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日蓮大聖人・池田大作

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胎動  

小説「人間革命」1-2巻 (池田大作全集第144巻)

前後
1  戸田城聖が、総本山大石寺の宿坊で、第一回の法華経講義を始めた一九四六年(昭和二十一年)一月一日、この日、天皇の詔書が発表された。
 「……チント爾等国民トノ間ノ紐帯チュウタイハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神アキツキカミトシ、カツ日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、ヒイテ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ……」
 幣原喜重郎首相が起草したといわれる詔書で、「天皇人間宣言」として、今日では歴史的文献となっている。これは前年の十二月十五日に出された「神道指令」、いわゆる神道を国家から分離するという、マッカーサー指令への、最初の具体的な対応であったといえよう。
 こうして、天皇の神格化を、天皇自ら否定した。しかし、人間宣言の文書に、相変わらず「朕」という代名調が使われていた。これは、本来、天命を受けて人民を治める天子が、「われ」の意味で用いる言葉である。
 戸田城聖が帰宅したのは、六日の午前零時過ぎであった。積み重ねてあった新聞から、元日付の新聞を手にした。その一面に、じっと目を凝らし、おそろしく真面目な表情で、傍らに新聞を置いた。
 「朕か」
 そして彼は、彼の寝床の傍らで、安らかな寝息をたてている喬一の寝顔に、じっと目を注いだ。
 彼の頬は、ほころんだ。雪焼けした、わが子の顔に手をそっと置いて、なでてみる。
 ″坊主、元気だな″
 二年半ぶりに見る喬一であった。彼の入獄中、学童疎開が始まる直前、岩手県・一関の妹の家に、疎開させていたのである。彼は、瞬間、揺り起こしたい衝動に駆られたが、じっと、こらえた。
 喬一は、都会の食糧難も知らず、山間の学校に元気に通学して、終戦を迎えた。戸田は、終戦後、東京の学校が、まだ授業再開の見通しもおぼつかない状態であると判断して、そのまま一関に喬一を置いていた。
 世の中の秩序回復を待ったのである。
 ところが喬一は、冬休みに入り、雪に閉じ込められると、両親のもとへ帰ると言って聞かなかった。
 農家も正月休みで、戸田の妹は、汽車の切符をようやく手に入れ、喬一を連れて、久々に上京してきた。
 戸田は、正月登山で留守であった。喬一は、正月の餅をぎっしり詰めた、小さなリュックサックを、わが家に下したのであった。
 ″坊主、苦労したな″
 彼は、寝転んで、喬一の顔をなでさすった。二年前の坊ちゃん刈りは、クリクリ坊主の頭に変わっていた。幼児の面影はさらにない。いつか、いたずら好きの、国民学校初等科四年生の、たくましい少年に成長していた。
 戸田は、仏壇の前に正座した。そして、勤行しながら、わが子のことで、尽きせぬ感謝の祈りを捧げるのであった。
 仏壇には、喬一の背負ってきた真っ白い鏡餅がそっと供えられていた。妙法のための幾多の苦難を経て迎えた、まことの一家の春である。
 翌朝、喬一は起き出すと、戸田の後をついて回った。そして、何か聞かれでも、ただ、「うん」「うん」と短く答えるだけであった。
 茶の間の食卓に、みんなして落ち着いた。話が、一関の、二年余りの喬一の生活に入ると、少年は、雪国の雪崩について、尻上がりのアクセントで語り始めた。
 「戦争は、なんにも怖いことなかったけど、お父さん、雪崩って、おっそろしいぞ」
 戸田は、ニヤニヤ笑いながら聞いていた。だが最後には、とうとう噴き出して、大声で笑いだしてしまった。少年は、東北弁になっていたからである。
