Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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新 生  

小説「人間革命」3-4巻 (池田大作全集第145巻)

前後
1  一九四八年(昭和二十三年)元日、快晴である。
 戸田城聖は、学会本部となっている東京・西神田の日本正学館の二階で、御本尊の前に端座し、新年の勤行をしていた。背後には、六、七人の幹部が、御本尊をじっと見つめながら、彼の声に和していた。
 一同の呼吸は、少しの乱れもなく、読経は一人の声のように、力強い和音となって響いている。快かった。
 戸田は、″今日はいいな″と、何げなく思った。
 このあとに、長い唱題が続いた。軽やかなリズムは、いよいよ、はつらつとして、一糸乱れず、意気軒昂ともいうべき響きとなって、彼らの五体をつつんだ。
 戸田は、ふと無数の星雲の渦巻いている、果てしない大宇宙を思い浮かべた。その壮大な景観のなかの、極微に近いわが身の小さな存在が、不思議な思いで感じられてならなかった。
 彼は、″はてな″と思った。
 ――果てしのない大宇宙。ものすごい超高速で運行している星雲の群れ。そのなかに、銀河系という二千億個以上もの恒星の一群団がある。
 この銀河系のなかで、太陽という恒星を中心にして、回転している幾つもの惑星。そのなかの一つの星にしかすぎない、この地球。一瞬の静止もなく、すべてが一定の秩序で変転して、とどまるところを知らない。過去から未来へと、その運動は繰り返され、悠久の時を刻んでいくという。
 地球は自転しながら、太陽との平均距離約一億四千九百六十万キロの軌道の上を、毎秒約三十キロの速度で公転している。その地球のなかの小さい島国の一角で、今、自分は妙法を心から唱えている。この一人の人間、そもそも戸田城聖という俺は、いったい何者なのであろうか――。
 彼は、宇宙の深淵をのぞく思いに駆られながら、自分自身の確固たる存在を確かめようとしていた。
 ″惑星のなかで、太陽にいちばん近いのは水星で、平均距離約五千七百九十万キロの軌道上を、毎秒約四十七キロの速度で公転し、約八十八日で一周し終わるという。
 水星の表面は、昼間は、太陽の強烈な放射熱のために大変な高温となり、逆に夜は、極寒の世界となることから、生物の存在は考えられない。太陽を取り巻く惑星のなかで、地球だけが、不思議にも程よい位置にあって、無数の生物を宿している。そして地球は、三百六十五日五時間四十八分四十六秒で一回の公転を終えている。
 これらの厳然たる事実を、つぶさに知ってしまった地球上の一生物、人間の知恵とは、なかなか大したものだ。
 だが、その知恵ある人間が、それぞれ背負っている、抜きがたい不幸に、いつまでも戸惑っているというのは、いったい、どういうことなのであろう。不幸というものの実態は、宇宙の神秘さよりも、はるかに不可思議で、厄介なものだからであろうか″
 戸田を導師とした唱題の声は、時間を忘れたように、なおも続いていた。その波動は、部屋いっぱいに満ちあふれ、立て付けの悪い部屋から外へ、無限に流れるように思われた。
 ″地球という、この大宇宙に浮かぶ一個の惑星の、その島国の一隅で、俺は、今、何をしているのか。みすぼらしい、寒い部屋で、懸命に唱題している、戸田城聖というこの生命は、いったい何をしているというのか。
 ただ俺は、魔王との戦いを宣言しているのだ。その自分だけが、今、ここに存在しているのだ″
 戸田は自得した。大宇宙のなかで、魔との戦い、すなわち人間の不幸の根源である無明を打ち破る戦いに挺身している、孤独な自分というものを、しみじみと悟ったのである。
 だが、彼は孤独を恐れなかった。五体に、あふれる活力が、見る見る湧き上がってくるのを覚えていた。その生命の力は、もはや何ものも、さえぎることは、できないにちがいない。彼には、唱題の力が、宇宙に遍満するであろうことが、当然のように信じられたのである。
2  戸田は、われに返った。そして、最後の題目を三唱して、勤行を終えた。にっこりしながら、くるりと向きを変え、幹部たちの顔を見た。服装は普段とあまり変わらず、みすぼらしかったが、上気した顔は、つややかに、うっすらと桜色さえしている。どの目も、生き生きと輝いていた。
 「おめでとうございます」
 一同は口々に、あいさっする。原山幸一が、あらたまって、さらに言った。
