手にし、そのなかの法華経を読むことにした。さらに、日に一万遍の題目を唱えることを、実践し始めたのである。
 この本の前半には、無量義経、法華経、観普賢経の法華三部経、後半には大聖人の御遺文が収められていた。法華経は、漢文のままであり、読みづらかった。
 拘置所では、日を定めて、希望者に本の貸し出しを行っていた。戸田は、小説を希望したが、回されてきたのが、この本であった。そして、返却しても、また不思議に彼の独房へ舞い戻ってきたのである。それが、拘置所の係官らの、意地悪い作為や怠慢によるものではないことを悟った時、彼は心を定めた。
 「読もう。よし、読み切ってみせる!」
 元旦から読み始め、法華三部経を三度読み返した時は、既に三月に入っていた。
 彼は、毎日、規則正しく、題目は、一回に何百遍と決めて、一日一万遍以上をあげ、法華経は日に何ページと決めて読んだ。さらに大聖人の御遺文も、一ページ一ページ、かみしめるような思いで、読んでいった。寒い二カ月であった。
 三月の初め、まだ寒さも消えやらぬ日、彼は、また、あらためて四回目の法華経を読み始めていた。法華経の開経である、無量義経からである。
  
 無量義経徳行品第一
 如是我開。一時佛住。王舎城耆闍崛ぎしゃくつ山中。輿大比丘衆。萬二千人倶。……
 (是の如きを我れ聞きき。一時、仏は王舎城の耆闍崛山の中に住したまい、大比丘衆万二千人と倶なりき。……)
 戸田城聖には、仏が、この徳行品を説いた時の情景は、既に親しいものになっていた。この情景に続く、仏を讃嘆する「偈」に入った時、″さあ、これからが、いつもわからぬ″と思い、真剣に眼を凝らした。
  
 大哉大悟大聖主(大なる哉大悟大聖主は)
 無垢無染無所著(垢無く染無く著する所無し)
 天人象馬調御師(天人象馬の調御師にして)
 道風徳香薫一切(道風徳香一切に薫じ)
 ……………………
 ……………………
 ……………………
 無復諸大陰入界(復た諸大陰入界無し)
  
 彼は、ここまではわかった。要するに、偉大な大悟大聖主たる、仏を讃嘆する形容句ではないか。仏の正覚の状態を讃嘆しているにすぎないが、次の行に移ると、いったい何をいっているのか、全くわからなくなった。
 わかることは、「其の身」というのは、仏の実体を指しているらしいということだけであった。
3   其身非有亦非無(其の身は有に非ず亦た無に非ず)
  非因非縁非自信(因に非ず縁に非ず自他に非ず)
  非方非圓非短長(方に非ず円に非ず短長に非ず)
  非出非没非生滅(出に非ず没に非ず生滅に非ず)
  非造非起非為作(造に非ず起に非ず為作に非ず)
  非坐非臥非行住(坐に非ず臥に非ず行住に非ず)
  非動非転非閑静(動に非ず転に非ず閑静に非ず)
  非進非退非安危(進に非ず退に非ず安危に非ず)
  非是非非非得失(是に非ず非に非ず得失に非ず)
  非彼非此非去来(彼に非ず此に非ず去来に非ず)
  非青非黄非赤白(青に非ず黄に非ず赤白に非ず)
  非紅非紫種種色(紅に非ず紫種種の色に非ず)
 彼は、この部分に「……に非ず」という否定が、三十四もあることを確かめた。そして、これに続く「戒定慧解知見より生じ」から以下は、また仏を賛嘆する文章に戻っていて、さまざまな形容句が続いている。
 やがて仏の具体的な姿、つまり応身としての仏の表現へと移っていくが、これは、さほど難解ではない。ただ、三十四の否定が、何を表現したいためにあるのか、さっぱりつかめなかった。
 ″冒頭の「其の身は有に非ず亦た無に非ず」というのは、仏の「其の身」は、有るのでもなければ、無いというのでもない、ということらしい。仏法上の空観を持ち出せば、一応、わかったような気にもなる。しかし、その実体は明確にはつかめない。また、「其の身」が、仏の不変の本質、いわゆる法身だとすれば、その法身とは、結局のところ、いったいどういうものなのか。それがわからなければ、法身といっても、衆生が理解し得ぬ、観念にすぎまい″
 彼は、仏法の真髄たる大聖人の仏法を、単なる観念論とは、どうしても思えなかった。そんなはずは絶対にないと思いながらも、どうしても、「其の身」の仏は、観念の霧に包まれていってしまう。
 戸田城聖は、今は、前三回の時のように、気楽に読み流すことはできなかった。彼の日々の唱題と、今、法華経を身で読み切ろうという、すさまじいばかりの気迫が、彼を、いつか踏みとどまらせていたのである。
 彼は、思った。
 ″三十四の「非」は、形容ではない。厳として実在する、あるものを説き明かそうとしているのだ。しかし、その実在は、有るのでもない。無いのでもない。……四角でもなく、丸くもなく、短くもなく、長くもない、という。……動くのでもなく、転がるのでもなく、じっと静かだというのでもない。
 ……まるで、謎解きだが、いったい、なんだというのだろう。今、自分にわかっていることは、この謎解きのような表現をとらなければ説き明かすことのできない、ある偉大な、目に映らない実在が、厳としであるということである……″
 彼は、思索に疲れた。そして、また、唱題に戻つていった。手には、牛乳ピンの紙製の丸いフタにヒモを通して作った、世にもまれな数珠を持っていた。
 戸田城聖は、「其の身」が何を表しているかを、心から納得したいと願った。さもなければ、もう一歩も先へ進まぬと決めた。彼は、法華経に対して背水の陣を張ったのである。その決意は、いわゆる観念の決意ではない。生命の対決であった。

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