 戸田の哄笑につられて、妻の幾枝も笑いだした。
 少年は、キョトンとして、澄んだ眼で、両親の顔を見比べて言った。
 「何が、おかすぃのだべ?」
 両親は、また笑った。
 「喬一、東北弁が、やけにうまくなったな」
 戸田は、少年に笑いかけた。
 「嘘だ、東北弁じゃあねぇべ!」
 少年は、こう言って、真っ赤になって抗弁してきた。
 受難の一家は、一家和楽の家庭へと変わっていた。
2  戸田は、この日、西神田の事務所に、少年を連れて行った。
 戦災で荒廃した東京の中心街の姿を、ひと目、男の子の脳裏に刻み込んでおきたかったのである。そこには、少年が、将来、平和に寄与する人になってもらいたいという、戸田の願いが込められていた。
 少年は、非常な好奇心と興奮を示した。電車の中では、両側の窓から、交互に間断なく、広い焼け野原を見た。そして、そのなかにうごめく蟻のような人間の姿から、目を離さなかった。
 静かで平和な東北の山河と、正反対の世界である。少年の頭脳は、混乱したようであった。
 「お父さん、爆弾が、ずいぶん落ちたんだね。お家も、みんな、なくなったんだね」
 「うん、そうだよ」
 「ぼくの家は、焼けなかったんだね」
 「そうさ」
 「どうして、焼けなかったんかなあ」
 「どうして? 焼けた方が、よかったのかい」
 「ううん……違うけどさ」
 少年は、強く首を振った
 「お父さん、怖かっただべ?」
 「父さんは、その時、家にいなかったよ」
 「あ、そうだ……牢屋だったんだね」
 「うん、そうだよ」
 戸田は、渋い顔をした。少年は、思いめぐらすように、続けて言った。
 「ぼくは、一関にいた。お母さん、一人でかわいそうだつたね」
 「そうだ。かわいそうだった。母さん一人で、家を守っていたんだよ。
 喬一、御本尊様が、ちゃんと御覧になり、お家も、父さんも、母さんも、喬一も、お守りくださったんだよ」
 「ぼくも、お題目を、一関であげたよ」
 少年は、にっとり笑い、得意そうであった。
 「お父さんの、手紙は読んだかい?」
 「ああ、父子おやこ同盟の手紙だね。読んだよ。おばさんが仏壇の引き出しにしまっている」
 西神田の事務所で半日遊んで、喬一は帰宅した。
 荒廃しきった東京の街は、少年の神経には刺激が強すぎた。少年は、グッタリ疲れ、夕食が終わると、さっさと寝てしまった。
 戸田は、夜遅く帰宅すると、また少年の寝顔を、珍しそうにのぞいていた。
 戸田夫妻は、この夜、珍しく喬一のことで議論した。
 戸田は、喬一を、このまま東京に残すことを主張した。妻の幾枝は、食糧事情が好転するまで、東北に預けておきたいと譲らない。学校も、四月の新学期から東京へ移した方が、区切りがいいという理由もあった。
 深夜の結論は、少年の自由意思に任せることに落ち着いた。
 翌朝、目が覚めると、東京か一関か、少年は二者択一の回答を迫られた。
 少年は、しばらく考えてから、はっきりと言った。
 「一関が、いいや」
 「のんきな坊主だな」
 また少年の寝顔を、戸田は、苦笑いしながら、妻の顔を見た。幾枝は、食器を食卓に並べながら、少年を眺めて言った。
 「それがいい、それがいい。東京は、まだ子どもの住む街ではありません」
 喬一は、冬休みが終わると、親戚の人に連れられ、雪の一関に帰って行った。
3  戸田城聖の、熱情と精魂を込めた法華経講義は、続けられていった。週一固ないし二回、夜になると必ず、日本正学館の二階で行われた。
 電力事情の悪化から、停電の夜もしばしばであった。五人の机の上には、太いロウソクがともされた。炎が揺らぎ、壁や天井に、不気味、な明暗の影をつくった。
 戸田の極度の近眼では、ロウソクの火で活字をたどることは無理である。彼は、耳を澄ました。そして、誰かが読むのを聞いていた。その文を、直ちに解釈し、深遠な説明をするのであった。
 自在に、日蓮大聖人の御書を引いて説明した。しばしば、「御義口伝」を引用して、講義は続けられた。