 「先生、おめでとうございます。本年も相変わらず……」
 戸田は、笑いながら言った。
 「やぁ、おめでとう。ところで、本年も相変わらずじゃ困るなぁ。そうだろう。去年と同じことをやっていたんでは、広宣流布は腐ってしまうじゃないか。原山君は、去年と同じように、もそもそ動こうというわけか」
 どっと笑い声があがった。
 「三島君がぶつぶつ、小西君がふてくされ、関君が青い顔して思案顔というのでは、だいいち、ぼくが困るんだよ」
 さらに高い笑い声があがった。
 「今年は、いよいよ再建三年目に入った。諸君は、自分の持ち味を十分生かしきって、強い強い信心に立って、立派に折伏行を全うしてほしい。そういう年にしたい。みんな大いに変わってもらわなくてはならない」
 一同の顔から笑いが消えた。戸田は、話す言葉を一言一言、繰り返すように言った。
 「諸君は、去年も活躍したように思っているだろうが、実際は、惰性に流された活動であったと言わざるを得ない。
 ぼくが講義をし、ぼくが座談会に行く。そこだけにしか学会活動はなかったといってよい。ぼくがいないところでは、なんの活動もなかった。こんなことでは、『令法久住』――正法をして永遠に住せしめるという経文は嘘になる。観念だけだということになる。
 座談会に、私がいようが、いまいが、どしどし折伏活動を前進させなくてはならない。ぼくの後をつけ回すだけが信心と思ったら、大間違いです。それでは惰性になっていく。大聖人様の仏法を、いつの間にか腐らすことになる。本当に怖いことだ」
 戸田は、ここで口をつぐんで、次の言葉を探すかのようであった。
 彼は、一人が百歩前進することより、百人を一歩前進させることを、常に考えていたのである。
 「だからといって、ぼくの口まねをし、会合をやっていけ、というのでは決してない。ぼくがいようが、いまいが、もっと自分自身の信念で、信心で、心から訴えきっていけ、と言いたいのだ。みなの話は、理屈はわからなくとも、強盛な信心で功徳を受け、歓喜している初信者の確信にも、かなわないのじゃないか。
 組織が秩序だってくると、どうしても幹部の惰性が始まる。しかし、自分では気がつかない。相変わらず、結構やっていると思っている。この相変わらずが、空転になる。それがくせものなんだ」
 原山幸一は、いたたまれなくなって、口をはさんだ。
 「先生、さっきは私の失言です。本年は、ひとつ大いに相変わりまして、よろしく、お願いいたします」
 「わかったかい。宇宙のあらゆる一切のものは、天体にせよ、一匹のシラミにせよ、刻々と変転していく。一瞬といえども、そのままでいることはできない。相変わらずでやれると思うのは、錯覚にすぎない。
 そこで、いちばんの問題は、良く変わっていくか、悪く変わっていくかです。このことに気づかないでいる時、人は惰性に流されていく。つまり、自分が良く変わっていきつつあるか、悪く変わっていきつつあるか、さっぱり気づかず平気でいる。これが惰性の怖さです。
 信仰が惰性に陥った時、それはまさしく退転である。信心は、急速に、そして良く変わっていくための実践活動です。
 あらゆるものを、刻々と変転させていく力、それを生命といい、如々として来る、この力を如来といい、仏と名づけるのです。この力を大聖人様は、さらに南無妙法蓮華経と、おっしゃった。そして、それを具体的に、十界互具の御本尊として、お残しになった。一切の根本である、このことを度外視して、われわれの信心はない。
 宇宙自体にも、われわれ一人ひとりの小さい人間にも、すごい生命の力、南無妙法蓮華経があるんです。
 この信心をして、それが自覚できないということは、自分が損です。機械があっても、モーターのスイッチを入れないのと同じだ。音楽家が、ピアノの前に座ったきりで、キーを叩かないのに等しい。諸君が、こんな調子で信心をやっていけばいい、などと考えていたら、なんの意味もない。
 また、今の不幸が、生涯、続くように思えても、それは変わっていく。信心している限り、必ず幸福へと変わっていく。それが自然の理であり、宿命転換ということだ。また、今の幸福が、永久に続くように見えても、この根本の信心がない限り、いつ不幸な方向へと、変転してしまうかわからない。
 国だって同じだ。今、日本の国は他国に占領されて、どうにもならない不幸に陥っている。いったい、いつまた幸福が到来するだろうかと、みんな絶望しているが、私は決して絶望などしていない」
