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日蓮大聖人・池田大作

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君よ使命の大空へ 名門校の誇り高き わが創価学園を語る

2003.11.20 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
1  「池田先生の夢は、何ですか?」
 関西創価高校の一人の女子生徒が、私に質問した。その場にいた学園生たちの澄んだ瞳が光った。
 二〇〇一年の二月、兵庫の神戸で、卒業を間近に控えた学園生たちと語り合った懇談会の一コマである。
 「夢を考える暇がないくらい忙しいんだよ。世界中のことを考えているからね」
 私の言葉に、皆の明るい笑いが弾けた。
 そして私は、わが師・戸田先生のご構想の実現を夢として、一心不乱に走り抜いてきた心情を述懐するとともに、語った。
 「皆さんが将来、危実ともに立派な博士となり、指導者になってもらいたい。それが最大の私の夢です」
 おお、わが創価学園よ、愛する学園生よ!
 ここには、常に、若い、清らかな生命が動いている。
 あまりにも清らかであった。尊い姿であった。
 若き英才たちの育ちゆく姿には、黄金の輝きがあった。
 未来の若き指導者たちの瞳には、気高き頭脳のひらめきがあった。
 学園生は、わが命である。学園生の勝利が、私の勝利なのである。
2  教育とは何か。
 創価教育の創始者・牧口先生は、それは「『人格の価値』を創造する最高の芸術」だと教えられた。
 そして、偉大なる「人格の価値」を、広く社会へ世界へ輝かせる舵院が学校だ。
 「学校の評価は、生徒がいいか悪いかで決まる」
 これが、牧口先生の卓説であり、戸田先生の信念であった。
 その学校に学び、巣立っていった人間が、わが人生に勝っかどうか、社会で勝っかどうか。そして、世界の平和と人類の幸福に、どのように貢献できるのか。
 ここで、教育の勝敗が決まるからである。
 創価学園の東京校が開校して三十六年。また、女子校として出発した関西学園の開校から三十一年──。
 今や、わが学園は名実ともに日本のトップクラスという高い評価をいただいている。すべて、学園から羽ばたいた皆様の成長と活躍で勝ち取った栄光である。
 東西の学園の卒業生は二万人を超え、そのなかからは、百六十二人の博士が誕生した。さらに二百二十一人の医師、八十人の司法試験合格者、百人以上の公認会計士、千人以上の小・中・高の教員が生まれた。会社の社長や重役、ジャーナリスト、政治家もいる。
 そして、人間主義の信念を掲げた指導者として、黄金に輝く人生を、力強く歩みゆく多くの友がいる。
 海外へ雄飛し、社会貢献に汗を流す友は、四十六カ国・地域で五百人を超えた。
 また、この夏、アテネで行われた国際化学オリンピックに、学園生が初の日本代表として出場し、「銅メダル」を獲得している。
 関西校では、今月、NASA(アメリカ航空宇宙局)の教育プログラム「アースカム」に十度目の参加を果たした。
 学園在校生の健闘も、本当に目覚ましい。
3  ある年のある日、多くの手紙の中に、学園生の親御さんからの親書があった。
 その手紙は、次のような内容であったと記憶している。
 ”私は、信心しておりません。子どもの学園入学には猛反対しました。
 しかし、本人の健気な意思もあり、寮生として入学させていただいたのです。妻からも、本人の意思だから、そうしてあげるのが親の役目ではないかと言われたものです。
 私は、今になって、反対したことを、熱い涙が出るほど後悔しております。
 本当に立派な子どもに成長させてくださった。親が見ても、とうてい考えることができぬほど、面倒を見ていただき、すべてにわたって驚いております”と。
 その父親は、今は亡くなられたと伺ったが、お子さんは偉大な成長を成し遂げ、社会で活躍をされている。
 ともあれ、教育に真剣な努力を続けゆく先生方の功績が大きいのである。
 私は創立者として、心からいつも感謝している。生徒の成長のいかんは、教員で決まるのである。

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