 法華経の一字一句にいたるまで、大聖人の御書の端々まで、ことごとく彼の脳髄に詰まっているようであった。
 岩森はある夜戸田に尋ねた。
 「いったい、いつ、そんなに勉強したんですか。覚えるだけでも大変だ。なんとも不思議に思っているんだよ」
 ほかの三人も、同じことを考えていた。
 戸田は、淡々として言った。
 「さぁ、なんと言ったらいいか……。八万法蔵といっても、わが身のことだ。難に遭って、牢屋で真剣に唱題し、勉強したら、思い出してきたらしい。それ以前は、金儲けに忙しく、思い出す暇もなっかたわけだろう」
 「思い出した?」
 彼らは、一様に首をかしげるだけであった。
 戸田城聖は、ある確信をもっていた。それは、仏法には、民族を復興させ、文化を興隆させる歴史的原動力ともいうべき力があるということであった。
 インドでは、釈尊の教えを根底にして、文化の繁栄をみた時代があった。たとえば、アショーカ大王の時代には、民衆が平和を謳歌する社会が実現されたし、後のカニシカ王の時代もそうであろう。中国においても、天台大師が仏法を正して正法を宣揚して以来、隋、唐などの世界的な文化の花を咲かせていった。
 日本では、仏教を信奉した聖徳太子の時代を中心に飛鳥文化が花開き、伝教大師が比叡山に大乗仏教の基礎を確立した平安時代に、絢爛たる王朝文化の開花をみた。
 しかし、これらの時代は専制政治の時代であり、仏教も支配階級を中心に広まった。すなわち、貴族仏教と言われるゆえんが、ここにある。民衆の大地から燃え上がり、民衆と直結した、仏法流布の形態とは、およそ程遠い。時代として、やむを得なかったとはいえ、ここに大きな限界があったといってよい。
 今は、末法である。釈尊の仏法の真髄である法華経も、過去の教説となった。日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の法華経によって、新時代の文化を築くことができる。
 やっと訪れた平和の春を、断じて悲惨な暗黒の世界にしてはならない。自由主義陣営と社会主義陣営の対立を、日蓮大聖人の生命哲理によって、乗り越えていかねばならない――これが、戸田の確信であった。
 彼の講義は、決然として進められていった。
 本田洋一郎も、戸田の深遠な仏法哲理の講義と確信に、胸を打たれた一人であった。彼は、戸田と、小学校時代の同級生であった。少年時代の戸田、そして今日までの戸田を、誰よりも知っているつもりであった。しかし、今は、彼の想像もしなかった戸田が、出現してきたのである。
 彼は、思いあぐねて言った。
 「城聖先生が、こんなに法華経が説けるようになっているとは、まったく驚いた。論より証拠だ。人間業とは思えなくなったよ。この事実に、私も、戸田君の言うことを認めるよ」
 「いや、ぼくは、凡夫のなかの凡夫だよ。ただ、信心によって、会得したにすぎないよ。君たちも、しっかり頑張りたまえ」
 ロウソクの炎に照らされた、皆の顔を見回しながら、戸田は言った。
 「大聖人様は、末法で南無妙法蓮華経と唱える者は、地涌の菩薩だと、おっしゃっている。『地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり』とご決定になっている。ところが自分では、さっぱり自覚できないものだ。しかし御本尊様を受持し唱題していれば、まぎれもなく地涌の菩薩なんだ。人を救い、法を弘めていくためには、互いに大事な体だ。決して粗末にしてはいけない。
 大聖人様の御金言を、実践していく決意が大事なんだ。大聖人様の御言葉に、間違いがあるわけがない。でたらめを言う仏がおるものか。それなのに、大聖人様の御言葉に、間違いがあるように思って、疑ったり、否定してみたり……。まったくご苦労なことだね、われわれ末法の凡夫は」
 みんな、どっと笑いだしてしまった。

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