3  戸田は、正確な史観と、誤りのない哲理をもって、すべてを判断し、実践していた。彼の前途には、常に春光が輝いていたのである。
 寒い部屋にも、新年の曙光が差し込んできた。ようやく外の通りに、人の動く気配が出てきた。
 「仏法の法理に照らして、いつまでも、こんな状態であるはずがない。まして広宣流布の第一歩が踏み出されたところだ。広宣流布が進めば進むほど、今の状態から早く脱却できる。
 一国の広宣流布ということは、要するに一国の立正安国を実現し、その国の宿命転換を遂行するということだ。人類史上、誰もやった者はないのだ。
 考えてもみなさい。いかに優れた思想、哲学でも、たった一人の人間を救うことさえ容易ではない。できたとしても、せいぜい気休めの慰めぐらいのことではないか。ましてや、一国を根底からまるまる見事に救ったことなどない。
 そのくせ、いつも飽きもしないで、人びとは理想社会を夢見続けてきた。それというのも、いつの時代も不幸であったからだ、といえるのではなかろうか。
 こうした、誰にもできなかったことが、必ずできると、私は言うのだ。なぜならば、日蓮大聖人が絶対の保証をなされている。不肖の弟子・戸田の知り得た限り、大聖人の御言葉が外れたことはない。それは一切の真理の根本を過たず、お説きになっているからだ。
 万人が万人、理想としていること、しかも、誰一人やろうとしてもできなかったこと、そして誰も信じなくなってしまったことを、今、われわれの手で成就しようというのだ。
 人類にとって、これ以上の最大、最高の偉業はない。難事中の難事だ。しかし、必ずできる。われわれに力があるからだなどと、うぬぼれてはいけない。大聖人様の仏法には、それだけの、ものすごい力があるからだ。
 それを勉強し、実践するわれわれが、いいかげんな覚悟で惰性に沈んでいるとしたら、大怪我のもとだ。仏法は厳しい。厳しいがゆえに、ぼくは、諸君にそれを言っておかねばならない。
 本年も相変わらず……ということろから、とんだ長い話になってしまったが、諸君の何げない一言でも、それを言う時の諸君の心の実相というものが、ぼくには、わかりすぎるぐらいわかる。それが信心というものだ。
 生命とは、形も色もないものだが、現実の姿のうえに、厳然と現れてくるものだ。言葉じりをとらえたなどと、ケチなことを考えては困る。実相は、まさしく諸法であり、諸法はまさしく実相だ」
 彼の気迫は、弟子たちの胸を揺さぶった。部屋は緊張につつまれている。彼らの目は、戸田を凝視して冴えていた。
 色あせて茶褐色になった畳、煤けた壁、染みのついた天井、そのなかに白金のひらめきともいうべき光芒が、戸田の顔から放たれているように思われた。それは厳しく、純粋であったが、それでいて底知れず温かかった。
 「元旦から、やかましい話になってしまったが、今年は、やかましい年だと思ってもらいたい。いよ諸君を徹底的に訓練しなければならない時が来ている。これも時だ。この時も知らずに、うるさいことばっかり言うといって、不平を言つてはなりませんぞ。訓練なくして、偉大な人生を歩んだ人は一人もいない。芸術も、技術も、事業や政治の世界でも、皆そうだ。まして未曾有の革命に、厳しい訓練があるのは、当然だと思わなければなりません。
 戸田は、なにも、君たちを憎んで言うのではない。ぼくが君たちを憎んで、なんになる。ぼくは、諸君たちの一生のことを、それぞれ、ちゃんと考えているんです。心得違いをしてはいけない」
 戸田は、言うべきことを言い尽くしたと思った。身を硬くして聞き入っている弟子たちが、たまらなくいとしくなった。彼は柔和な眼差しに戻って、頬をほころばせながら言った。
 「文句ばかり言って、すまん、すまん。……正月だ、さっそく、お屠蘇といこうじゃないか」
 彼は、一升瓶を持って来させると、自ら栓を抜いて、湯飲み茶わん一つ一つに注いだ。黄金色の酒は、彼の弟子への愛情をささやくように、軽い音をたてて、茶わんを満たしていった。
 「さあ、みんな飲みなさい。乾杯しよう。とっておきの名酒だぞ」
 「いただきます」
 一同は乾杯した。そして、なんとうまい酒だろうと思った。彼らは、この時、戸田の愛情を飲む思いがしたのである。彼らにとって、戸田は常に師であったが、ひとたび彼に会うと、いつか、彼らは子となり、戸田は父となった。そして、この間柄は、年齢には、なんの関係もなかったのである。

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